我慢していた霊

 社会人1年目のゴールデンウィーク。私はハイキングのため とある低山に来ていました。
 女子大に通っていた頃には山岳同好会にも入っており、 その頃はけっこうキツイ山にも登っていましたが、 今は会社勤めもあり、なかなか本格的な遠征は難しく、 それでも大自然の感覚だけは味わいたいというところで、 軽く登れる低山でハイキングを決行と言うわけです。
 山頂まで行けば美味しい蕎麦やスイーツを出してくれるお店もあり、 帰りには温泉も楽しめます。目的の半分は、まぁそれです。

 この山は連山になっており、小学生が遠足で登ってこれる ハイキングコースから、かなり険しい上級者向けのコースまで いろいろ揃っていて楽しいです。
 今回私が選んだのは中級者コース。
 今は上級者というほど無理はしたくないのと、 初心者コースはやはり人が多すぎるのがちょっと嫌で こちらにしました。
 急な坂を超え、つり橋を渡り、御神木と呼ばれる大きな杉の木を過ぎたあたりで 少し広い場所に出ました。
 登山道は左に続いていますが、右にも行こうと思えば行ける、 そんな感じの所です。おそらく沢に下るような場所です。
 そう思いながら右の方を眺めていると、遠くに子供らしき姿が見えました。
「えっ? 子供ひとりであんなところに!?」
 いくらハイキングコースと言えども山は山。 子供が一人で、しかも登山道から外れたところを歩いているなんて危険です。
 周りを見渡しましたが親らしき人は見当たりません。
 私はその子の方へ小走りで駆け寄りました。
 「ボクー! そんなとこで何してるのー! 危ないよー!」
  大きく声掛けしながら近寄って行きます。
 するとその子も私に気が付いたのか、私の方を見ています。
 でもこっちに来るでもなく、その場で小刻みに跳ねているのです。 あと数メートル。
「ボクー、どうしたの?」と声をかけながら近寄って、 ハッと気が付きました。
「しまった、この子……生きている子じゃない」
 よく見ると輪郭がぼやけていて、まるで疲れ目で目が霞んだ時のように、 ぼんやりとしか輪郭が見えない。この子は明らかに霊です。

 実は自分には少し霊感があり、たまに霊を見ることがあるのですが、 ここ何年も遭遇してなかったし、油断していました。
  久しぶりの登山で気分が高揚していたせいか、 それともさっき道すがらにあった御神木のせいか……。
 私はゆっくりと後ずさりし、その子から離れようとしました。 が、その時思いもよらぬ言葉を聞いたのです。
「お姉ちゃん、おしっこ……」
「えっ? えっ? お、おしっこ?」
 私は混乱しました。目の前には霊がいる。 できれば関わりあいたくないし逃げたい。
 でも、その子供の霊がおしっこしたいと懇願していて目の前でぴょんぴょん跳ねている。
 私は何がなんだかわからないまま、その子に駆け寄り、おしっこをさせてあげることにしました。
 と言うのも、その子はまだ幼稚園にも行ってるかどうかくらいの子で、 服装はと言えばボタンで留めてあるかわいいオーバーオール。
 オーバーオールは全部脱がさないとおしっこはできないのですが、 多分彼はまだ自分でボタンをはずすこともできず、 おしっこの時は親に面倒を見てもらっていたはずです。
「この年頃にオーバーオールは難しい……」
 私は自分でも何を言っているのかわからない独り言をつぶやきながら、 その子の服を脱がしてあげました。
 オーバーオールの下は白いグンパンで、思わず 「グンパンの霊なんて呪怨でしか見たことねー!」と内心焦りました。
 彼はよっぽど我慢していたらしく、自分でグンパンをずりおろすとかわいいらしいものをポロンとだしてさっそくおしっこをし始めました。
 その間、私は「自分は何か夢でも見ているのだろうか」とぼーっと そのかわいい蛇口を見ていました。
(だってこれって、生きているからこその生理現象でしょ? 霊になってもあるの?? しかも、私が来なかったら、この子いったいどれだけ長く おしっこ我慢してたんだろう……。でもそういえば、夢で延々トイレを探してる 夢を見たことあるけど、あれに近い感覚なのかなぁ……)
 もう混乱して訳の分からないことを考えているうちにおしっこも終わり、 子供はグンパンを履きなおしていました。
 さて、問題はオーバーオールです。
 これを着せなければならないのですが、 たぶん着せたらまたおしっこができなくなります。
 そこで私は過去に一度考えていた事を実験してみることにしました。
 その子にむかって、「じゃあ今度はジャージ着ようか」と提案して服を着せる真似をしました。
 そうすると、オーバーオールだと思っていたものがジャージに変わっており、 その子はやすやすとジャージに着替えることができたのです。
 霊が着ている服は生前の自分の着ていたもののイメージだとすれば、 イメージを変えてあげることで服装を変えることができるのではないかと思っていたのですが、 なんとかうまくできたようです。
 ふぅっと一息ついたところで、子供が走り出しました。
「待って、ボク、どこいくの?」
 ……つい、普通の子供に語り掛けるように言ってしまいました。
「パパを探しに行かなくちゃ……お姉ちゃんも来て……」
 ここで私は怖くなり「お姉ちゃんは行かない! じゃあね! バイバイ!!」と言って、 一目散にその場を離れました。

 もう後ろは振り向かず走って、元来た御神木のところまで来ました。
 息を切らしながらそこでようやく後ろを振り返り、誰もいないことを確認して安堵しました。
 たぶんあの子の話に乗ってあのまま一緒に行ったら、 もう二度とこの山から出ることはできなかったでしょう。
 私は予定を変更して下山することにしました。
 そして今度来るときは線香とお供え物を持ってこようと決心しました。
 こんな低山でも、何年か前に遭難した親子がいると聞いたことがあるからです。 おそらく今日出会った子も……。

 たぶんお父さんは、小学生時代に遠足で簡単に登れた山に、気軽な気持ちで子連れで入り、 そこで道に迷ってしまい、安易に沢に降りたのでしょう。
 沢に降りると行き場を失い遭難する確率が高くなります。
 逆に頂上を目指していれば、かならずどこかの登山道に行き当たりますので、 迷ったときは頂上を目指す。これが鉄則です。
 みなさんも山に入るときはお気を付けください。

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