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水神様

「おじいさまは水神様の日に亡くなったんだよ」

それは今は亡き祖母から何度か聞いた言葉。
水神様の日がいつなのか、それは俺は知らない。
調べようと思った事もあったけれど、別段そこまでは…と思い25年生きてきた。
けれど俺が大雨で仕事になりそうにない時、
必死に心の中で『水神様、どうか雨を小降りにさせてください』と祈ると必ずそうなるし、
神社の御手水に風や雨もないのに小さな波紋が出来るのはよくある事だった。

そんな俺の友人の家で起きた話。
俺の祖父は代々続く町医者だった。
俺には小学校の頃からの女友達がいて、そいつの祖父も町医者だった。
勿論俺が知っている限りではとっくに亡くなっていて、なんだか共通点が多いし、
気が合うし、結構仲が良くお互いの家を往き来してはよく遊んでいた。

俺の家は俺が小学校に上がった頃に、医院だった所を壊して味噌蔵や他の小さな小屋があった所に今の家を建てたから
既に町医者だった面影なんてなかったけれど、彼女の家は新しく普請もせずそのままだったもんだから、
道路から眺めても旧家、と言った感じの立派な造りだった。
木造二階建て。入り口は大きく、開けると木のきしむ音がする厚い扉。
開けて入ると真っ直ぐに広い土間があり、右側に受付があって待合室、その奥に診察室があった。
診察室までは入った事はなかったけれど、壊された俺の家にも祖父が使っていたレントゲンや、
診察台、薬瓶や缶がずらりとならんだ薬局があったので、同じような造りだと想像する。
築何十年だか分からない家屋は木の色も深みがあり、重厚な雰囲気を醸し出していた。
土間は真っ直ぐに伸び、中庭に続くこれまた古い歪な硝子ばりの戸に続いている。
その硝子戸を開けると中庭。
三棟の離れに囲まれた中庭には手入れのよい松が錦鯉が悠々と泳ぐ池の上にまで枝を伸ばし、
苔むした飛び石がそれぞれの離れに向かって置かれていた。

まあそんな説明は余談であり、彼女の家が俺の祖父よりも格上の町医者だったという表現に過ぎない。
兎に角、いわゆる農家の旧家ではなく、大きな町医者の旧家だという事だ。
小学生だった俺たちはよく彼女の家を探検した。
一階だけでも幾部屋もあるのだが、二階に上がるとまた雰囲気が代わり、
彼女の家の今で言うプライベートルーム的な部屋が数部屋あった。

特に凄かったのは鎧兜が床の間に鎮座した部屋だ。
普段出入りしないからだろうが、少々埃臭いその部屋には赤と黒で彩られた、
いつのものなのかは分からない立派なそれが飾られていた。
兜の下、顔の部分はよく写真とかで見る作り物の目や口が空洞になっているお面のようなものが丁度よくはまっており、
その下の鎧はひたたれまでしっかりと揃っている。
小学生の俺や彼女はちょっと怖いよね、と言いながらも度々その鎧兜の部屋に入ってはそれを眺めていた。

これこそ余談になるのだが、彼女の家には
本物のミイラが飾られているという噂が町でまことしやかにささやかれていたが、そんなものはない。
彼女と家中を探検した俺が言うのだから間違いはない。
あるのは鎧兜だ。
孝明な町医者だった彼女の祖父をひがんでの噂だったのだと思う。
ただ、ホルマリン漬けの何かはあったのは覚えている。
それについては興味がなかったせいかあまり覚えていない。
俺と彼女がそんな感じで探検ごっこと称し、家の中を駆け回ると必ず嗜めてくる人物がいた。
彼女の祖母だ。

いつもしっかりと着物を着て、背筋はしゃんと、
いかにも旧家の奥様といった彼女の祖母は厳しいと言えば語弊に当たるが、
「騒がないで宿題をしてしまいなさい」
「走り回るのは駄目ですよ」
などと俺らがヒートアップしそうになると、必ずやピシャリと一言で大人しくさせてしまう威厳があった。
俺の祖母は同じ町医者の奥さんだったにしても本当に普通で、庭の草むしりをしたりしていたし、
当時としては彼女の祖母は本当に珍しかったと思う。
まあ俺の祖母も爪切りをしていると必ず
「やっぱりゾーリンゲンの爪切りじゃないと切れ味が悪い」
なんて言ってたから、他の人からみれば大層な奥様だったのだとは思うが。

