閉店の理由

これはまだ日本がバブル景気に浮かれていたころのお話。

当時、渋谷の246(ニーヨンロク)沿いの事務所で働いていたボクは、
まだ20代前半の若造のくせにバブルに乗って景気も良く、
ランチなんかも一食1000円超えがフツーで、
そのくらいが当たり前の毎日を過ごしていました。
この近辺は青山通りなんて呼ばれていて、
オシャレでおいしいお店がいっぱいあります。
今日訪れたのはイタリアンのお店。イタ飯なんて言ってましたね。
会社の女の子を誘ってのランチです。

お店は地下にあり、階段を降りて入口へ向かいます。
階段の途中にはワインのボトルやカゴに入ったジャガイモ等が置いてあり、
実用を兼ねたディスプレイになっていました。
中に入ると少し暗めの照明で、テーブル席のみ。
室内の片隅には楽器を演奏できるような小さなステージもあり、
夜には音楽を聴きながらお酒も飲めるお店になるようです。
席に通されたボクらは、メニューの中からポークピカタを選びました。
料理が出てきてちょっとびっくりしたのが、
「アペリティーボ」つまり「食前酒」が出てきたことです。
確かにイタリア料理では食前酒をたしなむものですが、
ボクと女の子は顔を見合わせて
「まだ勤務中なのに昼間っからお酒のんで大丈夫かな?」なんて話をしました。
が、結局「まぁ、食前酒だし、大丈夫だろう」ということになりました。
一口で飲めそうな小さめのグラスに、
血のように真っ赤なワインが注がれています。
クイっと一口飲んで、思ったより効いたのは、やっぱりすきっ腹で飲んだせいでしょうか。
「ホントに仕事大丈夫かな」
なんて心配になってきましたが、 ポークピカタが運ばれてきた頃には
そんなことも忘れて、二人で楽しく食事を済ませました。

会計はボクが支払います。
バブルのころはアッシーとかメッシーとか言う呼び名があって、
クルマで送り迎えするのがアッシー、
ご飯をおごるのがメッシーなんて分類されていたものです。
女の子にとっては良い時代でしたね。
カウンターの出っ張りの部分に手をかけて寄りかかりながら
マスターのレジ打ちを待ち、 お釣りをもらって帰ろうとした時です。
お金をサイフにしまう自分の指先に赤いものが付いていました。
「ん?さっきの食前酒でもついてたかな?」
いやそれにしては今まで気づかないでご飯食べてるか?
「もしかして、今触ってたレジのカウンターに何か赤いものがあって、それを触ったか?」
そう思ってちらっと振り返ったものの、
カウンターには別段異常があるわけでもなく、 笑顔のマスターがいるだけです。
なんだかちょっとべたつきが合って、まるで血が固まりかけたやつを触ったような、
そんな嫌な感じの汚れでしたが、少量だったので指でこすると見えなくなってしまいました。
気持ち悪いので一応事務所にもどってから手を洗いましたが、
ちょっと心にひっかかっておりました。

それから数日もしないうちに、そのイタリアンは店じまいしてしまいました。
女の子たちと「おいしいお店だったのにねー」なんて話していました。
まぁ残念でしたが、この辺のお店はとても出入りが激しく、
目まぐるしく変化します。
お店がなくなってはすぐに新しいお店がオープンするのが日常茶飯事だったので、
とくに不思議にも思いませんでした。

・・・が、その翌週でしょうか、
あのお店が閉店した理由を、 当時人気だった某写真週刊誌で知ることになりました。
「イタリア料理店で殺人事件 死体は冷蔵庫の中に!」
犯人はお店のマスターでした。
夜、一人でお店に来た女性客に
「閉店後にクルマで送ってあげるよ」と誘ったものの、
その後店内でトラブルになったようで、
その女性をはずみで殺してしまったそうです。
死体は冷蔵庫へ隠し、翌日も平然と営業を続けたとのこと。
その死体を業務用のゴミと一緒に出そうとしたところを見つかって事件が発覚したそうです。
ボクは嫌な想像をしていました。
僕らがランチで行ったあの店内には、店員と客のほかに、もう一人・・・
冷蔵庫の中で冷たくなっている人がいたんじゃないだろうか・・・と。

マスターが掃除しきれなかった彼女の血を、
ボクは触ってしまったんじゃないか、と・・・。
今となっては、あの時の食前酒の赤い色が不気味に思い出されます。

朗読: 怪談朗読と午前二時

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