カセットステレオ

眩しいほどの晴天に恵まれた歩行者天国は人混みにあふれかえっていた。

もっと早くから来るつもりだったけど、休日にはやっぱり少し寝過ごしてしまった。
私の目当てはそこに並ぶフリーマーケットのアンティーク小物で、
少しでも早い時間に来ないと目ぼしい物がなくなってしまうように思えるのだ。
無意識のうちにも足が早まる。
アンティークと言っても私はそう詳しいわけではない。
また、本物のアンティークは案外「こんな物が?」と思うほど高価だったりするので、
なかなかこうしたフリマなどでは出回ったりしない。
私からしてみればアンティーク調の気に入った小物で十分だった。

それがなぜ目に留まったのかはよく分からない。
銅製のカップや真鍮のアクセサリーに混ざって場違いな物ではあった。
小さ目のビニール袋に入れられた赤いヘッドホンステレオだった。
そんな物を購入したところで今時カセットテープすら入手困難なのだ。
だけどこのステレオで聴くためのカセットテープを探して巡るのも
また楽しみが増えるというものかも知れない。
それにわずか三百円。
お蔵入りとなっても惜しい価格ではなかったけど、
両親の時代にはきっと数万円もしたのだろう。

「フリマどうだった?いい物みつかった?」
起き上がると下着だけを着け、タバコに火をつけたカレがそう訊いた。
「昔のカセットステレオみつけたの。ねえ、家にカセットテープなんか残ってない?」
「カセットテープ?さあ・・・」
カレは壁に掛けたアンティーク調の時計を見た。
私もベッドからそれを見上げる。
時刻はもうすぐ20時を指そうとしていて、もうあと一、二時間あまりしか残っていなかった。
「聞いてみるよ。あるかも知れない。」
そう言い残すと「すまないな」とさらに小さく言葉を残し、
さっさと部屋を出て行った。
カレはパチスロが好きで閉店時間まであとわずかしか残っていなかったのだった。
今日も朝からパチスロに行っていてずいぶんと負けが込み、
それで私から軍資金をせしめにやって来た。
ついでというか、そこは社交辞令みたいなもので、
する事だけ済ませたらまたお店へと戻っていく。
どこがいいのか?と、もし聞かれたなら答えが詰まってしまうけど、
そんなとこが好きなのかも知れない。
何かの「ついで」みたいだけど、節々に優しいのだ。
亡くなった祖父が言っていた事がある。
「遊びを知らない男はダメだ」と。
その祖父もたいした遊び人だったと聞くけど、
私がアンティーク趣味に奔ったのはその祖父が遺したキセルと煙草盆が起因だった。

ヘッドホンステレオの中には一本だけカセットテープが入ったままだった。
聴いた事のある音楽。
たしか「モルダウ」とかいうオーケストラの演奏だった。
私は時々それを聴いてみた。
音量は小さくサーっというノイズが全編に入っていて、とてもいい音とは言えない。
しばらく聴いてはみるけど、オーケストラは長く同じようなメロディーの繰り返しですぐ飽きてしまう。
テープが劣化してしまってるのか、機械が悪いのか
ノイズに混じってワンワンと微妙に音が一定間隔でうねりを持っている。
元より私はクラシック音楽などにあまり興味はないのだ。
三分ほども聴いたら飽きてしまうけど、
かつてはどんな人がこの音楽を聴いていたのだろうと思うと
また私は遠い空想の世界に誘われる。
アンティーク趣味というのはそんなところが面白いのだと思う。
赤いメタリックのボディからみて、元の持ち主は女性だったのかも知れない。
音楽大学の学生さんだったとか、何かの楽器を演奏する人だったとか。
オーケストラを聴くからといって音楽関係の人とは限らないのだ。
おなかの出っ張った、いいオジサンだったかも知れない。
ただ、ボディにわずかな擦り傷がある程度で大切に使われていたのは確かなようだった。

