交通安全週間

僕が中学生の時の話。

中学三年生になり、受験への焦りからストレスを溜めていた僕はその頃、
少しの間でいいから一人になりたくて、よく夜中に散歩をしていた。
僕の家は団地で、周りは車通りも無く、夜になるととても静かになるので
一人の散歩を楽しむにはいい条件が揃っていた。
僕が住んでいたところは田舎だったが、周りは比較的自然に囲まれており、
南を向けば荘厳な山々の連峰があったりする。
車がないと移動には少し不便だが、団地の友達と遊んだり、
山の麓でキャンプを楽しんだりと、自然と触れ合うことが僕は好きだった。
春になれば、夜桜が舞う川沿いを灯籠の明かりを頼りに歩いたり、
秋には紅葉に囲まれた丘の上の神社に行ったり。
そうやって季節が過ぎていくのを眺めていると、
受験やらなんやらのストレスはいつのまにかどうでもよくなってくる。
だから僕は、この夜中の散歩が好きで、習慣にしていた。

ある日、僕の家の近くで事故が起きた。
事故に遭ったのは、同じクラスの男子だった。
次の日の朝にクラスのみんなが噂していたのだが、
幸いにも命に別条はないようで、腕の骨折程度で済んだようだった。
だが結構なスピードで車に撥ねられたらしく、
撥ねた車はそのまま走り去ってしまったようで、
これ以上被害者が増えないように学校からも注意喚起があった。
そして指導の強化という名目で、数週間のあいだ交通安全週間が始まった。

近所のPTAの親御さんたちが朝と夕方、主な通学路にある交差点に立ち、
右見て、左見て、もう一度右見て、安全を確認したら渡る。
と一通りやらされる、みんな経験したことがあるあれだ。
小さい交差点は親御さんも一人二人だったが、
その事故があった場所には複数の人がいて、特に注意をしていた。
そしてその時初めて知ったのだが、
その現場は、僕がよく夜中の散歩で通っていた場所だった。

交通安全週間が終わり、すっかり癖がついてしまい、
夜中の散歩中に交差点を渡る時、誰も見ていないのに、誰もいないのに、
必ず左右を確認するようになっていた。
右を見て、左を見て、もう一度右を見て、渡る。
それ自体は悪いことではなく、むしろ事故の予防になるので構わないのだけど。
だが事故の現場の交差点に差し掛かると、
意識しなくてもちょっと気をつけよう、という心構えになる。
確かにここは見通しが多少悪い。
団地があるのは高さのある地域で、その団地から比較的栄えた街に降りていく時に使う十字路だ。
僕の家からこの交差点に来ると、向かって右側は更に上の方、
ずっと行けば山の中に入る道になっていて、左が街に降りる方で、
学校へ向かう道。正面の道に進むと一戸建ての住宅が立ち並ぶ住宅街になっている。
それぞれの道の左右がこの区間だけコンクリの石積みでブロック塀になっており、
左右の見通しが悪く、確かに事故は起きそうであった。
散歩をする時、僕はよく右に登る。
この先には神社があったり、公園があったり、自然が多くなっているからだ。
だがお見舞いにいった時聞いた話では、
その事故に遭った子はこの正面の住宅街に住んでいて、
遅くなって帰った日、後ろの街の方から来た車が上への道に向かっていたのに、
急に凄い勢いで曲がってきて突っ込まれたらしい。
確かに現場には濃いタイヤ痕が残っていた。

冬も近づき、雪が積もればさらに事故は増えそうだなぁと思い、
寒い手をこすりながら交差点の前で立ち止まる。
右を見て、左を見て、もう一度右を見て……渡ろうとして、あれ?と止まる。
何か見えた気がした。
一瞬の事だったのであまり良く見えず、
さらにすぐ見えなくなったが、どうも人の形のようなものだった。
周りは住宅街だし、誰か人がいてもおかしくはないのだが。
なんとなく空気とは別の寒気を感じながら、目を凝らしてもう一度確認する。

右を見て、左を見て、もう一度右……。
見間違いではなかった。真っ白な服の女だ。

上へ向かう道の正面に一人で立っていた。
ボサボサの髪で顔は見えず、俯いてただ立っている。
呆気にとられていると、その女はゆっくりと歩み寄ってくる。
身体のあちこちに傷があり、そのせいなのか動きはぎこちなく、
歪な形の四肢を無理やり動かすような不自然な動きで、徐々に距離を詰めてくる。
本能は逃げろと告げているはずが、縛られたように硬直して動けない。
彼女は僕の真横まで来た時、ただ一言、「さむい」と、呟いた。

その冬、その交差点は事故がありえないほど多発し、
危険すぎるという住宅街の人たちの苦情が相次いだため、
カーブミラーを増設し、道の周囲の土地を切り崩し、ブロック塀を無くした。
だがそれでも事故は絶えず、いつしかその道は使われなくなり、
そして、誰も通らなくなった。

だけど、誰も僕が見た女の話はしない。
そこで女を見た、おばけだ、それのせいで事故が起きるんだ。
そんな話の一つもあっていいと思うのだが、何故か誰もしなかった。

それから時は経ち、僕が大人になった頃、
その付近で女性の白骨死体が見つかった。
だが、何故か報道などはされず、大事にもならず、
それでも交差点で事故は起き続けていた。

そして僕は、就職を機にこの街を離れることになった。
気がかりなのは、当時事故に遭った子と久しぶりに会った時に、
僕が見た女の話をすると、
“二度と誰にも話すな”と言われたことだ。

朗読: 【怪談朗読】みちくさ-michikusa-
朗読: 朗読やちか

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