真夏の夜の夢

昔話を一つ。
私が大学生のころの実体験です。
私には当時付き合っていた女性がいました。
彼女とは2年ほど付き合いましたが、彼女がミュンヘンの美大に留学して自然消滅しました。

それから3年後、私の2年目の留年の年のことです。
当時私はキャンパスにもろくに行かず、一軒家の離れを借り、シンセサイザーで打ち込み系の音楽ばかり作っていました。
今で言うテクノというかアンビアントとでもジャンル分けされる音楽をひたすら作曲していました。
家具もろくにない部屋にシンセサイザーが2本とドラムマシンとノートPC。
大学の寮を出て、離れを借りたのは半分以上夜中でも作曲できるという理由からでした。
まあ、当時犬も飼っていましたし。
そんな、どこにでもいるような残念な学生のだった私の不思議な体験です。

1997年夏の夜でした、8月22日。
今でもその夜を忘れられない訳があるんです。
相も変わらず深夜まで作曲作業をしていると、犬の唸り声がヘッドフォン越しにも聞こえました。
愛犬が背中の毛を逆立ててドアに向かって唸っていました。
私は母屋の住人の苦情かな、と思い、愛犬をなだめるとドアに向かいました。
「ピンポーン」チャイムが鳴りました。
母屋の住人は苦情の時はいつもドアをたたくので、私はそれが誰かほかの訪問者だと思いました。
愛犬はいまだ背中の毛を逆立てて唸っています。
「はい、どなた?」私は犬をベッドルームに追いやりながらドア越しに聞きました。
「両手がふさがってるの、ドアを開けてくれる?」
絶対に聞き間違えない声が聞こえてきました。
3年前にミュンヘンに行った彼女の声だったんです。
チェーンを外すのももどかしく、私はドアを開け放ちました。
そこに立っていたのは彼女でした、3年前よりもっときれいになった彼女が両腕に紙袋を抱えて立っていました。
彼女はにっこりとほほ笑むと「久しぶり、元気だった?」と紙袋を私に渡しながら玄関に入ってきました。
ベッドルームに閉じ込めた愛犬は狂ったように吠えています。
「随分と嫌われちゃったね、もう覚えてないのかなぁ」
彼女は苦笑し、私もつられて笑いました。
「キャシー(愛犬)はまだ6か月だったからね、君がミュンヘンに行ったころは」
私は紙袋をテーブルに置着ながら言いました。
「今夜は飲もうよ。ほら、ワイン買ってきたし」
彼女は紙袋からがさがさとイタリア産の赤ワインを出しました。
「ドイツから帰ってきたのにイタリアンワインかよ」
私は笑いながら言いました。
「まあいいじゃない。ほらこっちはおつまみ、、、というか夜食。」
彼女は手際よく紙袋の中身をテーブルの上に並べていきました。
ワイングラスなんて気の利いたものはなかったので、不ぞろいのグラスで私たちは乾杯しました。
彼女のセレクトしたおつまみは、どこのコンビニでも売っているようなポテチやツナ缶、チーズにハムといったものでした。
まるで3年前に戻ったような錯覚さえ覚える彼女との会話。
夜も更け、ワインの酔いも手伝って私たちは自然と愛を紡ぎました。
もちろん愛犬は庭につないで。

その夜、私は幸せな夢を見ました。
内容は覚えていませんが、なんとも言われぬ幸福感にあふれて目が覚めました。
彼女の寝顔を見てやろうと横を見ると、ベッドには私一人。
先に起きてリビングにでもいるのかな?と思い私はベッドから降り、ガウンを着るとベッドルームを後にしました。
リビングには、、、誰も、いない。
シャワーとトイレはベッドルームにあるのでそっちでもない。
リビングのテーブルの上には昨晩のままの散らかした飲み後。
「帰っちゃったのかな」私はそう呟くとふと、冷蔵庫にメモが貼ってあるのに気が付きました。
10桁の数字、おそらくは電話番号。
シャワーを浴び、リビングを片付け、犬の散歩をし、昼食をとってから電話を掛けました。
「もしもし」と電話の主。
何度か聞いたことのある彼女の母親の声でした。
「あ、ご無沙汰しております○○ですが」
と私が名乗ると、
「ああ、覚えていてくれたんだね。あんたら二人は仲良かったからね。」
と彼女の母が鼻声になりました。
「あの昨日の晩、、、」と私が言いかけると、
「ええ、ええ。みんなも集まっていたよ。」
鼻をすする彼女の母。
何だこの感じは。 話が全く噛み合わない。 嫌な予感がする。
動悸が激しい。 息が荒くなる。 めまいがする。
「昨日はちょうど娘の3回忌だったもんでね、あんたも来るかと思ってたけど、、、」

私の意識は暗転した。
気が付くと愛犬が私の顔をなめて心配そうにしています。
「大丈夫だよ、キャシー」私は愛犬の頭をそっとなでるとソファーに倒れこみながら考えました。
昨夜の彼女はいったい、いや、確かに彼女はいました。
一緒に飲み食いしたし、何しろベッドも共にしました。
それにリビングを片付けたときに彼女が使ったグラスには口紅が付いていました。
夢、、、ではないと思います。
では何だったのか?

その年、私は彼女の墓参りに行きました。
そこには確かに彼女の名前が墓石にありました。
ミュンヘンで暴漢に襲われて刺し殺されたそうです。
希望いっぱいの留学先で、何もできずに。
一体なぜ亡くなってから3年目に会いに来てくれたのか。
なぜあのタイミングで私に会いに来てくれたのか。
20年以上たった今でも私はいまだに答えを出せないでいます。
でもいつかまた、二人で笑いあいたいと願っています。 たとえ今生でなくとも。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ
朗読: かすみみたまの現世幻談チャンネル

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