顔だけの男

ことの始まりは石川県の某温泉地でした。
当時、私はバスガイドの仕事をしていました。

一泊二日の一日目の行程の終点、 その日の宿である大きな温泉旅館に到着。
乗車のお客様はその新館へ、 ドライバーさんと私は旧館の方へと案内されました。
ドライバーさんはこちら、 ガイドさんはお隣のこちら、 と、仲居さんに案内され入室。
旧館なので古くはありましたが、 それでも大きくて立派な客室でした。
しかし、その部屋に入った瞬間から 重苦しい雰囲気が気になりました。
「なんか…この部屋、イヤだ…」

お風呂に入ったあと、 隣のドライバーさんの部屋で夕食。
ドライバーさんの部屋は同じ造りにも関わらず、 私の部屋とは雰囲気が違って、イヤな感じはしませんでした。
何度も乗務で組ませて頂いていた、親しいドライバーさんだったので、
私は 「○○さん、部屋、交換してくれませんか?」と、 何度もお願いをしましたが、断られました。
「気にせずにとっとと寝ろ(笑)」と。
食事を終えて渋々自室に戻りました。

「イヤだなぁ…」「さっさと寝てしまおう」
お布団に入り、うつ伏せで両肘をついて頬杖をつき、 床の間に置いてあるテレビを見ていたらすぐに睡魔がやってきました。
「ああ、このまま眠ってしまえば、目覚めたら朝だ。良かった!」
ホッとしながら眠りに落ちる寸前。
頭の背後の天井付近で「...クスッ..」っと笑う音が。
なぜだかわかりませんが、中高年の男の声だと感じました。
ビックリして一瞬で目が覚めましたが、
「知らない。何も聞こえていない。どっかへ行って!」 と心の中で言い、無視して寝ようとしました。

しばしの静寂。
「良かった。あきらめたかな?」 「それとも気のせいだったのかもね。」 と、気を良くした瞬間。
「ひいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
さっきと同じ、頭の背後の空間で、 こんどは息だけで啜り泣くような音が。
...あぁ、これヤバいかも。
私はうつ伏せの体勢のまま、 肩まで掛けていたお布団を頭まですっぽり被って
「消えろ! もう寝るから寝てる間に消えろ!」 と念じながら眠ろうとしました。
気付けば朝になっていて、 「ああ、良かった」 「ああいうのは相手にせず眠るのが一番!」と 気をよくしたものの、 何故か右脚のふくらはぎに激痛が。
「痛い!」 「なんで?」 と脚を見ると 強烈に吊ったときのようにふくらはぎが酷く窪んでいて、 脚を伸ばしたり色々してみるが治りません。

痛みをこらえて脚を引きずりながら身支度をし、朝食時にドライバーさんに昨夜の話をしました。
そして、 「もしかしてね、脚が痛いのって、 昨日の男が私の脚に入り込んでたりして! だって本気で痛いんですよ(T_T)」と言うも、
「霊とかそんなもん、あれへん!」 「脚は疲れが出て吊ってるだけや(笑)」と、 流されてしまいました。
ふくらはぎは窪んだままで、 その日はずっと脚を引きずりながらなんとか仕事をこなしました。

やっと乗務を終え、 家に帰り着き、愛猫のテツちゃんの世話をひと通り終えると 疲れきってベッドに倒れ込みました。
どのくらい経ったのか、ふと目が覚めて
「今、 何時だろう?」 朦朧としながら掛け時計を見ようとして 思わず息を飲みました。 部屋に浮かぶ大きな大きな顔! 無表情な男の顔! 私の身長ほどもあるその顔には、首も胴体も無く、 ただ顔だけが、 顔だけが浮かんでいました。
「うわあああああっ!」と、おののくと同時に、 その顔の下でテツちゃんが全身の毛を逆立てて 顔と対峙しているのが目に入りました。
「カーーーッ!」 テツちゃんがその顔に向かって全力で吹いています。
それで我に返った私は、 「テツちゃんに危害が及んだら...!」 「それだけは、絶対に許さない!」 恐怖も吹っ飛び、怒りが沸き上がってきて。
ベッドから飛び起きて、 バーン!とベランダの窓を全開にし、 「出て行け!」と怒鳴りました。
「私はなんにもできない!」 「ここから出て行き、ゆくべき処へ行け!」 鬼の形相で怒鳴り付けました。
そしてテツちゃんを抱き上げ、 「大丈夫! 大丈夫! 私が絶対守るから!」 「テツちゃん、大丈夫だよ!」 と言い聞かせました。
すると、 いつのまにか顔は消えていました。
部屋の空気が入れ替わったように感じたので窓も閉め、 顔だけの男はそれっきり現れることはありませんでした。
気付くと、ふくらはぎの窪みは元に戻っていて、 あんなに痛かった痛みも消えていました。

次の日、会社で仲間に一部始終を話し、
「多分、○○温泉のあの部屋から、 私の脚の中に入って付いて来たんだと思うんだ」
「それってさ、無賃乗車じゃん!」
「大阪までの乗車料金、払ってよね」と、 オチを付けたりして、笑っていました。
すると、 私たちの会話を聞いていたようで、 ベテランガイドのKさんがスーッと私たちの輪の中に入って来ました。
Kさんはとても霊感が強くて、 色々な体験をしていると聞いていた人です。
Kさんは 「○○(私)さん、今の話、聞こえてたんだけど。少しいい?」 と、私の足元を見ながら話し始めました。
「私さんは、その男が脚に入って憑いて来たと思ったようだけど、 少しだけ違う」
「その男はね、私さんの脚に指を立てて、 しがみついて来たんだよ」
「私さんはその男を引きずって連れて来ちゃったの」
「異様に大きかったり、一部のみデフォルメされた霊って、 タチが悪いんだよ。普通の霊じゃないの」
「人の形から崩れつつあるってことだからね」 「その猫ちゃん、大事になさいね」 と。

朗読: 怪談朗読と午前二時

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