案山子

 俺の住んでいる地域は地名に「町」と付いているが、まあよくある「田舎」だ。
 その出来事があった当時は、もっと田舎で家が寄り集まった地域から道一本外れると、未舗装の細い道と葡萄畑が広がっているだけだった。
 知らない人のために一応説明すると、葡萄はコンクリート製の杭を何十本も立てた上に碁盤の目状に太い針金で棚を作り栽培する。
 棚の高さは大体160cmはあると思う。俺には中腰になってちょっと辛い。まあ親父の身長ならちょうど良いんだろうけど。
 かなりの面積に広がる葡萄畑の一角に俺の家の畑もあった。ちなみに親が専業農家、俺は就職をしていたので休みの日のみ手伝っているだけだったが。
 それでも春から夏は、色々な農作業があり、だからその日もブツブツ文句言いながら、休日返上で畑に出ていた。

「ん?」
 気がつくと、数台のパトカーと、救急車が細い未舗装の道をやって来て、50mほど先の畑に止まった。すでに数台車が止まっていた。
(なんだ?けが人でも出たか?)
 農作業の手を止め、道まで出てみた。
 意外と耕運機や農機具での事故は多い。俺も草刈り機で足を切るところだった事がある。手の指を数本落とした奴もいる。
 遠巻きに見ていると、町内の見知った老人が救急車の陰から出てきて俺を呼んだ。
 あまり近寄りたくなかったのだが、仕方なく「何かあったんすか」 と小声で近づいた。
「Aが首を吊って、死んでたらしい」
 爺さんは渋い顔をしながら言った。
「Aさんが?」
 思わず俺は大きい声を出してしまった。慌てて手で口を押さえる。

 Aさんは俺より5歳ほど年上で、跡取りだったが家を出て県外に住んでいた。
 親は二人ともすでになくなって、町内にある家とあらかたの農地はとうに売られ、無くなっていた。
 残ったのがこの畑だが、周囲の者にとって、やっかいな畑だった。
 Aさんはまったく面倒を見ず、その畑は見捨てられていた。雑草と葉の茂った葡萄の枝でジャングルの様になっていた。
 そうなると周囲に、雑草の種が飛んできたり、害虫が発生してもどうにもならない。
 何度となく農協の組合長が整備をお願いしたのだが、聞き入れてもらえなかった。
 確かに今、葡萄農家は儲からない。よっぽど広い面積を耕作しないと割に合わない。現に俺のところも親が死ねば続けるかどうか……。
 だがなぜAさんが?
 Aさんは太い針金にひもをかけ、首を吊っていた。死後かなりたっていて、家族が発見した。
 家族は男性が行方不明になってからあちこち探し、最後にまさかと思いながらその荒れ果てた葡萄畑を見に来たらしい。
 警察がお決まりのブルーシートで葡萄畑を囲っている。
 次々と近隣の者がやじうま化し、集まってくる中、俺は畑に戻った。

 夕方作業を終える頃には、警察も一段落したようで車両に遺体を収容し、去って行った。親族らしい人たちの車も後に続く。
 俺は、畑の入り口に止めてあった軽トラにもたれながら一服していた。
 集まっていた野次馬が帰り始めると、その中からスーツ姿の男性が駆け寄ってきた。
 その人は刑事さんで名刺を渡され、俺は色々聞かれた。 最近、Aさんを見たかとか、Aさんの遺体に気がつかなかったかとか聞かれた。
 俺とAさんとは5歳も年が離れていて、子供の頃遊んだくらいで大人になると会う機会がなかった事や、畑で言うと2つほど離れていて、夏も近い今の時期、
畑は葡萄が実り始め、葉が繁茂し杭が邪魔してあまり遠くまで見えないので
気がつかなかった事を話した。
「刑事さん、多分これでも気がつきませんよ」
 俺はブドウ畑の中を指さした。 夕方と言うこともあり、畑の中はかなり薄暗かった。
 日光は枝葉に遮られ、多少落ちた日の光も杭でゆがんだ線の影を落とす。
 そんな薄暗い中に「案山子」があちこちにいて、人間のまねをしている。
 鳥よけの案山子達はボロ服を身にまとい杭に縛られ、棚に吊るさて、静かに立ちすくんでいる。俺たち地元民にとって、動かない人影は見慣れたものなのだ。
 それと「臭い」に関しても、牛糞や鶏糞を撒けば相当に臭い。それもこの地元ではあまり気にとめない。
「ははは・・、現場の隣の方にも同じ事を言われました」
 警察にとっては、なぜ周りに人の出入りがあるのに気がつかなかったのか不思議だったんだろう。
「何か思い出したらご連絡ください」 と言って去って行った。

