曽利29号

 私は、海辺育ちで海が大好きだけど、山登りも好きだった。
 もちろん身体が生まれた時から弱くてそれで鍛える意味もあったのだけど、あの山頂から眺める我が愛する瀬戸内の風景が本当に好きだった。
 広島にはほとんど平野がない。瀬戸内海から道を挟んですぐに山。それが日常の風景だった。
 だからなのか山頂から眺める静かな海と島々には心が癒された。

 大学時代は大阪にいた。
 大阪と言っても奈良と和歌山の県境の大田舎で海も遠かった。
 だから免許を取ったばかりの頃、高い山が見たくて長野と山梨の県境にある八ヶ岳に向けてレンタカーを飛ばした。
 もちろん八ヶ岳に登る程の装備も体力もないから下から眺めるだけだったが、瀬戸内では拝めない程に勇壮な八ヶ岳の姿に満足して、その近辺で出土したという大型香炉形土器の曽利29号のレプリカをお土産屋で買って帰る事にした。
 曽利29号は、縄文時代曽利期に宗教的な目的で使われていた土器だそうで、縄文のメデューサとも呼ばれる程、蛇の装飾が施されていた。
 後で聞いた話だが縄文人は蛇信仰で渡来した弥生人は牛信仰だったそうで、蛇信仰は牛信仰に押されてしまったが、その名残が注連縄だったり出雲大社等へのセグロウミヘビ奉納だったりするらしい。
 当時の私はそんな事なぞ露知らず寮の自室に曽利29号を飾ってご満悦だった。

 ある満月の晩、眠っている私が物音で目を覚ますと、月明かりで何かが窓の外で蠢く影が部屋の中で踊っていた。
 何だろうと正体を探るように窓を見たら、沢山の蛇がガラスにへばりついていた。急に部屋の中に小さな光が灯った。
 窓から目を離してそちらを見ると曽利29号の中に火が入っていた。
 目が離せない。じっとそれを見ていた。
 その時、曽利29号の蛇の意匠が蠢き出した。
 そして土器の女が笑った気がした。

 その後は覚えていない。気が付くと朝になっていた。
 古代の蛇信仰の執念を見た気がした……。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる