赤い服の女

 とある男が体験した話。 男の名はAとする。
 Aは高校卒業後上京していたが仕事がうまくいかず、数年後実家のある群馬県に戻ることになった。 「東京で成功してやる!」 と啖呵切って地元を飛び出してきた手前、戻って来たことを友人らに連絡しにくく、しばらくは実家に引きこもっていたそうだ。
 ただただ無為に過ぎていく日々。両親からも「早く仕事しなさい」と毎日しつこく言われ、A自身、「このままじゃまずいよなぁ」と感じながらもずるずると、毎日テレビ観てゲームをやって、寝て食って、また寝て。そんな自堕落な日々を数週間ほど過ごしていたそうだ。
「このままじゃ俺、終わる」 ある夜、不意にAは思い立った。
 数日前に母親が知り合いの社長に頼んでくれて、「やる気があるならいつでもおいで」と言ってくれている会社があったのだ。
「もうその会社に行こう。こんな生活、今日で終わりにしよう!」
 時刻は夜中の12時近かったが、このまま寝てしまったらまた自堕落な明日が始まってしまいそうだったので、Aは今から履歴書を書き始めることにした。
 引き出しから履歴書を引っ張り出し、机に向かって書き出した。
 ざっと書き終えて、残るは写真だけだ。時計を見ると午前1時。
「行くか」
 Aは近所のスーパーにインスタント証明写真機があったのを覚えていたので、身なりを整えて財布と煙草だけ持って家を出た。 スーパーは徒歩圏内だ。
 夜中の町はひどく静かだった。 ただでさえ田舎の町だし、ずいぶん前から過疎化も進み、駅前の商店街はほぼシャッターになっており、死骸のような有様だった。
 数年前はまだやっていた店も軒並み閉店していて、本当にゴーストタウンのような様相を呈していた。
 Aは寂しい気持ちと不気味な気持ちと、なんとも複雑な気持ちで目的地のスーパーまで歩いた。
 やがてそのスーパーに辿り着いたが、Aはその時になって気が付いた。
 そのスーパーも廃業してしまっていたのだ。
 昼間の明るい時にはパッと見ただけで気付かなかったが、よく見れば店内はがらんとしているし、外壁は一部剥がれかかっている所もあった。
「うわぁ。地元で一番デカい店だったのにな」
 そしてこのスーパーはAの同級生の実家でもあった。
「あいつ、どうしてんだろうな」
 そんなこんなで潰れてしまった同級生の実家スーパーだが、駐車場の一角でインスタント証明写真機は現役で稼働中だった。
 暗闇の中白白した光を放っている機械に近づき、Aは早速写真を撮ろうとした、のだが……なんと誰かが撮影中だった。
(え?こんな時間に?)
 かなり違和感があったが、閉じられたカーテンの下からは、赤いスカートと白い脚、赤い靴が見えた。
(女だ)
 仕方ないのでAは少し離れたところで彼女が撮影を終えるのを待つことにした。
 しかしタバコを一本灰にしてもまだ女が出てくる気配はない。
 ずいぶん遅いなと、Aは身を乗り出して証明写真機を覗き込んだ。
 すると、いつの間にかカーテンが空いていて、女の姿はなくなっていた。
「あれ?」
 いつの間に……。
 怪訝に思ったAだったが、まあずっと凝視していたわけでもないしと思い、写真機の中に入った。
 小銭を入れてカーテンを閉め、座椅子の高さを調節する。
 正面の画面に映る自分の顔をみながら髪を整えていると、 「私、綺麗になったでしょ?」
 突然すぐ横で女の声が聞こえ、Aは驚いて硬直してしまった。
 横を見やると、カーテンの下に、白い脚と赤い靴が見えた。 さっきの女だ。
 写真機のすぐ横に立ってる。
「ねえ、私、綺麗になったでしょ?」
 やばい、頭おかしいやつだ。
 Aは女がカーテンを開けて来やしないかとヒヤヒヤしながらも、撮影が始まってしまったので仕方なく女を無視して写真撮影を終えることにした。
 何度かシャッターが切られる。
 撮影が終わってAがカーテンの下を見ると、さっきの女の姿はなくなっていた。
 ああ、よかった。 どっか行ったか。
 プリントする写真を選び、写真機から出て、現像が終わるのを傍らに立って待つ。
 きょろきょろ周囲を見やるが、女の姿はない。
 正直こんな夜中に頭のおかしい女に出くわしたくはない。 写真を受け取ってさっさと帰ろうと思っていた。
「ねえ、私、綺麗になったでしょ」
 突然またあの声が聞こえ、Aは「わ!」と声を出してしまった。
 どこ? どこにいる?
