病院に纏わる話 えみ子ちゃん

 私が小学三年生の時、具合が悪くなり、腎臓の病気で入院した。
 運悪く、ちょうど夏休みに入ったばかりの時だったので、貴重な夏休みを丸々病院で過ごすこととなった。

 病院は、市の中心部にあり、駅に近い場所だったが、周りには木々も多く、目の前に広い公園もあって割と静かだった。
 建物は五階建てで、一階が外来、二階から五階が、入院病棟になっていた。
 小児病棟は三階にあり、部屋は男子と女子に分けられていて、一部屋に四ベッドずつの部屋だった。私の部屋には、年齢も様々で、幼稚園児から中学生までの女の子四人だった。
 入院して治療を受けると熱も下がり、病状も落ち着いてきた。
 私には、毎日の尿検査と投薬があったが、それ以外は暇だったので、夏休みの宿題をしたり、同じ部屋の子と遊んだり、病院内を探検したりと、意外にも楽しい日々を過ごしていた。

 私には、ある程度の自由があった。しかし病院には、そうでない人が沢山いるんだと、子供ながらにショックを受けたことを今でも覚えている。
 女子の四人部屋の一方の壁に透明なガラス窓があって、そこから隣の部屋が見えていた。そこは一人用の個室になっていて、そこにも女の子が入っていた。
 今考えると、恐らく、個室に子供が一人では寂しいので、四人部屋との間にガラス窓があったのではないかと思われた。しかし、その窓を開けることは禁止されていた。だから、その中の女の子と会話をすることは、全く無かったのである。
 かろうじて、『えみ子ちゃん』という名前と小学一年生であることは聞かされていた。
 私がベッドで上半身を起こすと、左側斜め先にガラス窓を通して、えみ子ちゃんが見えた。
 私は、多分子供の頃からの悪い習性で、『人間観察』をする癖があった。 だから、個室に入っているえみ子ちゃんをこっそり観察していた。
 とはいえ、入院しているので、殆ど寝たきりの状態で、彼女はテレビを見たり、絵本を見ていることが多かった。
 そして、お母さんがいつも付き添っていたので、二人で楽しそうに会話をしていることもあった。

 八月に入り数日過ぎた頃、夕方から、病院前の公園が賑やかになってきた。
 灯りが点いて、流行りの音楽が流れ、時々、マイクのテスト音声も聞こえてきていた。
 窓から外を眺めると、目の前の公園で、やぐらが組まれていて、紅白の幕で覆われていた。そして、その周りを囲むように沢山の屋台が、出ていた。
「お祭りだ!」
 誰かが、大声で叫んだ。どうやら、夏祭りの準備をしているようだった。
 私も自然に気持ちが高揚したものの、ここは病院だった。お祭りに行けるはずもない。
 ところがである。 看護婦さんが来て、私達をお祭りに連れて行ってくれるという。
 みんな、それはもう大喜びだった。着替えをし、男の子達と合流して、看護婦さん二人と共に、病院前のお祭り会場に向かった。
 お金は看護婦さんが立て替えてくれたので、屋台で水ヨーヨーやお菓子を買い、ブランコや滑り台にも乗った。
 やぐらの周りでは、盆踊りが始まり、大人も子供も楽しそうに踊っていた。
 ふと、病院の方を見上げると、灯りの点いた病棟の窓に沢山の人の顔があった。入院している患者さん達も、この夏祭りを見下ろしているようだった。
 少し怖かったのは、その殆どの人達に笑顔が無かったからだ。何か別の世界をただ見下ろしているかのように、のっぺりとした印象だった。
 今思えば、窓の顔が、全部ちゃんと人だったのかさえ疑わしかった。
 その中にえみ子ちゃんを見つけた。あの個室の外に面した窓からこちらをじっと見ていた。
 ふと、子供ながらに、私達だけお祭りに来て、申し訳ないなという罪悪感を抱いた。 私は、ジュースを二本買った。
 一本は自分用で、もう一本はえみ子ちゃんへのおみやげ用だった。

 部屋に戻る途中、ジュースと水ヨーヨーを看護婦さんに渡して、えみ子ちゃんに渡してもらうようお願いした。
 着替えをしながら、私は、窓越しにその様子を見ていたが、えみ子ちゃんはとても嬉しそうに笑顔を見せ、お母さんと共に私の方を見てお辞儀した。 私も嬉しかった。
 その日は、買ってきたジュースを飲んでそのまま寝てしまい、夜中にトイレで目が覚めてしまった。
 私の部屋の斜め前にナースステーションがあって、そのすぐ先にトイレがあったので、明るくてあまり怖さは感じなかったと思う。
 それでも看護婦さんに一緒にトイレに行ってもらい、帰りは、ナースステーションの前で、 「お休みなさい」 と挨拶した。
 部屋の入口は、もうすぐ目の前に見えていた。 ところが、その数歩のところで、私は、奇妙な音を聞いて立ち止まってしまった。
 今でもはっきり覚えている。
(びちゃん……びちゃん……びちゃん……) という音が、廊下中に響き渡っていた。
 私は、怖くなって急いでベッドに駆け戻ると、タオルケットに潜り込んだ。
(あの音は、水ヨーヨーの音だ。えみ子ちゃんが、遊んでいるのかな) と思って、タオルケットから顔を出し、隣の部屋のえみ子ちゃんを見た。
 暗かったが、目を凝らして見ると、えみ子ちゃんは、ちゃんとベッドに寝ていたので、私もそのまま眠ってしまった。 それが、私がえみ子ちゃんを見た最後だった。

