二月とは思えない陽気の午後だった。
交差点を渡ろうとした私はそこで急に意識を失ってしまい、それからの事は全く憶えがなかったのだ。
「事故の事は分かりますか?」
「分かりません」
「今日は何月何日か分かりますか?」
「二月十二日」
横断歩道を渡ろうとし時に信号待ちしていた車が他の車に追突されて、そのはずみで私は跳ね飛ばされてしまったと聞いた。
跳ね飛ばした車はフロントガラスが割れてしまうほど激しくぶつかったのに、その割には足に少し青あざができたぐらいで、奇跡的にも私に大きな外傷は見当たらない。
すぐ病院に母が……いや、母らしい人が駆けつけて来てくれた。
私は母の事が露骨に分からず、その人が私の母だというから母なのだろうとその場はしておく事にした。
こんな人だったかしら? いや、違うと思う。
じゃあ、私のお母さんってどんな人だったか?全く思い出せない。
医師は母らしい人にこう説明した。
頭を打ったような形跡は見当たらなかったので、精神的なショックからくる一時的な記憶喪失だろう。
自分の名前、住所。それに今日の日付が答えられたのだから記憶もすぐ戻るだろうと。
翌日の夕方、私は退院して自宅に戻った。そこは見知らぬ家族が待つ、見知らぬ家だったのだ。
次の日私は学校を休んだ。母が休めと言って、また自分も仕事を休んで一日付き添ってくれた。
私には苦痛の一日だった。私は母を母だと認識したふりをしているが、本当は他所の家の見知らぬオバサンなのだから、無理をしても気持ちが落ち着かなく心苦しい。
そして午後になって友達が見舞いに来てくれた。
「事故の事、覚えてないんだって?」
「そう、だからせっかく来てくれたけど、あなたたちの事も誰だか分からないのよ」
「本当に?」
「ウソよ!サキにクミ。ちゃんと分かってるわ」
「ね、ね、記憶喪失ってどんなの?」
「うん、何ていうか……ビデオが途中で切れちゃって、あとの話にぜんぜん繋がらないって感じかな? それでも私以外の人たちは普通にドラマを展開してるような、そんな気分ね」
実際そうだった。
学校の事も友達の事もちゃんと覚えているのに、自分の家や家族の事が私にはさっぱり思い出せないでいたのだ。
他所の家で家族じゃない人たちと家族のふりをする。
そんな下手な役者みたいな真似も始めは戸惑ったけど、段々とそれにも慣れてきた。
だってそうでしょ? 私はこんなに優しくていい家族に恵まれて、現実にここで暮らしているのだから。
仮に私には帰るべき家があったとして、そこはどこでどんな人たちと暮らしていたのか?
それも憶えてはいないのだから。
日が経つにつれ、膝の下の青あざはすっかり薄くなり痛みもほとんどなくなった。
母の事、父の事。それに二歳年下の弟の事にもだいぶん慣れて、私は本当にここの家族だったような気がしてきた。
それからの私は母に幼い頃の思い出について、よく聞いてみたりする。
小学生の頃の出来事、もっと小さい頃の思い出。
写 真などを見れば、そこにいるのは確かに私に似ている子供で、話も何となく覚えているような気がする。
「まだ、ところどころ思い出せない?
無理しなくていいのよ、ゆっくりと思い出すわ」
母は優しくそう言って笑った。
そうなのだ、これは本当に私のお母さんで、おかしいのは私の方なんだ。
それでも時々頭がぼーっとして、ほんの一瞬の事だけど何か正しい記憶に糸が繋がったような気がする事がある。
私はそれを手繰り寄せようするのだけど、その糸はまるで煙のように立ち消えてそこには何もなくなってしまう。
そんなある時、ふとした事で私は鮮明な違う記憶の手がかりをつかんだ。
そこはどこにでもあるような路地の狭い十字路だった。
角には丸い反射鏡があって、傍らに駄菓子屋が佇んでいる。
本当は文具屋なのだが、どちらが本業なのか分からない。
駄菓子屋の蒼いテントは色褪せ、いつの間にかもうボロボロに穴が空いていた。
さらにその角に立ってみるとずっと奥に神社の屋根が見える。
学校から家に戻る道の反対側にあたるわけだけど、決して知らない道ではない。だけど、どういうわけだか懐かしくて足が竦んでしまった。
ここから先に行ってはいけない。きっと帰れなくなってしまう……。
そんな気がして私はただ路地の奥に見える神社の屋根をじっと眺めていた。
また日が経つにつれ、私はその道が怖くなる。
「怖いほど懐かしい」
形容するならそんな感じだろうと思う。
日曜日の昼下がり、意を決した私は自転車に乗ってその道を辿ってみる事にした。
なぜ自転車なのかと言えば、怖くなったら走って帰れるようにだった。
それでも、どうしてもそこに行かなきゃならない気がして胸騒ぎが収まらなかった。
駄菓子屋の角を進むと神社の真横に出る。
そこをまた左に折れて進めば公設市場があって、その中は店並みが迷路のように入り組んでいて、白熱電球が魚や総菜を鮮やかに照らす。
誰かに手を引かれてよくそこに来ていた。
市場の中はいつも買い物をする人たちでごった返し、威勢のいい呼び声があちらこちらで飛び交う。
その市場は跡形も無く消えていて、たしかなその場所にはレンガ造りのマンションが建っていた。
あれ? ここはいったいどこなの?
