悪/縁

 知り合いのJさんは、学生の頃、北海道の大学に通っていた。
 だから、彼の友人達も北海道に留まっている方が多く、今だにお歳暮やら年賀状などのやり取りが続いているのだという。
 そのお歳暮の北海道のご当地ラーメンのお裾分けを頂いた時に、Jさんからお聞きした話である。

 Jさんが大学四年の冬、正月を実家で過ごそうと、帰省することにしたそうだ。
 北海道からの帰省は、簡単ではなかった。
 大学近くの住み慣れたアパートを出て、まずバスに乗った。すると、バスの車内には、自分と同じように帰省のためか、大きな荷物を持って座席に座る数名の男女がいた。
「みんな正月だから家に帰るんだな」 と思って、知り合いがいないか見渡すと、一人の女子が目に止まった。
 彼女は、Jさんと学科が同じだったが、ゼミは違っていた。
 四年間幾つかの授業が被っていたので、顔は知っていたが、名前など全く分からない程度の女子だった。
 彼女は、どちらかというと、服装は地味だが、顔は整っていた。
 しかし、美人という感じではなく、優等生タイプのしっかりした印象だった。もちろん会話をした記憶も無かった。
 駅前でバスを降りると、札幌に向かうため、電車に乗った。 するとまたしても、すぐ近くに彼女が座っていた。
 札幌駅で電車を乗り換え千歳空港に向かう。彼女を見つけた。
「ああ、彼女も飛行機で帰るのかな」 と思ったそうだ。 そして果たしてその通り、飛行機も同じだったそうだ。
 Jさんは、岩手県出身で家が空港の近くだったが、彼女は更に電車に乗ったようだったとのこと。
 Jさんは、彼女に話し掛けることも出来なかったが、同郷であったことや帰り道がずっと一緒だったことに、何か高揚感が誇大した感覚を覚えたそうである。
 Jさんは、人当たりも良い人で、顔もまあまあだし頭も良い。
 友人がたくさんいたそうだが、女性には奥手で、恋愛経験が皆無だった。だから、彼女の事を意識し始めたものの、どうしたらよいか、全く分からなかったそうだ。
 そして、その後の数ヶ月間、彼女とは、大学内でたまに見掛ける程度で、話すことも出来なかった。
 Jさんは、妄想の中で彼女との会話を色々とシミュレーションしたとのこと。
「この前、帰省の時、ずっと一緒だったね」
「出身は岩手県?」
「俺、〇〇出身なんだ」
 しかし、どうしても話し掛けられず、残念ながら卒業してしまった。

 そしてJさんは、地元の岩手県内で就職したため、最初の勤務地である沿岸地域の営業所に配属となった。
 会社から寮の斡旋があり、そこに住むことになって引越しをすると、そこは旅館の一室であった。
 沿岸では、アパート数も少なく、物件の空きが無かったため、長期滞在者用に旅館側で安く提供してくれていたそうだ。
 そして、Jさんは、偶然にもそこであの帰省を共にした同級生の彼女との嬉しい再会を果たした。
 なんと、その旅館の主人の娘さんだったのだ。
 Jさんは、 「こんな奇跡的な再会が本当にあるなんて!」 と、大変驚いたという。
 そこで彼女に、かろうじて同じ大学だったことは伝えられたが、共通の友人がいるわけでもなく、残念ながら話題には乏しかった。
 更に彼女は、地元の役所に就職していたので、仕事での接点は全く無く、Jさんも朝早くから夕方遅くまでの仕事だったので、お互いに認識はしていたものの、顔を合わせることは少なかったそうだ。
 気にはなるけど遠い存在で、ただ、彼女を見つめるだけで、満足していたのだという。
「縁というのは不思議だけど、糸口がたくさんあったのに、彼女とは絶対に結ばれなかったんだ」 とJさんは、しみじみ言う。
 Jさんは、彼女に対するモヤモヤした感情を振り払うかのように、仕事を覚えるのに集中して、忙しく働いた。
 そして彼女は、Jさんとは関係のないところで彼氏ができ、付き合い始めた。しかし、その彼氏が最悪だったそうで、借金や暴力などむごいエピソードが連なり、子供まで出来て、とても苦労したと後から聞かされたそうだ。
 Jさんは、ようやく仕事にも慣れて落ち着いた頃、内陸の自分の地元に転勤となって、残念ながら、同級生の彼女とも離れ離れとなってしまった。
 そして他のある女性と縁があって結婚したが、性格の不一致で、数年後、離婚してしまったそうだ。
 Jさんは、その頃から何度となく同じ夢をみるようになったそうだ。夢の中では、あの同級生の彼女と仲良く楽しげに会話していた。
 そして、目が覚めて物凄く後悔する。なんで、話し掛けることが出来なかったのかと。
 そして、あの3・11の地震が起きた。
 沿岸地域は、壊滅的な状況となり、Jさんは、ようやく連絡が取れたところで、同級生の彼女の死を知ることとなった。
 彼女の死を心から悼み、彼女の姿を思い浮かべると、彼は、急に気が付いた。
 本当に急にだったという。
 彼女の横には、いつも黒い二十センチ位の鬼の顔が、空中に浮かんでいて、なんとなくそれがとても不気味で、近寄れなかったということに。
「その鬼の顔の事を今まですっかり忘れていたんだよ」
 Jさんは、時々思うのだそうだ。
「もし勇気を出して彼女と付き合っていたら、彼女は死なずに済んだかもしれない」と。
 私は、Jさんの話を聞いて、考えていた。
「きっと逆なんだ」と。
 Jさんが勇気を出して、彼女と付き合っていたら、Jさんは、きっとあの地震津波で彼女と共に亡くなっていたのではないかと。
 昨年秋に、Jさんのお祖母様が亡くなり、Jさんも急ぎお祖母様の家に向かったのだという。
 そこで改めて仏壇の中を見て大変驚いたそうだ。
 そこには、この地域特有の角(つの)の無い鬼の面があった。
 この地域で古くから伝わる伝統芸能の鬼剣舞(おにけんばい)を舞う時に付ける面で、本来なら五色あるのだが、その面は北を意味する黒の面だった。
 その鬼の面は、家の人の話だと、お祖母様が亡くなる少し前、自分の部屋から持ってきて、仏壇に飾ったのだという。
「この面は、ご先祖様が鬼剣舞(おにけんばい)を踊った時に使っていた面だ。ご先祖様が皆んなを守ってくれている」 と言っていたそうだ。
 この鬼の面は、見た目とは違い、悪いものを祓う念仏踊りを踊る際に付ける面なので、角(つの)の生えた怖い鬼とは、別の意味を持っている。
 Jさんは、すぐに、思い出したそうだ。亡くなった彼女の横にいつも見えていたのは、この黒い鬼の面だったのではないかと。
 Jさんは、現在、独立してご自分の会社をご自身で経営されている。お仕事は順調で、人にも恵まれている。
 きっと守り神が付いているのだろうと思う。

朗読: かすみみたまの現世幻談チャンネル
朗読: ゲーデルの不完全ラジオ
朗読: 十五夜企画

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる