『百物語』を知っているだろうか。
複数人が夜に室内で順番に怪談を語り、話が終わるたびにロウソクの火を消す。
それを百回繰り返し、百個目のロウソクが消えて真っ暗になると、本当の『怪』が現れるという。
日本に古くからある怪談形式の代表格として有名で、由来は不寝番の暇つぶし、眠気覚ましとして室町時代にできたという説が有力らしい。
しかし、私が聞いたことのある由来はもっと昔で、もっとおぞましいものだ。
その由来では『百物語』が作られたのは、鎌倉時代なのだそうだ。
年表を見れば分かかるのだが、鎌倉時代はその年数にしては『◯◯の乱』という類いの出来事が多い。
これは本格的な武家政権による統治が始まったために起きた、武家同士の争いや反発する者による反乱によるものだ。
そしてそれら争い事のあおりを受けるのは、いつの時代も下々の者達だ。
ある村では徴兵と農作物の徴収で、もう村を存続させることができない状態に追いやられていた。
別の場所へ移ろうにも、残っているのは女子供ばかりで移動中に必要な食料など残っていなかった。
村人達は死を覚悟し、同時に自分達を苦しめる世の中を激しく憎んだ。そこで村人達は、この世に呪いを残すことにした。
残っている村人でまだ喋れない幼子を除くと、その数はちょうど百人であった。
その中で一番体力がある男児を選び、残りの九十九人で、この世のものとは思えない怪異譚を順番に語っていった。
この世を恨む怨念の話や自らのおぞましい体験談、栄養不足で現れた幻覚の話など、内容は様々だが、どれも聞くだけで気が狂いそうなものだった。
話し終わった者はそこから少し離れた場所に設置してある松明まで行き、自らの首筋を刃物で掻っ切った。
それを九十九繰り返し、松明の周りには大量の血溜まりと死体が溢れていた。
全ての怪異譚を聴き終わった男児は、松明の火で死体を全て焼いた。
そして男児はあらかじめ用意してあった一人分の旅支度を身につけ、誰もいなくなった村を出た。
自らの命を、吹き消す火の代わりとした九十九の怪異譚の全てを記憶に刻みつけた男児は、百個目の怪異譚そのものになった。
その後、世の中に『百物語』という怪談が広まった。
しかし、どの話も『百物語』という題名は同じなのに、どれも内容が異なる。
そのことに興味を持ったある若者が、様々な『百物語』の蒐集を始めた。
調べていくうちに、話の種類に『かぶり』が出てきた。
可能な限り集め切った話の数を数えると、その題名にある百に一つ足りない九十九種類だった。
そこまで集めると、存在するであろう最後の一つの話が気になって仕方がない。だが、いくら調べても最後の話は誰も知らなかった。
そこで若者は閃いた。ないのなら、自分が考えてしまえばいい。
それならば誰もがぞっとする恐ろしい話にしなくては、と内容をうんうんと考え始め、夜の布団の中でも考えていた。
そして夜も深まった頃、とびきり恐ろしい話を思いつき『これを百話目として広めよう』と思っていると、家の戸が開く音がした。
物盗りかと警戒するが、人が動く気配はない。
不審に思いながらも確認しないわけにはいかず、戸の方へ行った。
確かに戸は開いていたが、そこは月明かりでぼんやり明るいだけで、人影はなかった。
なんだ悪戯か、と開いている戸を閉めた。
振り返ると、痩せ細った男の子が俯いて立っていた。
『さっきはいなかったはず』
『なんで夜中に子供が』
『子供の物盗りか』
など様々な考えが浮かんだが、若者の口から出たのは
「お前が、百話目か」という、問いとも確認ともとれる言葉だった。
その男の子が顔を上げ、その目を見た若者は意識を失った。
翌朝目覚めた若者は、昨夜の出来事を本当の百話目として周りに広めた。
百話目を勝手に語ると化け物が現れる、と。
これが私が聞いた『百物語』の由来だ。
この話を初めて聞いて私が最も怖しかったのは、これが事実ならその村の呪いは今も続いているだろう、ということだ。
『百物語』が一般的なものになっているならば、『本当の百話目』もどこかに潜んでいて、今も世に仇なす機会を窺っているだろう。
百物語をするなら、決して油断してはいけない。