誰かの夢

 職場の後輩から聞いた話です。

 ある時から、特定の人が出てくる夢を見るようになりました。
 夢の内容は至って平穏なものなのですが、どのシーンでも私は何故か、見知らぬ男性と一緒にいるのです。
 出てくる男性はいつも同じ人で、爽やかな笑顔が似合う好青年でした。
 夢の中でその青年と私は、とても親しい中のようで、ある日は居酒屋で向かい合ってビール片手に談笑していたり、またある日はテレビを前に並んで座って一緒にゲームをしたりと、特別な関係にあるようでした。
 ですがそれはあくまで睡眠中の出来事で、私は現実でその男性に会ったことも、姿を見かけたこともありません。
 夢は記憶の整理といいますから、私の体験の隅にあるような街の中ですれ違っただけの人が出てくることもあるでしょう。
 あるいは、今までに自分が見てきた人たちの顔を合成して自分の理想の人物を作り出しているだけかもしれません。  
 しかし、夢に人が出てくる時は決まって彼であると言ってもよいくらいの頻度で私の夢に現れるその男性。
 夢の中でいつも私に楽しそうに笑いかけてくれる異性ということもあって、存在するかどうかもわからないその男性に、私は若干の好意さえ抱いていました。
 それだけであればただの私の妄想の話ですが、そうではなかったのです。

  夢を見始めた時期とちょうど同じくらいの頃、私は新しく見つけたカフェを気に入って、月に数回のペースでそこを訪れていました。
 いつものソファー席に座り、コーヒーが運ばれてくるのを待っていた時のことです。
 視界に入った男性の姿に、私は思わず声をあげそうになりました。
 フロアを静かに歩きながら視線を彷徨わせている男性。
 視線が下がっている様子から、待ち合わせの人を探しているというよりも席を決められず迷っているように見受けられました。
 その男性の顔は、夢で何度も見たあの男性と瓜二つでした。
 男性はしばらくフロアを進んだのち、テーブル席へと腰を下ろしました。
 ちょうど私の座る位置から横顔が見えることもあって、私は運ばれてきたコーヒーを飲むたびについ、ちらちらと彼の容姿を夢の中で見たそれと照らし合わせてしまっていました。
 距離は離れていますが、いつかの日にゲームをプレイしながら見た横顔が、まさに今見えている彼の顔と一致しています。
 ありきたりな表現ですが、これは運命だ、と思いました。
 後になって冷静に考えれば、気味が悪いと思われても仕方がないのですが、人生でそう遭遇しない出来事に興奮していた私は、その男性に自ら声をかけたのです。
「夢で逢いませんでしたか? なんて、最初はナンパかと思いましたよ」  
 何度目かのやり取りで初めて会った際のことを振り返った時、彼はそう言っていました。
 私自身は具体的に何と声をかけたのか思い出せませんが、直近で見た夢のエピソードを話したこと、そして彼が私の突拍子もない言動に嫌な顔せず向き合ってくれたことは覚えています。
 自らの名前をKと名乗ったその男性。Kさんと私が仲良くなれたのには、理由がありました。  
 結論として、Kさんは私の夢に出てきた本人ではありませんでした。
 夢の中の登場人物について、本人か本人でないかという議論は滑稽な気もしますが、Kさんにはそう主張する背景がありました。
 私の夢に出てきているのは、自分ではなく弟なのではないか。そう言うのです。  