 次の瞬間、写真機のカーテンがいつの間にか閉じていることに気づいた。
 そして、その下から赤いスカートと白い脚、赤い靴の姿が目に入った。
 Aは声にならない悲鳴を上げ、ちょうど現像されて出てきた写真をひったくるようにして取ると、ダッシュでその場を離れた。
 シャッターの閉じた、廃墟のような無人の商店街を猛ダッシュで駆け抜ける。
 決して振り向かず、Aはひたすら家に向かって走った。
 次の瞬間、 キキキーーー!!!
 道路に飛び出したAの目前で一台の車が急停車した。
 ププーーー!! と怒りのクラクションに身をすくめ、Aが呆然となっていると、運転席の窓から一人の男が顔を出した。
「あれ? A? Aじゃないの?」
「あ……」
 彼は、Aの同級生のBだった。
 中学高校と一緒で、地元にいた頃は比較的よく遊ぶような仲だった。
 Aは慌ててBの車に走り寄り、「頼む!ちょっと家まで乗せてって!」
「なんだよいきなり。つーかA,いつ帰って来てたんだよ」
「車で話すから、ちょっととりあえず乗せて!」
 無理やりBの車に乗り込んだAは、数週間前に地元に戻っていたこと、大見得切って出て行った手前、気まずくてみんなに連絡できないでいたこと、などを手短に話すと、今あった話をしようと身を乗り出した。
「でさ、俺明日使う履歴書の写真を撮りに、さっきCスーパーに行ってきたんだけどさ。あそこもいつの間にか閉店しちゃってたんだな。そこでさ――」
 女の話をしようとしたAの言葉を、Bが遮った。
「なんだお前、知らなかったの? え? じゃあお前、あのCのことも知らないの?」
「Cのこと?」
 Cとはそのスーパーが実家だった、二人の同級生だ。
 AはそれほどCとは親しくなかったが、風のうわさで、彼が結婚した奥さんと二人でCスーパーを継いで経営していると聞いていた。
 Bはやや声をひそめてつづけた。
「いや、Cのことなんだけど、あいつ、嫁さんと小さな子供と一緒にあのスーパーの二階で暮らしてたんだけどさ、不倫しちゃってさ」
「不倫か。確かCって女にだらしない感じだったよな、昔から」
「そうそう。そんでその相手が、同じクラスだったDだったんだよ」
「え?あのD?だってあいつ……」
 Dは二人の同級生だった女子で、Aは高校卒業以来Dとは会ってもいなかった。
 高校時代のDは決して綺麗なほうではなく、どちらかと言うと冴えない根暗なイメージだった。
「そう、その根暗だったDと同窓会で再会した時、Cのやつ、酔っぱらって面白半分で口説いたらしいんだよ。そりゃDは口説かれたのなんて人生初だろうからだいぶ舞い上がっちまったらしくてさ。何度かやったらしいんだけど、Cはそれで関係切ろうとしたら、Dが本気になっちゃったらしくてさ」
「ああ、ありがちなパターンで最悪なやつじゃん」
「そうなんだよ。で、CはDとの関係が奥さんにもばれてもう修羅場。離婚だなんだって話になったらしいんだけど、Cが謝りまくって、Dとの関係も全て切ることを約束してなんとか許してもらったんだと」
「へえ……」
「そんでそのとき、結構CはひどいことDに言ったらしいんだよな。お前みたいなブス本気で相手にするわけねえだろとか、二度とその不細工な顔見せるなとか。まあ、噂だけど」
「ひでえな」
「……で。マジヤバいのがここからで、Dはそれがきっかけでうつ病になって、家から出られなくなっちまって。Cはその間も平気な顔してあそこでスーパー経営してたんだけど。何年かしてある時、Dが突然家を飛び出してCのスーパーに行ったんだけど。その時のDは、真っ赤なドレスを着て、めっちゃ化粧して、かなり異様な姿だったんだと」
「真っ赤なドレス……」
 Aはぞっと鳥肌が立つのを感じた。
「で、Dはその姿でスーパーの中にどんどん入って行って、スタッフルームまでどんどん入って行って、Cを見つけると駆け寄ってって言ったんだと。『私、綺麗になったでしょ?』って。で、その場でガソリン頭からかぶって焼身自殺」
「……嘘だろ」
 Aはものすごい悪寒に襲われた。
「マジだよ。当時新聞にも載った事件だぜ。結局それが原因でスーパーは廃業。ついでにCは奥さんと子供にも逃げられ、今はどこでなにをしてんのか、俺も知らんのよ」
 ガタガタ震え出したAを見て、Bが首を傾げた。
「どうした?寒い?そういえばさっきそのスーパーが何かって言おうとしてたよな?」
 Aはハッとして顔を上げ、ポケットにねじ込んでいたさっきの証明写真を取り出した。
「うわぁっっ!!!」
 そこには、焼けただれた顔の女が、真っ赤なドレスを着て写っていた。
「ねえ、私、綺麗になったでしょ?」
  Aはその声を一生忘れられないだろうと思った。

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