 家に帰るとさっそく嫁が「どうだったの?」と寄ってきた。すごい早さで町内に情報が流れているようだった。
 刑事とのやりとりを一通り説明すると嫁が「噂」を言い出した。誰かから聞いたらしい。
「なんか、結構な金額の借金があったんだって」
 おいおい、どっからの情報だよと俺は苦笑した。
「で、Bさんとこに来たみたいよ」
 BさんはAさんと親族関係にあった。町内で自動車整備工場を営んでおり、裕福な家だった。
 嫁の話を聞いて、まあなんとなく想像はついた。
 実家も畑も売り返済に充てたが、それでも借金が残り、最後の頼みの綱でBさんのところに来たが……。
 残ったのは100坪もない、地域的に規制がかかっていて簡単には転売できない、売れても二束三文の農地のみ。
 彼は絶望し、あの荒れ果てた畑で命を絶ったのだ。

 そんな事件があった翌週の土曜、作業しに畑に行っても、ついあの畑の方を見てしまう。
 ここからは畑一つ間があるのでまともには見えないのだが。
 すると今度は慌てた様子で、Cさんがやってきた。例の畑の、隣の持ち主だ。
「○○君、(俺の名前)ちょっと来てよ」
「どうしたんすか」
「隣、隣!」
 俺はちょっといやな予感がした。小走りで道を駆けて例の畑に近づくと、心底ぎょっとした。

 何もかもが・・・枯れていた。
 葡萄も雑草もすべて萎れ、干からび、太陽に晒され枯れ果てていた。
「なん・・何ですかこれ・・・」
「わからん。2.3日前から何か変だなと思っていたら、これだ。まったく、朝来てびっくりだよ。除草剤だとは思うけどさ。S家の誰かかねぇ」
 俺は頭を掻いた。どうやって散布したか知らないが、下手すれば周りに飛んで影響が出る。非常識にもほどがある。
「Cさんとこは大丈夫ですか」
「俺んとこは大丈夫。ギリギリまでは撒かなかったらしい」
 まあ遺族の誰かがやったと思うが、人騒がせなやつらだ。
 それにしても立て続けに起こっているこの出来事、これは何だ?
「まあ組合長も文句言ってたし、ウチとしては助かるよ」
 そうCさんは言っていた。
「それとなあ、案山子が・・・」
 Cさんが続けた。
「案山子が・・・何ですか?」
「うーん、俺の気のせいだな。きっと。まあ何でもないよ」
 Cさんは言いよどみ、言葉を濁した。 俺は「何だ?」だったが、その事は数日後知ることになる。

 翌月曜日の夕方、俺が会社から帰ると玄関先に親父が立っていた。
「おまえCと畑で会ったか?」
 親父は俺の顔を見るなり言った。
「ただいま、何だよ。いきなり」
 あのなあと言って、親父が話してくれた。
 Cさんも、大の大人が言うことじゃないと我慢していたらしいが、あの事件以来、畑に行くと何か空気が重い。
 太陽は照りつけ熱いはずなのに畑の棚に入ると寒気に襲われる。
 風邪でも引いたかと思っていたが何かおかしい。
「でな、案山子が風もないのに動くんだそうだ」
「えっ?」
「杭に縛っている案山子が、人の顔をして振り向いたり、
 ハンガーに服を着させてる奴は両腕を振り回すんだと」
「はあ?」
 俺は素っ頓狂な声を出していた。
「うーん、確かに先週、何か言いかけていたけど・・・」
 確かに隣の畑で人は亡くなっている。けど、そんなことが有るだろうか。
「思い込みとか、見間違いじゃないの」
「まあ俺も、色々あって精神的に疲れてんじゃないかと言っといたが・・・」
 親父も俺も同意見だった。
 葡萄の実が大きくなり始め、待ったなしでの作業が多い。ほとんど一日中、あちこちに分散する畑での作業が有り、気が抜けない。
 案山子のことは気にしない方が良いと俺も思った。