 Kさんには双子の弟がいるそうなのです。
 一卵性双生児で顔もよく似ており、よく間違えられると言っていました。
 そして、背景はそれだけではないのだとKさんは言いました。
「僕の弟は今、行方不明なんです」  
 数カ月前から連絡が取れなくなり、心配したKさんが田舎から出てきて弟さんを探している最中に私と出会った、とのことでした。
 警察に届け出ても進展がないらしく、自らの足やSNSを使って弟さんの情報を集めているのだと教えてくれました。
「そんな時にあなたが声をかけてくれた。これは僕にとっても、運命だと思ったんです」  
 私はKさんから、夢の内容を教えてほしいと頼まれました。
「あなたの夢に出てきているのがもし弟だとすれば、それは何かのメッセージかもしれない」と言うのです。
 予想していなかった依頼に、私は困惑しました。
 私が普段見ている夢は行方不明などという不穏な出来事とはどうにも結びつかない、平和な日常の夢ばかりだからです。
 しかしKさんは、それでも構わないとのことでした。些細な情報でもいいから弟さんのことを知りたい、そんな切実な思いがKさんの表情や声色から伝わってきて、私は了承しました。
 夢の中でいつも会う本物の彼に会ってみたいという気持ちも、少しばかり持っていたように思います。
 それ以来、私たちは定期的にカフェで待ち合わせ、私が見た夢の内容とKさんの弟さん捜索の進展を共有する機会を作りました。  
 もともと田舎に住んでいたKさんはこのあたりの土地勘や知り合いなどの伝手もないらしく、弟さん探しは難航していたようでした。
 一方の私は相変わらず夢を見続けており、共有の内容は私が見た夢の内容がメインになっていました。
「一昨日、映画館で一緒に映画を観る夢を見たんです」
「映画ですか」
「はい」  
 私はいつも通り、見た夢の内容を一通りKさんに説明しました。
 映画館の場所や映画のタイトルは残念ながらわかりませんでしたが、主演俳優には見覚えがありました。
 出演者の名前を伝えると、Kさんがスマホで検索をかけます。
「もしかして、この映画ではないですか」  
 Kさんが見せてくれたある映画のホームページには、夢で観たのと同じ容姿のキャストたちの姿が映し出されていました。
「多分この映画だと思います」と答えながら、私はその画面を見て別のことに気づきました。
「この映画、今も上映されてるんでしょうか」  
 ホームページに書かれた映画の公開日は、今から3か月以上前のものでした。
 大ヒット作品であれば数カ月にわたって上映されることはありますが、それほど反響の大きい映画であれば、夢を見た時点で映画のタイトルが出てきそうなものです。
 実際に付近の映画館のサイトで確かめたところ、上映は既に終了しているようでした。
「私が見ているのは、弟さんの現在の様子ではなく、過去の姿なのかもしれません」  
 Kさんも、私と同じ仮説を導き出しているようでした。
 自分の夢が弟さんの行方を追う糸口になっているという手ごたえがあって、私は見た夢からできる限りの情報を得ようと努めました。
 そうしてまた、夢の中で新たなことを発見したのです。

 その日の夢は、電車に乗ってどこかへ向かっていると思われるものでした。
 もしくはどこかからの帰り途中だったのかもしれません。
 私と彼は隣同士で座席に座り、手を繋いでいました。現実での感触はありませんでしたが、私の右手と彼の左手はしっかりと繋がれて、彼の膝の上に置かれています。
 彼の左の手首に小さな黒子が2つ並んでいたのが印象的でした。
 横を見ると、彼は眠っているのか目を閉じて微笑んでいました。
 時刻を確認しようとしたのか、腕時計のついた反対の腕を持ち上げたところで、その日の夢は終わりました。
 「それで、気づいたことというのは?」  
 夢の一部始終を聞き終えたKさんに向かって、私は自分の左手を差し出しました。
「夢の中の私は、アナログの腕時計をしていました。ですが私が普段から使っているのは、スマートウォッチなんです」
「なるほど。夢に出てきた腕時計に見覚えはありますか?」
「残念ながら、ありません。時計は、Kさんがちょうど今されているような金属製のベルトのものでしたが、私はそのような時計を持っていないんです」
「そうなんですね……」
「ただ、この出来事から考えられるのは、私は自分の夢を見ているのではなく、誰か別の人の、弟さんとの記憶を見ているのではないか、ということです」
「別の人の、弟との記憶」  
 Kさんは自らの左手に身につけている腕時計を眺めながら、私の言葉を咀嚼するように、ゆっくりと繰り返した。
「時計のデザインはレディースだったので、女性であることは間違いないと思います。弟さん、どなたかとお付き合いされていたのではないでしょうか?」
「弟に彼女ですか……すみません、弟とはそのような話をしたことがなくて」
「いえ、私も単なる可能性として話しているまでなので、仮説のひとつだと思ってください」
「ありがとうございます。僕の方でも、そういった人がいないか探してみます」  
 この女性の存在が弟さんの行方を握る鍵となるのではないか。Kさんには可能性のひとつと伝えたものの、私の中ではそんな根拠のない確信を持っていました。
 順調に思えた、弟さんを探す試みに影が差し始めたのは、時計の夢を見てから二週間ほど経った頃でした。  
 夢に、彼以外の男性が現れるようになったのです。
 初めてその男性を見たのは、街灯と通行人の少ない夜道でした。
 向かい側から歩いて来た男性が突然足を止め、私の方を見ているのです。
 パーカーのフードを目深にかぶっていて、その顔は見えません。
 私はできるだけその男性の方を見ないようにして、足早にその場を去っていく、そんな夢でした。  
 さらに、その男性が夢に現れた日は、弟さんは現れないのです。
 私は、弟さんの夢とこの男性の夢はまったく別のものなのかもしれない、と考えていました。
 だから、Kさんに弟さんの夢を見なかったと打ち明けた時、それでも構わないから夢の内容を話してほしい、と言われたことにとても驚きました。
「まだ弟とその男が出会っていないだけで、これから接点を持つ可能性も考えられます。それに、いつも協力してもらっていますから。もし僕が夢の話を聞くことであなたの心が軽くなるなら、我慢せず話してください」
 見ていてよい気分になる夢ではなかったので、Kさんの心遣いは私にとってありがたいものでした。
 この夢も今後何かの役に立つのならと、私は男性の夢を含めて、夢の内容をKさんに共有し続けました。
「なんだか最近、弟さんの夢を見る頻度が落ちてきているみたいで……すみません」
「謝らないでください。例の男の夢を見るつらさだってあるでしょう」
「正直なところ、弟さんではない男性が出てくる夢はいつも同じような展開で、気味が悪くて」  
 弟さんとは別の男性の夢を見始めて数週間が経った頃、会話の流れでKさんは以前から気になっていたという疑問を投げかけてくれました。
「その男の夢を見る時、腕時計はしていますか?」
「腕時計……していました。弟さんといる夢に出てくるのと同じ腕時計です」
「そうすると、弟の夢とその男の夢は、同じ女性が体験した出来事なのではないでしょうか」
「Kさんの言う通りかもしれません」  
 弟さんが一切出てこないことから、自然と弟さんの夢とあの男性の夢は無関係であると思い込んでしまっていましたが、夢の中の私は弟さんと一緒にいる時の私と同一人物でした。
 思い返せば何度か、あの暗い夜道の中でも腕時計を見た記憶があります。
 弟さんともどこかで繋がっているかもしれないと思うと、男性の夢を見た朝の嫌悪感も少し薄れるような気さえしました。
 しかし、弟さんと彼女の微笑ましい夢とあの男性の奇妙な夢を交互に見続けるというのは、感情の落差が大きく、私にとっても負担になってきていました。