中学に入ってからも俺と彼女は仲がよく、よく二人で手作りの望遠鏡なんかを図面を書いて
(書くのは決まって彼女。彼女はやたらと優秀だった)厚紙なんかで作って遊んでいた。
中学ともなると男女のなんとやら、なんて奴らもいたけれど、
俺たちは全く小学生の時と変わらずにただただ仲が良かっただけだった。
多分、あれは受験を意識し始めた頃だから中三の時だったと思う。
いつものように彼女の家を探検していた時、たまたま鎧兜の兜を外してみよう、と彼女が言ったのだ。
「それ怒られるよ」
「また元に戻せば分からないから大丈夫」
「やっぱやめようよ」
「恐がり。じゃあ私が外してみる」
彼女の祖母にきつく叱られるのが怖かった俺は反対したのだが、
彼女は色褪せてきた兜の緒をそろそろと紐解いてゆく。
かなりきつく縛ってあるようで彼女は苦戦していたが、程なく緒はほどかれた。
「じゃあ取るよー」
彼女は兜を両手で押さえるとゆっくりと持ち上げ始めた。
「やばいって」
「そんな事ないよ。…あれ?結構重い」
予想に反し、なかなか兜が持ち上がらないようだ。
彼女は力任せに、引っこ抜くように兜を持ち上げるとそれはようやく本体から外れた。
「取れたー。かぶってみようかな」
彼女は嬉しそうに笑う。
俺は呆れた反面、ちょっと面白く感じていた。
「…あれ?紙が貼ってある」
兜を被ろうとしていた彼女は何かを見つけたらしい。
「紙?どこに?」
「中。裏側。半分切れちゃってるけど」
彼女に言われて兜を覗きこむと、兜の内側に糊でしっかりと貼られたお札のようなものがあった。
本体と兜をくっつけるようにし貼られていたのか、お札は半分に千切れパリパリとした乾いた半紙のような紙。
そこには読めない字で呪文のようなものが書かれている。
まじないのお札だという事は直ぐに俺らにも分かり、やばい事をしてしまった、という気持ちに襲われた。

「どうすんだよ、やばくね?」
「うん…糊で貼ろうか。元に戻せば大丈夫だよ、きっと」
彼女はそう言うと、待ってて、糊作ってくる、と階下に走っていった。
取り残された俺は心臓の高まる鼓動もそのまに、そっと兜に貼られてる半分に千切れたお札を見た。
こんな物はドラマや映画でしか見た事が無かったので、恐いもの見たさの興味が湧いてくるものだ。
崩した漢字ばかりの文字。
じっくり見ると全く読めないと思いきや、『印』『犬』という文字だけはかろうじて読めた。
「犬…?」
この甲冑を着た誰かが犬を切り殺して…そんな封印のお札なのだろうか。
俺は想像する。彼女の家は由緒正しい名家だ。
そんな事をする人もいなかっただろうし、何処からか買った甲冑なのだろうか。
俺がそんな事を考えているとバタバタと足音がし、彼女が器に伸ばした糊とはけを持って現れた。

次の日から、彼女はどんどん沈んだ顔になっていった。
理由を聞いても「ちょっと貧血なのかな」と笑うだけだったけれども、明らかに元気がない。
俺は彼女と学校から一緒に帰りたかったが、毎日「急いでるから」と断られ、
なんだか一方的に避けられている気分で寂しくなった。
まあ彼女の両親の事だ。
家庭教師でもつけさせられて勉強が忙しくなったのかもしれない。
彼女も市内の私立を目指していたし、勉強が忙しいのだろうと無理矢理俺は合点させようとした。

そうだった。あの後の兜の事を話すのを忘れていた。
あれは彼女が上手く糊を塗り、無事に元通りとはいかないがいい感じに張り合わせて元に戻していた。
やっぱり勝手にいじっちゃ駄目だね、と彼女は笑い、俺も笑った。
けれど、やはりあれでは駄目だったんだ。
張り合わせたって、何をしたって、駄目なものは駄目だったのだ。

