母子寮

 私は、4歳頃から小学校4年生までの約5年間を母子寮で過ごした。

 母子寮というのは、なんらかの事情があり、配偶者から逃げていたり離婚した女性が自立するまでの間、子育てや就業を支援してくれる施設だ。
 私がいた施設は二階建てで、全30室ほど。
 遊戯室や住民用の広場もあり、かなりの規模があった。
 大きな公園も近所にあったことから、学校から帰ると施設の友達と遊びに出かけたりして、母が働きに出ている間も「寂しい」という気持ちはあまりなかったように思う。
 だがこの母子寮、心霊現象が後を絶たない曰く付きの施設だった。

 まず、この施設の立地だが、田舎で暮らした事がある人にはわかると思うのだけど、田舎というのは、田んぼが広がる土地に急にポツンと墓地があったりする。
 その土地の所有者が建てた墓なのだろうが、国がそういった場所を格安で買い上げるかなにかして、国所有の施設を作ったりする。
 そしてこの母子寮というのが、まさにそう言う場所に建てられた施設なのだ。
 そんな施設だからか、背の高い黒い男が玄関に立ってたとか、深夜2時頃に各部屋をノックする霊がいるとか、裏の駐輪場で心霊写真が撮れたとか……本当にさまざまなことが起きた。
 頻繁に目撃されていた場所は洗濯室という、洗濯機がたくさん置かれたエリアで、ここでは多くの住人が「女の子がいた」と話していた。
 その少女はどの家の子供でもなく、さらに夜遅くに目撃されることから、既存の住人は絶対に話しかけたりはしない。
 が、新規で入居したての母が少女を見つけ、「こんな時間にどうしたの?」と声をかけた。
 俯いていた女の子はゆっくり顔を上げて「お母さんを探してるの」と答えたそうな。
  4〜5歳くらいのその子は、顔色が真っ白で、なぜか最初に見た時には気付かなかったのだが、よく見るともんぺ姿だったという。
 母はその時初めて「この子はもう生きていない」と悟った。
 怖いと言う気持ちもあったが、同じ年頃の娘を持つ母親として、「ごめんね、私は何もしてあげられないけど、お母さん見つかると良いね」と伝えたそうだ。
 すると、少女はまた悲しそうな顔で俯いて、スーーー…と壁に溶けるように消えたのだという。
 母には霊感があったので、その後も度々この少女と鉢合わせすることがあったらしい。

 また、こんな話もある。
 全30室と先述したが、その中の一室はあまり人が居付かなかった。
 疑問に思った私は母に尋ねたが、どうやら一時避難のための部屋……ということらしく、入居して数日ほどで退居する、もしくは他の部屋に移るから……ということだった。
 だが、子供たちの間では、まことしやかに伝えられている話があった。
 空室のとき、その部屋のドアを仲の良い3人組でノックして、寮にはいない架空の子供の名前を作って呼び、「あそぼー」と声をかけると、子供の声で「今行くよー」と返ってくる。
 すると、いつの間にか1人増えて4人になっている……という噂だった。
 いかにも子供らしい都市伝説だが、当時は心霊番組が大流行していたこともあり、その話に興味を持つ子供はとても多かった。
 私もそのうちの1人だった訳だが。

 ある日の夕方、私が友人と公園で遊んで帰ると、寮で特に仲の良かった、美佳子、奈々香、歩美の3人がその行為を行い、返事が返ってきた! という話で遊戯室は大盛り上がりだった。
 私も友人もその会話の輪に入り、興味津々で聞いた。
 3人は奈々香がクラスで嫌いな男子の名前を使い、例の子供を呼び出したという。
 部屋の中から男の子の声で「今行くよ」って聞こえて、慌てて逃げてきたんだよね〜! と話す彼女たち。
 口元は笑っているが、こちらにも恐怖を感じているのが伝わってきて、私は思わず身震いした。
 翌日の金曜日。
 私は学校から帰ると、いつものように弘幸と隼介の3人で近所の公園へと向かった。
 遊具でひとしきり遊んで、かくれんぼやカラー鬼を楽しみ、夕方になったので帰宅。
 帰ってから遊戯室でテレビを見ようと駆け込むと、今度は奈々香が泣き腫らした目をして数人に囲まれていた。
 ギョッとして理由を聞くが、しゃくりあげてばかりで言葉にならない。
 一緒にいた美佳子が代わりに教えてくれた。
「今日学校に行ったら、良平が居なかったんだって……」
 良平というのは、昨日例の子を呼ぶときに使った名前だという。
 えっ!? それって……と隼介が声を上げると、美佳子がギロり、と睨んだ。
「まさか! ……風邪かなんかで休んだんでしょって、今奈々香にも言ってたところなの!」
 余計なことを言うな! とでも言うかのような視線に耐えられなくなり、私たちはテレビを見始めた。
 視聴し終わると、みんなそれぞれが家に帰り、最後まで残っていた私たち3人も帰路へと着いた。