 その日見た夢もまた、例の男性が出てくる方の夢でした。  
 その日は、いつもとは違う道を歩いていました。あの男性とすれ違うのを避けるためなのかもしれません。
 私は直線の道ではなく、コンクリートの階段を上っていきます。
 周りの景色こそ違うものの、夜の暗さと周囲の静けさはいつも通りで、今日の夢は弟さんではないとすぐにわかりました。
 一段一段上る間も、後ろを気にして何度か振り返ります。
 あの夜道と同じで通行人がいないことは気がかりですが、後ろから追いかけてくる人物がいないことに安堵しました。
 階段の終わりが見えてきて視線を上げた瞬間、足が止まりました。
 階段の上に、あの男性が立っていたのです。
 目が合った瞬間、男性はこちらに手を伸ばしてきて、私の両の肩を掴みました。
 カバンを掴んでいた手を離し、男性の手を引き剥がそうと全身で抵抗します。
 左右に身体を振るうちに、カバンの重みで動きに勢いがつくようになりました。
 その勢いに押されて男性の手が離れた瞬間、支えをなくした身体が後ろに倒れていくのを、視界の動きで理解しました。
 曇った空が滲んでいき、代わりに残像のように映し出されたのは、弟さんの姿でした。
 居酒屋で談笑する彼、隣に座ってコントローラーを握る彼、映画を真剣に見る横顔……今まで見てきた夢を切り取ったような映像が次々と流れて、最後には真っ暗になり、気づくと夢は終わり朝になっていました。
 Kさんに夢の内容を伝えたのは、それから一週間ほど後のことでした。
「私が見たこの夢の女性はきっと……」
「突き落とされて、亡くなった」  
 わかってはいたことですが、改めて言葉にされると動揺せずにはいられませんでした。
 話し終えてカラカラに乾いた喉を潤そうにも、カップを持つ手が震えます。
 無理してカップを持ち上げたせいでコーヒーをこぼしてしまった私に、Kさんは落ち着いて店員を呼んでくれました。
「夢とはいえ、つらい体験を話させてしまってすみません」
「私のほうこそ、弟さん探しの役に立つどころか、Kさんにまで嫌な出来事を共有してしまって申し訳ない限りです」  
 こぼれたコーヒーはKさんの腕にもかかってしまったようでした。
 Kさんは腕時計を外して紙ナプキンの上に乗せ、店員さんから受け取ったおしぼりで手際よくテーブルを拭いていきます。
 手の震えのせいで何もできない私は、Kさんの左手首に並んだ小さな黒子をぼんやりと眺めるばかりでした。その間も、Kさんは穏やかな口調で私に声をかけてくれました。
「こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、その夢のおかげで、弟のことが少しわかったような気がします」
「それは、どうして」
「弟は、恋人が亡くなったことで、希望を失ってどこかを彷徨っているのかもしれません」  
 思い返してみても、私が見た夢の中での弟さんはいつも楽しそうでした。
 大切な人を突然失ったとなれば、誰とも連絡を取りたくない気持ちになるのも不自然ではない。そう思いました。
「心当たりができたので、近々そこをあたってみます」
 その日の別れ際にそう言ったKさんの表情は、どことなく確信に満ちているように見えました。