 少し脱線するが、農業は天候次第の面も有るが、作業者の経験と技術も大きな要因になる。失敗と成功の経験から、味の良い作物ができる。
 一年手塩にかけても、高く売れる物が出来るとは限らない。
 また試行錯誤をして育てたとしても結果が出るには一年かかる。
 それなりの国からの保証はあるがその間無収入なのだ。だから今は手をかけなくてすむ「ワイン用」の栽培が盛んだが、とても「生食用」の金額にはならない。
 それが、後継者がいなくなる原因の一つだ。
 けれどCさんは翌日、畑のすべての案山子を撤去し燃やしてしまったらしい。
 なぜそこまで気にするのか、普通ではない何か異様な事が起きているのか、俺はちょっと薄ら寒さを感じた。
 その日から、Aさんの畑を中心に段々と、案山子の姿がなくなっていった。
 Cさんの話を聞いて疑心暗鬼になり、処分した者や、中にはCさんと同様の体験をした者もいたようだ。
 この話は周辺の地域でかなりの噂になり、あのBさんの耳のも入っていたようだった。
 やはり良い気持ちはしないだろう。

 その日は各畑を回って、大きくなってしまった雑草を刈っていた。例の畑に行くのがいやで、一番最後にしてしまった。
 かなり俺も影響を受けているなと自分を嗤っていた。
 俺は恥ずかしながら、恐怖映像とか幽霊とかかなり苦手だ。
 到着し、軽トラから草刈り鎌を降ろす。 葡萄畑はあまりひとけがない。まあ、そろって同じ時間に来ることがないからだ。
 隣の畑に人がいても、栽培面積が広いので結構遠くに見える。
 天気は良いのだが、棚の下は相変らず薄暗い。
 遠くの車の音や鳥の鳴き声、トラクタのエンジン音、少しの物音でもびくつく自分がいる。
(くそっ、さぅさと終わらせよう)
 なぜかふと、畑の全体を見渡す。何か微かな違和感を、感じた。
 俺の家の畑の案山子は撤去していない。
 見ると右奥の見慣れたところに見慣れた奴がいた。
 案山子をどうしようかと思ったが、周りに踊らされるのも癪だったし、何よりもすべて子供と作ったからだった。
 昔ながらのわらの胴体、服を着せ綿を詰めた顔に息子が顔を描いた。
 娘は種類の少ない古着のコーディネートを必死に考え、俺の服のチョイスに「お父さんのダサすぎ」と笑われながら作ったものだ。だから処分できなかった。
 棚の奥に進むと、葡萄の葉の間から案山子の顔が逆さまに見えてぎょっとし、背筋に冷たいものを感じた。
 長い竹竿に括り付けて、棚の上に突き出るように置いた案山子が、途中から折れていた。
 親父の古い麦わら帽子をかぶり、ギョロっと目を見開き、への字の口に舌が出ている。
 鳥が怖がるようにと息子が書いたが、今は俺が怖がっている。下手な絵でも十分怖い。
 仕方なく、竹竿を外しその案山子を下ろそうと、肩を掴んだとき「ウググゥ・・・」とくぐもった低い声が聞こえた。
 瞬間、鼓動が跳ね上がり、無言でその案山子を放り出した。全身から、わっと冷や汗が出てくる。

