ニコニコおじさん

僕は巷でいう“見える人”と言うのだろうか、時折色々なものを見る。  
首吊りのまま腐敗したサラリーマン、髪を振り乱しながら道路を駆ける両手のない女、首のない猫。あげたらきりがない程だ。  
それも他の人には見えていないときている。
少なくとも、僕の知り合いで同じものを見たという人はいなかった。  

これは小さい時からはじまり、現在に至る、僕のひとつの足かせのようなものだった。
故に“それ”に対応する心得もある。基本は無視だ。
それでも執拗にからんでくる“それ”がいた場合は、その場から速やかに逃げる。
もっとも、それが無理なこともあるが・・・  
ただ見えるからと言って、怖いものや怖い話が嫌いというわけではない。
よくある不良連中が、心霊スポットで何かを連れてきて、酷い思いをしたとかいう馬鹿な真似はしないが・・・
僕はただ聞くだけだ。誰かが語る嘘を盛り込んだ怖い話を、時に鳥肌を立て、時に馬鹿にしながら・・・  

ある時、地元のSに久々に飲みに誘われた。
僕と同じで結婚もしないまま、実家と職場を行ったり来たりする、そんな友人。
家族ができ、中々会えない同級生たちとは違い、僕らはそれぞれ会いたいときに気軽に会える存在だった。  
「よう、どうだ仕事のほうは?」  
「まぁ、ぼちぼち。職場のお局さんが上司に喧嘩売ってはいるけどそんなもん」
「まぁた、面白そうなことになってるな!」  
「人同士って集まると駄目だね。煩くてさ。まだ死んでる人のがいいよ」
「お、そっちのほうに行くのか。そういやお前、最近噂になってるの、聞いたか?」  
Sが話してくれた噂話、それは僕にとって忘れられない体験となった。
Sは徐に手を擦り、声色を変えて話し始めた。  
「ここら辺さ、色んな宗派の墓地があるだろ?」  
「ああ、あるね。たしかSは外国関係の・・・」  
「そうそう、こう胸で十字切ってな。まぁそれはいいんだよ!
それでな、ここ最近墓地に出るらしいんだわ。“ニコニコおじさん”って奴が!」 「ニコニコおじさん?笑ってるの?それにしてもふざけた名前だな」  
「ちゃかすなよ!ニコニコおじさんはただ笑っているんだ!
決められた宗派の墓地に出るってわけじゃあなくて、色んな場所に出るらしいんだけどさ、
墓地と墓地の間とか、墓地のちょっと見えにくい場所とかにポツンと座ってるらしいんだよ!ニコニコ笑いながらさ!」  
「なんだよ、それ怖い話なのか?全然怖くないぞ。
それに墓地とかは、そんなに幽霊?ってのは見えないよ」  
「えええ!ならこれただの作り話かよ!でも怖くねぇか?ただ笑ってるとかさ?
しかも普通の物腰柔らかなおじさんらしいぞ?
なんかそれも逆に怖いっていうかさ!怖い?やっぱり怖いだろ?」  
「お前はいいよな、楽観的で」  
そんな過度のおしゃべりと根暗である。結婚はできないだろう。
Sと僕はそれから二時間ほど話し、それぞれの帰路についた。  

数週間は経ったろうか。
僕は病気で亡くなった母の墓参りに向かった。
たしか今年で七回忌だったか。早いものだ。
僕が見えるというのに、彼女は一度も姿を現してはくれない。  
今まで一緒に墓参りに行っていた父は、ふた月ほど前に脳梗塞で植物状態となり、現在は病院のお世話になっている。
近頃の墓の管理はもっぱら、僕の仕事の一つとなっていた。  

土曜の休みの日。
花や線香を買うにしても、人ごみの中を進まなければいけない。  
大声で騒ぐカップル。子供を騒ぐままにする、自称放任主義の夫婦。
昔はよかったと嘯く老人たち。
会社の新人が使えないと、お茶を飲みながら陰口をたたく年配の男性。  
皆、休みだというのに、何かにつけて忙しいようだ。
まったく煩くてかなわない。  
そんな中でも、静かなものはいる。
霊たちは、誰に干渉するわけでもなく、ただ黙々と己の死んだ瞬間を繰り返す。
ビルの上から何度も飛び降り、そしてまたビルの非常階段を昇りはじめる。
直視したり、話しかけたりしなければ、存外霊のほうが物静かでいいものだ。
僕は少し辟易しながらも買い物を済ませた。

母の墓は、僕が住む町を一望できる、小高い山の一角にあった。
静かで、澄んだ空気が心地いい。
時折、遠くに見える海沿いから潮風が香る、そんなところだ。  
墓地近くの駐車場に車を止め、苔むした石畳が続く狭い歩道を行く。
歩道の両脇に生い茂る、木々からの木漏れ日が気持ちいい。
道は坂となった。ここからいくつか傾斜がある石階段を過ぎたら、母の墓はもうすぐだ。  
途中、大柄な女の霊が居た。
目も何処か虚ろで、特に攻撃をしてくる様子はない。
珍しいな、墓地に出るなんて。僕は彼女を無視して、道を進んだ。    
母の墓標。祖母や祖父とは険悪で、結局一人だけしかいない母だけの墓標。
僕は、そんな孤独に少しの羨ましさを感じながら、枯れた花を片付けた。
墓石を綺麗に拭き、卒塔婆の位置を隣の墓につかないよう調整する。
お茶や水を入れ替え、僕は買ってきた袋の中を探った。  
供え物は母の好きだった、自宅近くにあるケーキ屋で買った安物のクッキーにした。
何故か母は、このクッキーばかりが好きで、他のは食べなかったっけ・・・  
最後に線香を取り出し、火を付けようとするも、風が強い。
仕方なく、僕は墓と墓の間にしゃがんで風を避けながら線香に火を付ける。  
よし、真ん中は数本ついていないが、こんなものだろう。
僕は線香を振りながら立ち上がった。  
僕の右頬に髪がかかる。
なんだ?僕はそんな頬にかかるほど髪を長くしてない。
振り向きざま、僕は声を立てないよう努めた。
先ほど徘徊していた女の幽霊が僕の真後ろに立ち、頬と頬が触れるかどうかの距離に立っていた。  
何故だ?僕に用なのか?それともこの線香の香りか、もしくはクッキーか?何故という疑問が渦巻く。
彼女の髪越しにひんやりとした冷たい空気が伝わる。  
いくら“見える”からといっても、ここまで接近を許したことはないし、どうすればいいのかもわからず、僕は立ち尽くした。
いきなり逃げようとしたら、彼女の注意が僕に来るだろう。
見えているとわかればどうなるか、僕は嫌と言うほど知っている。
どうすれば・・・  

