熊ではない何か

私の母は、東北の山村で生まれ育った。
そこの山には、ある驚きの事実が隠されていた。

母の実家は、東北本線の駅から、更にバスで40分程山の中に入った所にあった。
地名に『熊』の字が入るなど、熊との関わりも多い場所だ。
山あいだったため民家も疎らで、川と道路があり、あとは段々畑と田んぼだった。
今から60年以上前の話で、母が子供の頃、親から 「絶対、山に入っては駄目だ。」 と言われ続けてきた。
母も熊の怖さを散々聞かされ知っていたので、絶対に山には入らなかった。
母にとっては、熊よりも身近にいる犬でさえ、怖い存在だったのだ。
もちろん母だけでなく、当時は、母の兄弟を含めた村の子供全員が、山に対する恐怖心を抱いていたそうだ。

家の東側には、小さな畑と鶏小屋、そして山への入口があった。
道は道でも人一人が通れる程の獣道で、村の人でないと分からない道だった。
母達の通学路は、家の東側の山沿いを回り込むように歩いて行く。
砂利道を行くとすぐに山の斜面に切り立った崖があり、
時々その上の方に何かの気配を感じて、とても怖かったそうだ。
何故なら、 「うううーっ。」 という、唸り声のような声が、時々聞こえていたとのこと。
母は、最初はずっと熊だと思っていたそうだが、段々と人の声ではないかと思うようになった。
学校でも級友達の間で、 「山の上に何かいる。」 と、まことしやかに囁かれていたそうだ。

ある夕方、小学生の母は、鶏小屋の卵を取ってこいと言われて、鶏小屋に向かった。
畑を過ぎて小屋の前に周ると、三つに区切られた檻の一番奥の檻の錠前に鍵を差して開け、檻の中に入った。
鶏は逃げて近寄らないので、平気だったそうだ。
ただし、 (コーッ、コッコッコッー) とうるさく騒ぐので、さっさと卵を回収する。
その時だった。
ガサッ、ガサッ、ガサッと何かが近付いてくる足音がして、最初は、父親の長靴の音かなと思ったそうだ。
しかし、何となく違う気がして、子供だった母は、そのまま檻の片隅にしゃがんで、小さく丸くなった。
じっとしていると、足音が近付いて、それはとうとう母の檻の前まで来た。
夕暮れの薄闇の中、それは、父親でもなく熊でもなく、ぼろぼろの服を着た知らない大人だった。
やがて、兄の自分を呼ぶ声が聞こえてくると、その大人は、慌てて立ち去ったように見えたそうだ。
母は、何故かそのことを誰にも話せず、ただ怖くて鶏小屋に一人で行けなくなった。

その大人が、誰だったのか、それは母が大人になってから、明らかとなった。
母から聞いた話では、当時、山には、掘っ立て小屋が幾つかあり、
そこに結核等の病気で家を追われた人達が暮らしていたそうだ。
『姥捨』ならぬ、『病人の置き去り』だった。
時々、その人達の家族が、こっそり食糧等を運んでいたらしい。
理由は不明だが、村全体でその事を黙認していたらしい。
母が思うことには、山に人の気配があると、熊も離れていくと思われていたからではないかとのことだった。
どの程度の規模でどの程度の人が住んでいたのかは、全く不明で、病気が感染る事を恐れ、近寄る村人は、皆無だった。
そして、恐らくそのまま死亡したとしても、そこに埋められたか、または放置されたか、その後のことは、誰にも分からなかったそうだ。
恐らくその後、医療体制が整って、その風習は、自然に消滅していったものと思われた。
聞こえていた唸り声は、悲しみの声なのか、それとも苦しみの声なのか、
昼でも夜でも関係なく聞こえていたそうだ。

母は言う。
『死』は、死を呼ぶ。
その後、自殺の為に山に入る人が、増えたそうだ。
また、村で原因不明の一家心中もあったという。
『富士の樹海』が自殺で有名だが、自殺の多い山は、けっこうあるのではないかと。

母が結婚してその土地を離れ、私が生まれた。
毎年お盆になると山村の母の実家に親戚一同が集まり、大人達は宴会、子供達はゲーム大会で夜遅くまで盛り上がった。
周りに家もなく、騒いでも何の問題も無かったのだ。
小学6年生の夏、夜の10時過ぎ、トランプ大会で盛り上がっていると、車の音がして家の前で止まった。
私は、 (また誰か親戚の人が来たのかな) と思いカーテンをめくると、
家の前の街灯もない真っ暗な道路に、タクシーが止まって人が降りた。
その人は、山の方を向いていた。
タクシーが去っても、家には誰も訪ねて来なかった。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ


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