 そしてそれ以来、Kさんとは連絡が取れなくなりました。
 しばらくの間は弟さんを追って何かの事件に巻き込まれたのではないか、あるいはあの夢の内容を話した際のカフェで粗相があったのではないかと思い悩みましたが、結論は出ませんでした。
 それから、これは薄々予感していたことですが、見知らぬ人が出てくる夢も見なくなりました。
 お気に入りだったカフェにもなんとなく入りにくくなって、付近に行くのを避けるようになっていた頃、そのカフェの近くで殺人事件が起こったというネットニュースを目にしました。
 当時別の地域で大規模な事故があり、ニュース番組などは事故の特集で持ち切りだったため、大きく報道されることはありませんでした。
 記事の内容は、男性が男性を殺害、背景は女性を巡ってのトラブルだったと思われる、という簡素なものでした。
 被害者の名前にも容疑者の名前にもKという名前はなく、顔写真も載っていなかったため、それがこの一連の出来事と関連があるのかどうかは謎のままです。

 そこまで話し終えた後輩は、コーヒーを一口飲んで静かに息を吐き出しました。そうして、少しの間ののち、再び口を開きました。
「ただ、私がカフェで定期的に会っていたKさんが双子の兄ではないことは確かでした。最後にKさんと会って夢の話をしたあの日、私はKさんが腕にかかった飲み物を拭くために腕時計を外したところを見ていました。Kさんの左手首にも、夢で見たのと同じ黒子があったのです。双子だから、と当時は見た目が同じことに疑問を抱きませんでした。ですが、後天的にできるものである黒子は、双子であっても同じ場所にできるとは限りません。それがふたつも同じ位置に、並んで存在している。そのことに気づいてから色々と記憶をたどってハッとしました。Kさんが弟さんと双子である根拠は、Kさん自身からの申告以外に何もなかったんです」  
「え、ちょっと待って」と、私は思わず後輩の話を遮りました。
「じゃあお兄さんだと名乗ってた人が、本当は夢の中に出てきた男性本人だったってこと?」
「私は、そうなんじゃないかなと思っています」
「でも、双子だなんて嘘をつく理由が思いつかないけど」
「恋人の死の真相を知りたかったんじゃないでしょうか」  
 後輩は、淡々と続けます。
「ネットニュースって、ひとつの記事を見ると関連するニュースが出てきますよね。カフェの近くでの殺人事件の記事を見た時、関連記事に半年ほど前の記事が出てきました。内容は、カフェに勤めていた女性が転落して亡くなった、というもので、事故と事件の両面から捜査中という報告で終わっていました」
 その記事の続報は調べても見つけられなかった、と後輩は言いました。
 もし後輩の見ていた夢の女性がこの転落死の女性と同一人物だったなら、そしてもしKさんが双子の兄ではなく女性の恋人だったとしたら、最悪な筋書きが頭に浮かびます。
「恋人が不審死したことに疑問を持った男性が、その死の真相を探るべく調査をしていた。そこに”自分の夢を見た”という人が現れた。男性は、夢の中にヒントがないかとその人に近づいた。そして恋人を死に追いやった人物にたどりつき、その人物を……」
「殺人事件のニュース記事にKさんという名前はありませんでした。でも、双子であることを私に隠していたのなら、名前が偽名でもおかしくないですよね」
 すべて単なる憶測です、と淡々とした口調で話を終えた後輩の表情がどこか悲しげだったことだけが、憶測ではない確かなもののように感じられた、そんな話でした。

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