 翌朝、私は目が覚めて起き上がると、隣の部屋との間にある窓に、白いカーテンがしてあって、えみ子ちゃんが見えなかった。
 数日後、次にカーテンが開いた時、えみ子ちゃんのベッドは、空になっていて、看護婦さんから、 「亡くなった」 と聞かされた。
 自然と涙が溢れて止まらなかった。私が初めて『人の死』を認識した悲しい出来事だった。

 私も大人になり、その病院は、新しく大きく建て替えられた。スタッフも補充されることになり、私の妹が、そこで検査技師として働くことになった。
 私は、自分の仕事の勤務先が他県だったので、休みを取り、時々帰省していた。
 妹と病院の話になった時、急に昔のことが思い出された。あの夏祭りのことも。
 病院は、公園だった場所も含めて、広く大きくなり、設備も充実してスタッフも大幅に増員されたという。
 ところが、この新しい病院で、すでに幽霊話が出ているのだという。
 妹は、幽霊の存在など全く信じていないためか、まるで笑い話をするかのように話した。
 例えば、夜中、一階にある外来の廊下にある血圧計の前の椅子に、半透明のお爺さんが座っていて、一生懸命に血圧を測ろうとするも、上手く測れず怒っているとか、四階の病棟にある四人部屋で、ベッドとベッドの間に白髪の小さい半透明のお婆さんがしゃがんでいて、「お腹空いた」と言われるらしい。
 そして、妹も見たそうだが、三階のある病室の天井に設置されている火災報知器の側面の3センチ位の幅の所に『た○○』という名前らしき悪戯書きがあったそうだ。
「なんでこんな天井の高いところに、書いてあるのか」 と不思議に思っていると、別の日には、壁紙の一番天井に近い場所に二ケタの足し算の計算式があり、その答えが残念なことに間違っているだという。
 内装工事の設備屋さんが間違ってということではなく、ある日突然何も無かった所に書いてあったということらしい。
 妹が、 「悪戯だとしても、わざわざあんな高い場所に書かなくてもいいじゃない」 と話していた。
 そして、極め付けの出来事があったのだという。

 先生とスタッフ達で飲み会をして、その中の三人が遅くなり、病院の宿直室に泊まろうと、深夜、病院に戻った。
 喉が渇いていたので、二人が自動販売機までジュースを買いに行き、残った一人は、待合室の椅子の上で酔っ払ってダウンしていた。
 二人が、ジュースを三本買って戻ると、ダウンしていたはずのスタッフが、ジュースを飲んでいた。
「おまえ、いつの間に買ったんだ?」 と聞くと、 「これか、女の子に貰ったんだ」 とのこと。
 その酔ったスタッフは、オロナミンCドリンクをとても美味しそうに飲んでいたそうだ。
 ジュースを貰った時は、上の階の入院している子供だろうと思って、 「ありがとう。早く部屋に戻って寝てね」 と言ったそうだ。
 ところが、よく考えてみると、見たことのない女の子だったという。
 翌日、お礼を言うため、小児病棟を訪ねたが、やはり該当する女の子は居なかったそうだ。

 その話を聞いて、私の中で、何か込み上げてくるものがあった。
「えみ子ちゃんだ」
 私は、つい言葉に出してしまった。
 本当にただのこじ付けでしかないのだが、私がお祭りの時に、えみこちゃんに買ってきたジュースは、私の大好きだったオロナミンCだった。
 あの時、えみこちゃんは、本当に嬉しそうに微笑んでいた。だから、今でも鮮明に覚えている。
 そして、翌日カーテンが閉められたため、気になって部屋の前まで様子を見に行くと、部屋のネームプレートに、 『田○えみ子』 と記されていた。
 私の心に深く深く刻まれた名前だった。

 火災報知器の脇に記された『た○○』の文字といい、オロナミンCの話など、ただの偶然かもしれない。
 しかし、二つも重なると、えみ子ちゃんがまだ居るのではないかと思えてならなかった。
 私は、妹に、えみ子ちゃんの話をして、 「学校に行きたくても行けなかったから、ちゃんと計算式の間違いを直してあげて」 とお願いした。
 オロナミンCのお供えも忘れずに。

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