所々に見覚えはあるけど、まるで違う街になってしまっている。
頭がぼーっとしてきて、そのうち導かれるように一軒の家に辿りついた。
金属製の小さな門を開いて玄関を開ける。
「ただいま!」
中から出てきた母さんは私を見てしばらく茫然とし、私もその母を見て茫然と立ち竦む。
「何?どうしたの?いったい、何があったの?」
「何か御用かしら?」
「何言ってるの母さん、私よ、チエリ」
頭がボケちゃったのかと思って私は手のひらを胸にあてて、自分の名前を言ってみせた。
いいや、そうじゃない。母さんは年を取ってしまっていたのだ。
すっかり白髪になり、頬も首筋も痩せて皺だらけだった。
それに脚も悪いのか杖をついていて、丸く背中が前傾していて、ずいぶん小さくみえた。
急に涙が溢れ出して、懐かしさと悲しさの入り混じった居た堪れない気分になった。
「そう、とにかく入りなさい」
懐かしい家はところどころで様変わりしていた。
あの町並みのように一瞬にして長い月日が流れたようにも思える。
母さんはアップルティを入れてくれて、その味もずいぶん懐かしく思えた。
「母さんは飲まないの?」
「うん、体が悪くてね。一日に飲めるお水を制限されてるのよ」
何から聞いていいのか分からない。
どこが悪いのか? いったい何があったのか? それよりもなぜ急にそんなに年をとってしまったのか?
「そうね、せっかくだから私も頂こうかしら」
母は見覚えのあるカップに自分の大好きなアップルティを入れ、それをそっと前に置く。
見れば私の写真が小さな額に収められて食器棚に飾ってあった。
それから母さんとふたり、懐かしい話をたくさんした。
デパートの屋上の遊園地の話、おじいちゃんの家でミカンを収穫した話。
母さんはアップルティに口をつける事もなく、たくさんの話をしてくれた。
そうして最後にこう付け加える。
「チエリ、帰ってきてくれてありがとう。でも、もう二度とここに来ちゃダメよ。だってあなた、こんなに幸せそうだもの」
なぜだろうか? 二度と帰れない我が家を後にして、私の心は妙に晴れやかだった。
そうしてまた、あの見知らぬ家族の元に帰って普段通りに明るく過ごすのだ。
その日母が言ったようにあの懐かしい我が家どころか、変わり果てたあの町並みに足を踏み入れる事すらなかった。
なぜならば、例えようもなく寂しくなるからだ。
あの日母さんはこう話した。
父はすでに他界していない。
それよりも私は十七年前にあの交差点で事故に遭って不運にも命を落としたのだという。
そんな話、信じられる?
ある日突然にして私は十七年の歳月を越え、しかも私は死んでいた。
それがなぜか私には素直に受け入れる事ができたのだった。
それはたぶん頭の片隅でもうひとつの家族の事を思い出したからだと思う。
十七年前というと、私がちょうど生まれた年になる。
言い換えるなら、その日の夕方に私はこの世に生を受けた。
それから母さんは静かに言った。
自分はもう余命三か月と宣告されて、それからすでに一か月が経つと……。
だったらなおさら、最期まで傍についていたいと言ったのだが、母さんは硬く拒んで私をもうひとつの家へ帰した。
心配はいらない。姉さんが毎日のように世話をしに来てくれてるから。
悲しい事だ。思い出すたび脚が震えるほど悲しい事だ。
きっともう、母さんはすでにあの家にいないのだろう。
それからさらにまた、長い年月が経ち、私は結婚して男の子を出産した。
それすらも、もう二年も前の事になる。
母は子供を抱き、嬉しそうに玄関の中へと招き入れる。
あれから思えば母もずいぶんと年を取ってしまったけど、
息子を抱く姿はとても幸せそうに映る。
思えば少しぐらいは嫌な事もあったけど、まるで私は二人分の幸せを足したようにだいたい幸せに生きて来れたように思える。
人の記憶というのはごく曖昧で、
例えば見た事も来た事もないはずの風景が記憶にあるように思える事がある。
頭の中で似たような情報がたまたま組み合わさって、過去に体験した記憶と勘違いする現象であるとされる。
それを一般に既視感という意味で「デジャヴ」とか呼ぶ。
それとは逆によく知っているはずのものが記憶と違って見える。
家族や友達が他人に思える。
これを未視感という意味で「ジャメヴ」と呼ばれている。
いずれにしても頭の中で造り出された記憶の勘違いで、人はその錯覚をあたかも事実のように、編集して修正を加えて理解する能力を持つという。
だけど、私はそればかりとは限らないと信じている。
なぜならば私には今現在、二人の女性の記憶がここに同時に、そして鮮明にあるのだから。