除霊ドライブ

 学生時代、先輩からその話を聞いたのはちょうど都知事選の日で、大人数でお花見をした後の3次会か4次会の席でのことでした。
 夜も更けてだいぶ私たちのテンションが落ち着いてきた頃、先輩がやや唐突に「私、この前初めて心霊体験したかもしれない」と聞かせてくれたのです。
 当時先輩には、地元から同時に上京してきた男友達が数名おり、普段から集まってよく遊んでいたそうです。

 ことの発端は彼らから「Y神社までドライブに行こう」と誘われたことでした。
 その神社は観光地として有名なところだったので、先輩は日帰りの小旅行だと思いすぐに快諾しました。
 メンバーは運転手のAさん、Aさんと幼馴染のBさん、Bさんの彼女のC子さん。
 先輩はC子さんと面識がなかったので、ドライブ当日が初対面となります。
 約束の日の朝、ひとまずAさんが車で先輩を迎えに来ました。
 そのままBさんとC子さんを拾って出発という手はずだったのですが、Aさんはなぜか畏まったようなこわばった顔つきをしていました。
「え、なに。どうしたの」
先輩はそこでやっとこれが「みんなで楽しくワイワイ日帰り旅行」というテンションのドライブではないことに気づきました。
 Aさんの話によれば、このドライブの目的は「C子さんに憑いている悪霊の除霊」で、BさんがY神社でC子さんのお祓いをしてもらおうと提案したのだそうです。
「なんでY神社なの?」と先輩は不思議に思いましたが、Bさんがかき集めたネット情報によると、神社には人それぞれ相性の良し悪しがあり、C子さんに最も適した大きな神社がY神社だったから、とのこと。
 現在C子さんは精神的にも肉体的にもかなり不安定らしく、車で遠出するなら女性に同行してもらった方が色々安心では、ということで先輩に白羽の矢が立ったのでした。
 先輩はあまりオカルトや怪談話に明るい方ではなく、ましてやC子さんの状態も人となりもわからなかったため、その時点で取り憑かれているだの除霊だのについては半信半疑だったようです。
 しかし、車がBさんの家の前に到着し、C子さんを紹介された先輩は、一目で「あ、この子やばいな」と直感しました。
 C子さんは服装も髪や化粧も意外ときちんとして小綺麗で、普通の若い女の子らしい格好はしているのですが、目つきだけが妙にギラギラと神経質そうで、なんとも言えない剣吞で異様な迫力があったと言います。
 それでも先輩は内心で「この子心霊的なやつじゃなくて、うつ病とかそういう病気じゃないかな。あとでちゃんと精神科に連れて行くように言わなきゃ」と、この時点でもそんなふうに考えていました。

 2時間ほど順調に車を走らせ、そろそろY神社に着こうかという頃、突然先輩たちの車の前に大型トラックが飛び出してくるアクシデントが起きました。
「やばい!やばい!」
 大きなクラクションの音が響き渡り、急ブレーキの衝撃で先輩もC子さんも一瞬体が浮き、ドスッとシートに叩きつけられました。
 ギリギリのところで接触は避けられましたが、心臓はバクバク鳴っていてすぐには落ち着きそうにありません。
 全員が口々に「あぶねーな!」「信号見ろよ!」と喚き、そこでついに不安が爆発したのか、C子さんはわぁっと泣き出してしまいました。
 先輩は彼女をなだめるために手を握り、神社に到着するまでずっと励ましていましたが、C子さんは「やっぱりダメだ」「私もう死ぬ、死ぬから」と嗚咽しながら繰り返していたそうです。
 ようやくY神社の駐車場へ到着し車を出ると、C子さんは気分が落ち着いたのか、初めて晴れやかな表情を見せました。
 除霊をしてもらえるからこれでもう安心だ、と、Bさんと和やかに話したりもしていたそうです。
 駐車場と神社が直通ではなかったため、一度敷地外の一般道に出て、広い歩道を4人で歩いていたのですが、しばらくすると、突然C子さんが足を止めました。
 それに気付いたのは先輩だけで、AさんとBさんは話をしながらもう本殿の方へ向かって歩いています。
「C子ちゃん、どうしたの?」
 先輩が尋ねると、C子さんは泣きそうな顔で肩を震わせていました。
「行けない。ここから一歩も動けない。入りたいのに、どうしても入れない」
 絶望したように手で顔を覆ってしまったC子さんに、先輩は戸惑いました。
 しかし、そこでふと気付いたことがありました。

 Y神社の大きな鳥居は少し先の方にあるためわかりづらかったのですが、足元をよく見ると、先輩とC子さんの立っている場所は地面を固めているセメントの色が違います。
 おそらく、そこはちょうど公道と神社の敷地の境界で、先輩は神社の敷地側に、C子さんは道路側に別れて立っている状態だったのです。
 その時先輩は初めてぞっとしました。なぜかはわかりませんが、その瞬間からどうしても、C子さんに得体の知れない悪霊が憑いているというのが与太話の類とは思えなくなったそうです。
 同時に、先ほど泣きながらC子さんが「もう死ぬ」と繰り返していたのは「もう死にたい」という意味ではなく「もう殺される」という意味だったんだ、と察して、先輩はすぐにAさんとBさんを呼びました。
「C子ちゃん連れてって!無理矢理にでも運んで!」
先輩の尋常ではない叫び声に二人は走って戻って来ましたが、なぜか成人男性二人がかりでも彼女を神社の敷地内へ入れることができなかったそうです。
 C子さん自身も 「私をそこに入れようとしないで、もうほっといて!」 と言い出す始末で、結局お守りだの破魔矢だのを買うだけ買ってとんぼ返りすることになりました。