ある時、電車に乗っている間に退屈だからそれを聴いてみた。
古着屋で購入したアメカジ風なスタジアムジャンパーには
あえてスポンジ製のヘッドホンを首に回してみるのもオシャレなような気がしたのだ。
いまどき電車の中でそんな物を耳に掛けていたら、傍目にへんな女かも知れない。
「こんな女でも好きだって言ってくれるカレシはいるのよ」
と心の中で誰にともなく言い訳をする。
その言い訳は確かにどことなく、寂しいものだった。
オーケストラは流れ続けた。
電車の中なのでノイズはさして気にならない。
クラシック音楽って同じところの繰り返しばかりで、
もう20分ほどもそれを聴いていただろうか。
音量が急に小さくなってしまった。
窓から覗くとテープはちゃんと回っているのでカセットテープが劣化していたのだろう。
寂しいなあ・・・唯一のテープが聴けなくなってしまうと機械自体が意味を持たなくなっちゃう。
仕方なく、機械を停めようとボタンに指を乗せた時に
人の声らしいものが機械の中から聞こえたように思えた。
カセットテープってたしか上書きができたと思う。
音楽は小さく流れているけど、合間に女の声が入っているように思える。
レコードみたいに盤面を裏返すわけではなく、
機械がひっくり返るので不具合で裏面が同時に逆再生されたりする事もあると聞いた。
裏面を聴いた事はない。
どこかを押せば機械がひっくり返るのだろうけど、取説もないので分からない。
テープはレコードなどから録音されたものではなく、
当時販売されていたミュージックテープというものだった。
そうだ、一度取り出して手でひっくり返せば裏面が聴けるはずなのだ。
裏面はやはりオーケストラの演奏が流れていた。
人の声らしいものは聴こえてこない。
おかしいなとまたテープを元通りに差し替えた。
「ハヤ・・・ナレテ・・・」
「早く慣れて」
・・・何のことだろう?私は咄嗟にカレの遊び癖を思い浮かべた。
遊びを知らない男はダメか。
にやりとして音量を最大に上げ、我慢強くオーケストラの演奏を聴いてみる。
ノイズが激しかったけど演奏は流れていた。
そしたらやはり女の声が聴こえてきた。

「信じられないだろうけど、私は三年後のあなた。早くアイツから離れて・・・早く」
私は唖然としていた。
確かに聞いたような声だったけど、聞き慣れない私自身の声に似ていると思えば似ている。
列車は停車してドアが開いた。
あっ、降りなければ。
立ち上がった拍子に膝の上に置いたカセットステレオが床に落ちた。
腹立たしいほどの衝撃を与えて耳にかけたヘッドホンから本体が抜け落ちる。
さらに悪い事に下車駅で降りようと浮足立った左足でそれを蹴飛ばしてしまった。
赤いカセットステレオは床を滑り、列車とホームの間に姿を消した。
ホームに降りてから茫然とそこに佇む。
列車を見送った駅員さんがそれをみつけてわざわざ拾い上げてくれた。
「珍しい物持ってるね、懐かしいなあ。でも、これはもうダメかな」
フタが完全に取れてしまいテープが伸びて絡まっていた。
中から小さな部品がはみ出して細い電線にぶら下っている。

ほどなくして私はカレと些細な事で言い合いになった。
私はカレが私に費やしてくれる時間の事を言い、カレは私が費やしたお金にこだわる。
お金の事なんかどうでもいい。もっと私との時間を作って欲しいだけ。
意地を張り合ってそれっきり連絡も断ってしまう日々が続いた。
意地など張り合っても仕方がない事とは思うけど、
自分との時間がお金に換算されていたような言い方をされると腹立たしい。
結局それっきり。カレと会う事も連絡する事もなかった。

どれほど経ってからだか、ある日カレのお姉さんから電話がかかってきた。
「ちょっと言い合いになっちゃって、それからずっと会ってないわ」
「お金を借りたりしてなかったかしら?」
「お金?ううん、ぜんぜん・・・」
あれからどうも悪いところからお金を借りまわってパチスロに注ぎ込み、
その取り立てが実家にまで押しかけてくるらしい。
仕事も辞めてしまっていて、今ではどこにいるのかさえ分からないという。
遊び人だったけど優しかったカレ。
いなくなると寂しいけど、どこかせいせいした。
いない事に慣れたんだと思う。
カレとの出会い。それからあのカセットステレオとの出会いって、
なんだったのだろうと時々思ったりする。


朗読: 朗読やちか

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