この話は、私の職場での体験談である。
会社の職種や詳細については、身バレが怖いので、触れないこととする。
以前、ある社員が会社の対人関係について、某呟きアプリ上で愚痴を吐きまくり、最終的に退職させられたということがあったからだ。
私の職場には、会社の敷地内に従業員専用の駐車場があり、特に決まりもなくて、毎日それぞれ好きな場所に車を止めていた。
「それ」を最初に見たのは昨年秋のことで、夕方仕事が終わり駐車場に向かうと、ちょうど建物の角を曲がり、たくさんの車が見えた瞬間、車と車の間から、地面を這うように黒くて長い物が見えた。
例えるなら、全身真っ黒のワニが、物凄い勢いでわさわさわさっと横切っていった感じだった。
目で追うと、それは側溝の中へ潜り込んでいったので、急いで後を追った。
ところが、その側溝には金属製のあみ状の蓋がしてあって、その蓋を持ち上げない限り、物体が入り込む余地は無かった。
煙のようにすり抜けて、中に入っていった感じだった。
周りを見渡しても動く物体の気配は無く、静まり返っている。また、暗い側溝の中を覗き込んでも何もいない。
確かにそこに入っていったのに、跡形も無く消えてしまい、不気味さだけが残った。
実は、私の家の後ろに寺があり墓もあるので、時々、家の中を足早に縦断する薄い人影を見たり、足もとを黒い塊が通っていくことがあった。
恐らくだが、これが霊道と呼ばれているものではないかと思っていた。
夜だけではない。昼間の明るい時間帯でも、半透明の普段着姿の人影が、急ぎ足で通り抜けていった。
だから、駐車場で見たものは、そういうものだったのかと思った。
地元で何度もニュースになったので、熊ならあり得たが、生きた大きなワニが、町なかに実在するとは思えなかった。
ところがである。
そのすぐあとに、会社の建物の中で、再び、あの這いつくばる黒いワニのような影を見た。
その情景を説明するには、まず、同僚のDのことを話しておかなければならない。
Dは、四十半ばの男性社員で、独身のオタク系のナヨナヨとした雰囲気で、いつもオドオドと困ったような顔をしていた。
さらには、長年勤務している割には、仕事が遅い、出来ない、体調不良でよく休む。ヘビースモーカーでタバコ臭い。
ある有名な炭酸飲料を沢山飲み過ぎて、糖尿病になった。
業務連絡が、意味不明で、何度聞き直しても理解出来ない。という状態なので、周りの同僚達からも敬遠されていた。
そして、失敗を繰り返すので、上司からは、度々会議室に呼び出されて、お叱りを受けていた。
ある日私は、その会議室でDが叱られている情景をまの当たりにして、その足もとにあの黒いワニのような影を見つけた。
それは、せわしなく這いつくばって、Dと上司の周りをグルグルと回り、時々、怒鳴る上司にその影もビクリっと反応しているのが分かった。
だから、私は、 (Dは、何か悪いものに取り憑かれているのかもしれない。だから、失敗を繰り返しているんだ) と思った。
それで私は、お節介にも、上司が出ていったあとの会議室に入り、Dのそばに歩み寄った。
その時だった。
黒い影は、一瞬で跡形も無く消えて、見えなくなった。
そして、Dが一人で頭を抱えて立ちすくんでいたのだが、ふぁっと異臭がして、思わず後ずさった。
文章にするのは難しいが、腐った土というか、どぶの匂いというか、思わず声に出してしまい、 「何、この匂い?」 と呟くと、Dは私に気が付いて、 「えっ、なんか匂いますか?何も匂いませんよ」 と言ってきた。
そのうちに匂いも消えて、とても不思議だったが、とりあえずDに、 「なんか悪いものに、まとわりつかれているから、一度、神社でお祓いしてもらったほうがいい」 と伝えた。
しかしDは、私のこの言葉の意味を理解出来なかったようで、 「あー、はい、分かりました」 と、いつもの適当かつ曖昧な返事を返してきた。
Dは、上司の前では、借りてきた猫のようにかしこまるのだが、人によっては態度を変えてくる。
ずばり、私に対しては、勤続年数の違いや女性ということで横柄な態度をとってくる。
だから、私もそれ以上は、説明もせずに部屋を出た。
ところがである。
この日からDの私に対する言動が、少しずつおかしくなっていった。
まずは、ライン攻撃。業務連絡とは関係の無い内容で、主に上司や同僚の悪口を送ってくる。
下手に同調は出来ないので、既読スルーで返信はしなかった。
続いて、電話攻撃。
最初の1回は、急用かなと思い、出てしまったが、本当につまらない内容だった。
だから、それからは、一切出ないようにした。
するとDは、会社の事務所でさりげなく、 「今夜、電話するね」 と、わざと周りの人に聞こえるように話し掛けてきた。
咄嗟に私はスルーして、その場を離れたが、周りがざわついたのが分かった。
その後もずっと本当に刺すような眼線を送られて、気にはなったが、なんとか耐えて完全無視した。
その夜、案の定、ライン電話が入ったが、無視していたら、トータルで十件の履歴があった。
(なんか気持ち悪い。執着されるような覚えも無い) と思いながら、眠れずにいた。
深夜になり、物音がして慌てて一階のリビングに行ってみると、薄暗い中、床の上に何かがいるのが分かった。
よく見ると、なんとそこにあの黒いワニのような影がいて、言葉も出なかった。
わさわさと動き回っていたが、こちらに気が付いて、向きを変え、せまってきた。
「うわぁ、くる」 と思って身構えた瞬間、すぐにスーッと反対の墓場の方向へと吸い込まれていった。
というか具体的には、何かに無理矢理引っ張られていった感じに見えた。
ガクガクと震えがきて、夢でも見ていたかのような不思議な感覚を味わった。
ただし、土臭いようなどふ臭いような嫌な匂いがして、とても気持ちが悪かった。
その翌日からDは、会社に来なくなった。
同居している彼の母親から、暫く休むとの連絡が入ったらしい。
もしかするとだが、あの黒いワニは、D自身の何かで、駐車場に現れたのは、残業が嫌で逃げ出したかったからで、上司に怒られていた時も、逃げたくて無意識のうちに分離していたのかもしれない。
そして、ライン電話を無視する私への怒りで、あの黒いワニを飛ばしたのではないかと思う。
あれは、ワニではなく、人間の這いつくばる姿、つまりはDの生霊というものだったのかもしれないと思っている。
しかし我が家には、霊道があって、そこを通る何かに引っ張られたとしたら、Dは今、どうなってしまったのだろうか。
最終的にDは、退職扱いとなったが、会社内でDの話題が出た時に、 「Dの足の匂いが酷かった」 という話になって、 「男子更衣室前にもの凄くくさい靴があって、誰の靴だろうと思っていたら、Dが出てきた。凄い悪臭でどふのような匂いだった」 と話していた。