 翌日翌々日は土日であった為に、件の良平くんの安否を確かめることが出来ずにいたが、それが子供たちの好奇心を大いにくすぐった。
 母子寮の子供たちといったら、この降って沸いた新しいエンターテイメントで湧き上がり、不謹慎ではあったが、
「死んだんじゃないか」
「行方不明になったんだ」
「例の子に攫われて、なり代わられた」
 などなど、各々が妄想を膨らませて楽しんだ。
 事の発端である女子3人はずっと嫌そうにしていたが。
 月曜日になり、私と同じクラスの弘幸は、2時間目の休み時間を利用して、1学年上の奈々香のクラスに良平くんとやらの安否を確認しに行った。
 完全にただの好奇心だ。
 奈々香を呼び出すと、呆れ顔で私たちの元に来て「わざわざ来たの? 良平くんなら来てるよ。ほら」と言って、男の子を指差した。
 そこには青っ鼻をすすっている小汚い男の子が。
「風邪だったんだって。美佳子の言ったとおりだった」と、奈々香は安心したように笑った。
 呆気ない結末に、なーんだ……と、私と弘幸は肩を落とした。

  ……が、この話、ここで終わっていないのだ。
 数ヶ月後、寮でクリスマス会があり、広場に住人が全員集まる機会があった。
 みんなで作ったクリスマスディナーを囲みながら、大人たちは軽くお酒を飲んだりカラオケをしたり、子供たちはプレゼント交換をしたりして、とても楽しい一時となった。
 そんな中、小学生の最年長である慶太兄ちゃんが、周りをキョロキョロしたかと思うと、「あれ……? 隼介は?」と、疑問を発した。
 それに私たち子供は
「本当だ」
「そういえば」
「今日来てないのかな?」と口々に言い、周りを見渡したり、「そういえば隼介のお母さんってどんな人だっけ?」と母親を探そうとする者もいた。
 慶太兄ちゃんが自分の母親に「今日隼介んちは来ないの?」と聞く。
 慶太兄ちゃんの母親は、ちょっと気持ち悪そうな顔をしてから「……隼介って誰よ?」と返答した。
 その場で凍りつく子供たち。
 話を聞いていた他の大人たちも「そんな子知らない」と言うので、大騒ぎに。
 なにそれ!? いたよな!? いたいた! だって俺ここで遊んだもん! 髪型はたしか……と、騒ぎ立てている中で、みんなが隼介の姿を思い浮かべようとするが、その時点でみんながみんな口籠る。
 私も遊んだ時の記憶を手繰り寄せて思い出そうと頑張るが、ぼんやりとしたイメージしか浮かばない……。
 どうしてだろう……あんなに仲が良かったのに……。
 みんなが一様に「仲が良かったのに」と言うが、誰一人としてその姿を口に出して言える者はいなかった。
 そもそも、そんなに仲が良かったはずの友人が数ヶ月も姿を見せないことを、何故疑問に思わなかったのだろうか……。
 混乱状態に陥っている小学生たちを落ち着かせようと大人たちが介入してきて、「一時利用の家庭の子だったのだろう」ということで無理矢理その場を収めた。
 だが私たちは、そんなはずがないということをよく理解していた。
 よく、子供が集まる場所には子供の霊が集まる……という話を聞くが、これもその一つなのかもしれない。

 最後に。
 そのクリスマス会で撮った写真を大人になってから見直したのだが、子供たちが楽しそうに写る写真の窓に、びっしりと人の顔のようなものが写り込み、中には子供らしき顔も写っていた。
 実家にとってあったその写真は、母が引っ越しの際に処分してしまったようで、今はない。
 ちゃんとお焚き上げしてあげたかったな……と、今になって思い出したので、ホラホリに書き込ませてもらった次第だ。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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