(今の声?音?な、何だ?)
 放り出した案山子は、うつ伏せになり地面にころがっている。
 こうして見ると、確かに俺のボロジャージの上下を着て、手には軍手をはめている姿は本当に人間が横たわっているように見える。
 しばらくその案山子を睨んでいたが、何も起こらず、次第に俺は落ち着きを取り戻し、空耳や幻聴だと思い込もうとした。
 恐怖で流れる汗を拭いながら、案山子を括り付けた竹竿を持とうと屈み込んだ。そこで俺は固まった。
 ゆっくりと麦わら帽子が動いている、ように見える。
 中身のない軍手がモゾモゾと地面を掻いている、ように見える。
 俺は小さな悲鳴を上げて尻餅をついた。腰が抜けたらしい。
 か細い空気がやっとの思いで肺から押し出され「ヒューヒュー」と変な音が口から漏れていた。
 顔が段々とこちらへ向く。
 それは、息子が描いたものではなく、リアルな人間の頭部だった。
 くすんだ肌の色、ほとんど白目に近い眼球、苦悶にゆがみ泡が付いた口元、舌がダラリと垂れ下がり涎が光っていた。
 俺は、逃げようと後ずさりしたかったが、情けないことに体が震えて手足に力が入らない。
 軍手が俺の方に向かって動いている。頭は真っ白になり、何も考えられなかった。

「○○!」
 いきなり頭上から親父の声が聞こえ、それと同時に、モーター音が耳を劈いた。
 バリバリバリと音を立てて、案山子の頭部は草刈り機で粉砕された。
 もうその時は男の顔はなく、あたりに詰めていた綿が飛び散る。
「お、親父!」
 俺は体が動くようになり、慌てて立ち上がったが、膝がガクガクと震えている。
 親父は草刈り機のスイッチを切り、険しい表情で俺を見つめている。
「用事が終わったから見に来たんだが……。お前は昔っから怖がりだったなぁ」
とニヤッと笑った。
「悪かったなー」
 俺はブスッと言いながらも、心底安堵していた。
 親父が来てくれなかったらどうなっていたか、想像もつかない。
 幽霊とか、今まで見たことがなかったし、あんなに現実的に見えるものだったのか。
 まるで作り物の様だった。 けれど、俺のトラウマになったことは間違いなかった。
 散らばった案山子の残骸を見ながら、恐怖で引きつった親父が「あれがここんとこ、噂になっていたやつか……」 と、言った。
 対岸の火事だと思っていたことが、ふと気がつくと足下にいた、そんな不安感をにじませた声だった。
「他の奴もきっとあいつを見たんだね。あれは、やっぱり……」
「確証はないが、そうだろうなぁ」

 それから俺と親父で、案山子をすべて撤去した。そして畑に穴を掘りそこで案山子を燃やした。
 子供と笑いながら作った案山子は、もうもうと煙を上げ燃えた。
 煙は葡萄の棚の間から空に消えていった。
 人間の目は思い込みや見間違いを起こしがちだが、今回の騒動は見間違いではないと思った。
 親父や俺の見たあれは何の目的で現れ、案山子を使ったのだろうか?  本当かどうか知らないが、親父に言わせると、ヒトガタの物は霊が入りやすいらしい。
 完全に燃えた後、スコップで土を戻した。
「案山子の葬式だな」
 親父がポツリと言った。

 その後、俺の町の畑からは完全に案山子は消えた。
 代わりに市販の蛍光色の目玉の絵の物や、日を受けて反射するテープ、CDが吊るされるようになった。
 時を同じくして、あのBさん一家は家と工場を移転した。まあ、いたたまれなかったんだろうな。
 後に聞くと、Bさんはやはりというか、精神科に通っているらしい。
 だが不思議なことにそれからは、どこからもAさんが出たと言う話は聞かなくなった。

 そして十数年が過ぎ、未舗装の道路は広い舗装された道になり、横からでも出入り自由だった葡萄畑は葡萄の盗難防止用に張られた金網に仕切られている。
 鳥も畑に入ることもなくなり、目玉もCDも消えた。
 だが、いまだに例の畑は遺族も手を付けることなく、雑草で覆われ、葡萄の樹は枯れたまま無残な姿を晒している。
 もう、この畑に関しては誰も何も言わない。一種のタブーになってしまった。
 だが俺はそこを通るたび、つい案山子の姿をした人間を探してしまうのだった。

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