喪服

 全国的に有名な紳士服店で働くKさんに聞いた話である。

 彼の担当は東北地方で、転勤しながら、各店舗で紳士服の販売を行ってきた。
 彼は、 「お金がない時、冷蔵庫などの家電が壊れたら、無理してでも買うけど、ご主人のスーツはなかなか買わないよ」 と愚痴をこぼす。 だから、リクルートスーツの販売に必死になるという。
 ところが、そんな紳士服店で、季節に関係なく、需要が高まる時が度々訪れる。
 それは、 『人が亡くなった時』 だという。

 今すぐ喪服が必要というお客様が、駆け込みでやってきて、多少高額でも即決で買ってくれるそうだ。
 亡くなった方には申し訳ないが、礼服の売上は、大変有り難いのだという。
 Kさんが担当してきた地域では、 『葬式の予定もなく着物の喪服を準備すると、身近な人に不幸が訪れる』 という風習があった。
 女性は、結婚のタイミングで作ることが多いが、男性は、葬式で着物を着ることが殆どなくなったため、 『社会人となった時、或いは成人式のタイミングで、冠婚葬祭用の礼服も準備しておきましょう』 とご案内するそうだ。
 それは、 『お祝いごとと同時に喪服を準備すれば、不幸を避けられる』 という昔からの風習でもあった。
 そして、喪服が、和装から洋装に変わりつつある現代でも、年配の方々の間では、喪服を準備するタイミングを気にする方が、まだまだ多いそうだ。

 ところが、若い世代の方々では、就職したばかりの安い給料で、礼服を買うのはなかなか難しい。だから、人が亡くなった時に慌てて買いに来るのだという。
 Kさんは続けて、 「男性の場合、礼服は、結婚式に着ることもあるから、前もって準備しても、デザインやサイズなどが合わなくなっていたり、または虫食いなどで、結局は無駄になってしまうことも多いよ」 とのことだった。

 以前、Kさんの店で、60代後半の男性が礼服を購入され、お直ししてお渡しすることとなった。
 サイズなどを測りながら、お話を伺っていた時、 「自分が死ぬ夢を見た」 とのことで、 「それなら最後にきちんと礼服を着て、生きているうちに遺影写真を撮ろう」 と考えたそうだ。Kさんは、お直しの『控え』をお渡しして、その男性をお見送りした。
 その数日後の昼間、Kさんが入荷したスーツを段ボールから出し、ラックに吊るす作業をしていると、気配を感じて、 「お客さんかな」 と、店内を見渡した。
 しかし、宣伝用BGMが流れる店内に、客らしい姿は見当たらない。すると急に身体が固まり、動けなくなったそうだ。
(あれっ?) と不思議に思っていると、目の前のラックの反対側から、人の頭が、ゆっくりぬーっと上がってきたそうだ。
(ひぇぇぇー!) と息を呑んだが、言葉は出せなかった。
 それは、白髪混じりの男性の頭だったという。
 ところが、顔の半分が出そうというところで、別の店員に声を掛けられ、Kさんは、ハッと我に返った。
 今のは何だったのかと、店内を探したが、やはりそれらしい客は、どこにも居なかったそうだ。

 ふと思い出したのは、その日は、お直しした礼服のお渡し予定日だった。
 しかし、夕方までくだんの男性のご来店がなく、 「まさか……あの白髪混じりの男性は……」 と心配していると、閉店間際に、また喪服の駆け込みの客が入ってきた。
 30歳位の若い男性で、 「急に喪服が必要になって」 とのことだった。
 Kさんが、急いでサイズを測りながら話をするうち、ふと思い当たり、その手が止まったという。
 そして、保管室からお直しの終わった礼服を取り出してきて、その客に着せると、まるで手品でも見ているかのように、ピッタリだった。
 なんと、その日、礼服のお渡し予定だった男性の、息子さんだったそうだ。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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