死んでいたかもしれない

これは、僕が高校二年生の秋に体験した話。

ある日、暇を持て余してネットサーフィンをしていると、とあるサイトが目にとまった。
「死期が近い人に見られる行動五選」
父の影響で、小さい頃から心霊や妖怪といったオカルト話が好きだった僕は、
思わずそのサイトに飛び込んでしまった。
ページをスクロールしていくと、まず最初に出てきたのが「黒い人影を見るようになる」というものだった。
実を言うと、僕の家系は代々父方の親戚は霊感が強いという特徴があり、
自分も僅かながらその特徴を受け継いでしまったのか、よく黒い人影を視界の端に捉えたり、親戚が亡くなった時には高確率で虫の知らせのようなものを感じたりしてしまう。

ただ、そのサイトを閲覧した時期は、比較的黒い人影を見る頻度が多いような気がすると思った僕は、「お、早速思い当たるやつが来たな」と、わくわくしながら読み進めていた。

次に出てきたのは「影が薄くなる」というものだった。
面白いことに、これにも心当たりがあった。
学校での放課後、掃除を終えて教室に戻り、自分の席に座って五分ほどたった頃、自分が教室に入る前から僕の前の席とその隣の席にずっと座っていたであろう友人達に、
「え!いつの間に後ろの席に座ってたの!?」と本気で驚かれたことがある。
自分が座ったばかりの時も、時々お互い顔を見合わせながら会話していたのにも関わらず、僕の姿は見えていなかったということだろうか。
皆さんにとっては信じ難い話ではあると思うが、紛れもない事実である。

またページを進めると、次に出てきたのは「突然部屋の模様替えや身辺整理をし始める」だった。
この時点で、僕は少し気味の悪さを感じ始めていた。
何故なら、この日の二日前に、なんの前触れもなく自室の整理をしたばかりだったからだ。
説明には、「死期が近い人は、自身が亡くなったあとに遺族が遺品の整理をしやすいように、本能的に察して整理を始めることがある」とあった。
五選の内、既に三つを引き当ててしまった僕は、後悔し始めていた。
「残りの二つは見ないほうがよいだろうか。いや、ここまで見たんだから残りも見ておくことにしよう」と無理やり自分を奮い立たせてページを進めた。

四つ目に出てきたのは、「手鏡をする」だった。
「手鏡?男なんで手鏡なんて持ち歩いてないし、そもそもなんで“見る”じゃなくて“する”なんだよ」と不思議に思って、食い気味に説明を読んだ。
正直、これが一番ゾッとしたかもしれない。
手鏡とは、両手あるいは片手の手のひらを顔の正面にもってきて、それをじっと見つめる行為のことを言うらしい。
そこで僕は、その手鏡というものが、暇な時やボーッとしている時などに無意識にやってしまっていた行為であることに気がついたのだ。

そう、その日ネットサーフィンをし始める直前もやっていたし、その日より一、二週間ほど前からずっとである。
その瞬間僕はサイトを閉じ、本気で死ぬかもしれないという恐怖に駆られて一人震えていた。
その日以降、意識して手鏡をしないように心がけたり、自分から人と積極的にコミュニケーションを図って影がうすくなるのを自分なりに対策したりした。

そんなこんなで一週間たったある日、学科全体で参加するボランティアが終わってから友達が家に泊まりにくるということになった。
友達二人を連れて歩いて家まで向かっていた道中、僕は足元の地面が途中から側溝になっているのに気づかず足を踏み出し、ものすごい勢いで側溝に落下してしまった。
幸い左半身がすっぽりハマるという形になったため、頭もぶつけずに済み、縁をつかんだ右手以外の怪我も負わなかった。
後々友達に話を聞くと、「お前が急にいなくなって、どこにいったのかと見渡してみたら足元に倒れていて驚いた。あと、黙ったままでいるから、死んでしまったのかと思った」と言われた。
まあ、突然のことだったから自分自身も驚いて声が出なかったというのはある。
もしもあの時例のサイトを見ないままボランティアの日を迎えていたら、本当に死んでしまっていたかもしれないなあと思うと、今でも背筋がゾクゾクする。

これが僕の体験談で最もしっかりしたオチのある話だ。
機会があれば、別の体験談も書きたいと思う。

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