不意に彼女が見る先が気になった。
気付かれぬよう、そっけなく、何かを確認する振りをして、僕は彼女の目線を追う。
墓と墓の間。何かがいるような。
駄目だ、遠すぎるし、隠れるように身を竦ませているせいで、何なのかわからない。  
彼女は僕を素通りし、母の墓をすり抜け、目線の先に向かう。
僕も駄目だとはわかりつつも彼女を目で追った。
整然と並ぶ墓の先、大柄の女は何かを見つけ、おずおずとそれを見ている。  
なんだ、何を見ているんだ・・・。
僕の恐怖が好奇心に勝った。僕は墓たちの影に隠れながら、そちらに近づく。
馬鹿なことに線香を持ったまま。傍から見れば、おかしな人間だ。  
女に近づき、十分に逃げられる距離についたとき、僕は見た。
先日、友人が語ったあの馬鹿話を思い出す。
そこには墓と墓の間に挟まる様にしながら、何処か満足気で、笑顔に満ちた男性が座っていた。  
服装から物腰に至るまで、普通と言っていい中年の男性が、何故かこんな墓地の一角に腰を下ろし、ニコニコとほほ笑んでいる。  
それを女の幽霊が、何言うわけでもなく、観察するような目つきで男性を見ていた。
虚ろだった目つきはもはや爛々と輝き、彼に興味を持ってやまないといった印象だ。  

男性が顔をあげた。たまたまだろうか。女の霊と目が合う。
そしてまたニコりと笑う。
危険だ!霊はそれが見えていなくても、反応をされれば、自分の存在を認識したと思って襲ってくるか、いつまでもついて来るのに!  
「危ないです!すぐに逃げてください!」  
僕は止めとけばいいものを、生きている人間かもわからない男性に向かい、大声で叫んだ。  
「見えていないでしょうが、なんて言えばいいか・・・今あなたは危険な状況です!だから早く!」  
「見えとるわ!」  
「え?」  
男性の怒鳴り声に、僕は面食らった。
なら何故逃げないんだ・・・。
僕と同じ“見える側”の人間なのか。
いや、そもそも何故こんな墓場に彼は一人でいるんだ!それも笑いながら。墓と墓の間なんかに・・・  
「せっかく微睡んでいたのに!どいつもこいつも俺の邪魔ばかりして!
その線香が燃えきる前に、とっとと母親に挨拶して帰れ!」  
僕はわき目も降らず一目散に駆けだした。
彼が幽霊よりも恐ろしい、得体の知れぬ何かに見えた。
急いで母の墓に戻り、声をあげないよう心の中で祈り、片付けも漫ろに、僕は飛ぶように帰宅した。    

ニコニコおじさん。あの噂話は事実だった。
各地の墓場に出没し、墓と墓の間や、人からは見えづらい木陰に隠れ、ニコニコとほほ笑む頭のおかしなおじさん。
僕はあの時、彼の言動が理解できず、そこに人の狂気じみたものを感じ、何も言わずに逃げて来てしまった。
だが今思うに、彼と僕とで何の差があるだろう。  
日々、他人の雑音に嫌気が差し、辟易していたとしたら、人が少なくて静かな、あの場所に行きつくだろう。
あの心地の良い木々の葉音や潮風を頬に受け、微睡みたいとも思うだろう。
死者たちと沈黙を享受したいと、心から思うだろう。  
何を以て狂人と断ずるか、僕はしばらく間、答えに落ち着かず自問した。
あの人は未来の僕なのではないか。
そう思えるほどに、今の世の中は人の戯言や悪意に満ち満ちている。    

自宅のリビングに一人、僕は物思いに耽った。
周りから狂人として、噂話になるようなおかしな人ではあったが、
静寂を揺り籠に微睡んでいたあの彼に、僕はもう一度会いたい・・・  
そういえば、彼は最後に“母親に挨拶して帰れ!”と怒鳴っていた。
おかしいな。僕が母の墓参りをしていたなど知る由もないだろうし、僕にも見えず、
姿を見せない母の存在を、何故彼は知っていたのだろう・・・  
唐突に電話が鳴った。
父がいる病院からのものだろうか。
そういえば今日、植物状態になった父の延命をどうするか主治医から聞かれる予定だったな。  
僕は電話に出る為、長らく座っていた椅子から徐に立ち上がる。
電話に向かう僕の頭をふっと誰かが、ぬくもりある手で撫でたような気がした・・・  
今は亡きシオラン氏を偲んで

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