京子さんはその日、いつもの様に早朝のプラットフォームで電車を待っていた。
片道一時間の通勤電車にもようやく慣れ始めたとはいえ、人混みの中電車を待ち、これから満員電車に揺られ行くのだと思うと、少し億劫でもあった。
『一番乗り場、一番乗り場、快速電車が到着します──』
ホームのスピーカーから駅員のアナウンスが流れる。
京子さんはスマホをバッグにしまい遠くからやってくる電車に目を細めた。
徐々に近付く先頭車両。京子さんを通り過ぎるその直前だった。
彼女の視界を何かが横切った。
「え……?」
呆気に取られ声を漏らす。
それは……女だった。
白いセーターを着た若い女性。それが京子さんの目の前を横切り線路へと飛び込んだのだ。
──キーンッ
耳をつんざく様なレール音が鳴り響いた。電車が急停止を掛け止まった。
「人が飛び降りたぞ!!」
「女だ!」
「駅員さん! 駅員さん!?」
周囲が絶叫する中、京子さんは唖然とした顔で線路に視線を落とした。
女が飛び降りた場所。血などは流れていない。
余りの事にショックを受けた京子さんはふらつきながらその場に座り込んでしまった。
周りには一気に野次馬が集まりだし、スマホで撮影するものまで現れだした。
やがて駅員達が人混みを掻き分け、女が飛び降りた箇所を念入りに調べ始める。
「下がって! 危ないから下がってください!」
注意を促す駅員に、誰も耳を貸そうとはしない。それどころか興味本位で近付く人で溢れかえるばかり。
その時だ。
──キーンッ
背後から電車の急停止音がまたもや響いた。 しかも。
「女の子が飛び降りたぞ!!」
「おい誰かっ!?」
三番ホームだ。皆が口々に騒いでいる。
一番ホームにいた人々が慌てて三番ホームへと目をやる。駅員達も何事かと騒ぎ始めた。
スピーカーからは事故を知らせるアナウンスが飛び交い、周囲は大混乱に陥っていた。
「誰も……居ません」
ふと線路から聞こえた。
「居ない……?」
京子さんはボソリと言って再び線路下に目をやる、すると先程電車の下を調べていた駅員が同僚に困惑しながら話していた。
京子さんに疑問が過ぎった。
なぜ女が居ないのか。周りにいた人達も女性が飛び降りたのを目撃していたはずなのに。
しかも三番ホームの騒ぎは一体……。
考えれば考えるほど頭の中は混乱してゆく。
ふと、京子さんは再度三番ホームに目をやった。
「いや確かに白いセーター着た女が飛び降りたんだよ! アンタも見たよな!?」
「ああ!」
「いやしかし……」
男達の怒鳴り声が微かに聞こえてくる。
白いセーターの女……?
先程京子さんが見た女と同じ服装だ。
一番乗り場で飛び降りたはずの女が、次は三番ホームで飛び降りた? そんな馬鹿な……。
「おい、三番ホームでも女が見当たらないってよ!」
「えっ? まじ!? ヤバくない!?」
野次馬たちが更に騒ぎ出す。
どうやら三番ホームでも飛び降りたはずの女が見つからないらしい。
京子さんはヨロヨロと立ち上がると、二番ホームへと近付き三番ホームに目を向けた。瞬間。
──ビチャ!
「え……?」
顔に液体のようなものが飛び掛った。
目の前を電車が通り過ぎ、やがて急停止した。 生暖かい感触が頬をつたう。
京子さんはそれを両手で拭い視線を落とした。
鮮血に塗れた手。そこには赤い血と混ざり合い人間の皮膚の様なものも見て取れた。
「飛び込みだ!!」
「お、女が跳ねられたぞ!!」
「きゃあああっ!!」
再びホームが阿鼻叫喚に包まれる。
「ああ……あ……あ”あ”……」
余りのショックで声が上手く出せない。叫び声すらも挙げられなかった。
京子さんは震える眼で線路に視線を向けた。
徐々に流れ出る血が、大きな血溜まりを作り上げていた。
電車の下に僅かに見える肉塊には、見覚えのある白いセーターらしき衣類が見て取れた。
以上が京子さんが体験した話だ。
その日起きた事件は一件だけ、身元不明の若い女性の人身事故として、ニュースでは報じられた。
しかし警察の取り調べはかなり難航したという。
目撃者は数多く居たのに、二番ホームで実際に起きた事故に関しては、誰も飛び降りた所を見ていないと言うのだから……。
後に駅の監視カメラなどで捜査はされたようだが、その詳しい捜査内容と結果は未だ公表されておらず、事件は闇の中へと葬られた。
その後、その駅では噂ではあるが、裏マニュアルなるものができたらしい。
その内容は、もし飛び込み事案が発生しても、確認を怠らず次に厳重警戒せよ、との事だ。
次とは……一体何を指し示しているのか……。