次の日曜。
俺は母から彼女の家に沢山作った大福を持っていくように言われた。
「何で俺が」
「どうせ勉強に飽きてゲームしてたでしょ、気分転換に行ってきてちょうだい」
母は大福が好きで、わざわざ農家こら小豆を直接買って大福を作る程の大福マニアだ。
いつも沢山こしらえては近所にお裾分けしていた。
昨日からまた作っているな、とは思ったが、俺に配達のお鉢が回ってきたのは予想外だった。
仕方なしに、気まずいとは思いながら自転車のカゴに風呂敷に包んだ大福を入れて彼女の家に向かう。
彼女の家は自転車であれば10分程度だ。
雁木通りを走り、豆腐屋や呉服屋を横目で見る。
途中、神社に行かなければいけないような気にもなったが、それは気のせいにする事にした。

やたらと天気のよい日だった。
「ごめんくださーい」
大きな古めかしい扉を少し開け(彼女の家にインターホンは無かった)、俺は奥まで聞こえるように声を張り上げる。
すると「はーい」と慌てたような彼女の母の声が聞こえ、俺は少し安心した。
そしてすぐ、ガウ、ガウ、という犬の吠え声。
犬なんて飼ってなかったはずだけどなあと考えていると、
彼女の母の「ぎゃあ!!!」という声、土間に倒れ込む音が母屋に響いた。
「おばさん!?」
俺は慌てて家に入り、扉を締める。
ガラガラという木製の扉の音がもどかしげだ。
風呂敷包みを抱えたまま、俺は土間に倒れている彼女の母を発見した。
駆け寄って声を掛けると、「ああ、あなたね」と彼女の母は傷だらけの顔をこちらに向けた。
よく見れば、傷は傷でも転んだ傷ではない。
腕にも顔にも、爪か何かで深く引っ掛かれたような筋状の傷があちらこちらに。
気が動転してしまった俺に、彼女の母は「早く逃げなさい」とまくしたてる。
俺を押し返すような仕草。
何が何だか分からずに困っていると、土間を上がった先、茶の間からグルル、といううなり声が聞こえてきた。
これは犬の威嚇だ。そう思うが早いか、大きな獣が彼女の母と俺に飛びかかってきた。
犬じゃない、こんな大きな犬なんかいない。
そう思いながらも俺はとっさに大福を入れた重箱が入った風呂敷包みを斜めに振り下ろした。
「キャウン!」
その犬のような何かは土間に叩きつけられ、しばし倒れていた。

その犬のような何かとはーーー彼女の祖母だった。
着物は乱れて汚れ、いつもは綺麗に結い上げられていた髪もざんばらに、目だけは爛々としこちらを見ている。
再びうなり声。
「逃げなさい、早く!」
彼女の母は叫ぶ。
「何がどうして…」
「いいから早く!!!」
目を凝らすと、茶の間の奥には血にまみれて倒れている彼女の兄の姿があった。
どす黒い赤。畳に染み込んだ赤。

俺は彼女の母を肩に抱えると土間を抜け、中庭に出た。
高い塀に囲まれた中庭は彼女の祖母から逃げる術を奪っている。
じりじりと四つ足で土間から中庭に向かってくる祖母。
彼女はどうしているだろうか、生きているだろうか。
そんな心配をしているうちにもグルル、グルル、と犬のように祖母なにじりよってくる。
俺は祈った。
『水神様、どうか雨を降らせてください』
あれほど青かった空に、にわかに灰色の雲がかかってゆく。

曇天。そうだ曇天だ。遠くで稲光が見える。
空は灰色から墨色に染まり、彼女の祖母が飛びかかってきたその瞬間、酷い雨粒が中庭中に降り注いだ。
祖母の声をかき消す程の雨。
その雨に打ち付けられ、祖母は「きゃんきゃん!」と吠えるとその場に倒れ混んでしまった。
俺と彼女の母は酷い雨の中、ずぶ濡れになりながらもしばしその場から動けずにいた。

これが俺の中三の時の話だ。
信じなくたって嘘だと思ってくれてもいい。
ただ、その後瀕死の重症をおっていた彼女の父から鎧兜のいわれを聞いた。
敢えてそれは彼女の家に関わる事だから書かない。
想像してみてくれ。
一つだけ言うと、俺は彼女とその先も付き合う事はなかったってだけ。
謎ばかり残すがここで俺の話は終わりにする。じゃあな。

朗読: 怪談朗読と午前二時

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