 帰りの車内はなんとも言えず重苦しい空気でした。
 Bさんによると、実はこのようなことは初めてではないそうで 「Y神社くらい大きなところなら大丈夫だと思ったんだけど……」 と苦しそうな声でこぼしていたと言います。
 高速道路に入ると、すぐにC子さんは頭を抱えてうつむいてしまい、先輩が何と声をかけても返事一つしてくれません。
 隣にいるだけで何もしてあげることができず、先輩はしばらく彼女の背をさすっていましたが、不意にC子さんが「次のサービスエリアで止まって」と声をあげました。
 ちょうど近くにサービスエリアがあったため、すぐに車を止めましたが、先輩が女子トイレに行っている間にC子さんは売店へ行ったようで、トイレから出てきた先輩が出くわしたC子さんは、なぜか大きなヘッドホンを頭に装着していました。
 それはカバンに入れて持ち歩けるようなコンパクトなタイプではなく、音響関係の仕事の人が付けているような「黒くてゴツいやつ」だったそうです。
 先輩は「こんなのサービスエリアによく売っていたな」と思うのと同時に、なぜ彼女が急にヘッドホンを買い求めたのか不可解でした。
 C子さんは先輩の訝しむ気持ちを見透かしたのか、少しだけヘッドホンをずらしてポツリポツリと先輩に説明してくれたそうです。

「高速に入ってからずっと、死ね、死ねって声が聞こえるから……。ドアを開けてとび降りろって耳元で誰かがずっと言ってて、その声聞いてると、本当にそうしそうになっちゃうの。でも別に、私は死にたくないんだよ、本当に。最初は耳栓を買おうと思ってたんだけどなかったから、せめてこれであの声が聞こえないようにしようと思って」
 先輩はC子さんに何とも声をかけることができなかったと言います。
 頭を抱えてずっとうずくまっていたのは耳を塞いでいたのか、と気づいて、気味悪さからまたぞっと鳥肌が立ちました。
 ヘッドホンを装着したC子さんを連れて車に戻り、先輩が男性陣に事情を説明すると、車内は一層暗いムードになりました。
 チャイルドロックをかけ、先輩はBさんと代わって助手席へ移り、BさんはC子さんの腕を掴んでいられるよう後部座席へ座り、エンジンをかけて再び都内を目指します。
 しかし、数十分も走らないうちに、今度はAさんが休憩したいと言い始めました。
「ごめん、なんか珍しく頭痛くて」
「いいよ、早めに休もう。大事な運転手なんだから。それに私もさっきから頭痛いしちょうど良かった」
 先輩はいい加減陰鬱な空気にうんざりしていたので、わざと明るい声で答えました。Aさんと普段の調子で冗談めいた会話をしたかったのです。
 しかしそれを遮るように、後ろからBさんの低い声が割って入りました。
「なあ、俺も頭痛い」
 ポツリと呟くような声音でしたが、彼のその一言で、Aさんも先輩もなんとなく黙ってしまいました。
「なんか、今までなったことない感じの頭痛じゃないか?俺はここだけ痛いんだよ、頭のここだけ。気持ち悪りい……」
 Bさんはそう言って、自分の右側の額のあたりを指でトントンと叩きました。バックミラーを見ながらAさんは顔をしかめます。
「俺は、後ろ側のてっぺんの方だけが痛い」
 実はこの時、先輩も偏頭痛でした。頭の右後ろ側、その上の方だけが痛かったのです。
 全員がそれぞれ痛む場所を申告し合うと、恐る恐る車内の一点を見つめました。
 C子さんの頭上。そこに何かいる。
 先輩たちに痛みを与える何か、目には見えないけど、絶対に何か嫌なものがいると、全員がそう口を揃えました。
 AさんもBさんもどんどん顔色が悪くなっていきました。今までC子さんにだけ向けられていた何者かの悪意が、だんだんと自分たちへも向けられるようになっていると、全員が感じていました。

 先輩はその後、車内で何度か「見えない誰か」に至近距離で見つめられているような気持ち悪い感覚に襲われ、眩暈と同時に意識が遠のくような妙な症状にも見舞われたと言います。
 その後どうなったのか、と私が尋ねると、先輩は 「頭は痛かったけど、何事もなく普通に帰ってきてみんなで飲んだ。この前地元の霊媒師みたいな人のところに行ったけど、C子ちゃんがどうしてるのかは知らない」 と他人事のように語りました。
 その後も続報はないのかと何度か聞いてみましたが「特にない」という返事以外聞いたことがありません。

余談ですが、2年前に同級生数人で集まる機会があったので「都知事選の日にみんなでお花見行ってさぁ」と私がその日の話をすると、何人も「ああ、そうだったね」と頷くのですが「先輩がこんな怖い話してたよね」と言うと彼らは「先輩そんな話してたっけ?めっちゃ怖いね、それ」と笑っていて、まるで覚えていないようでした。
 酒に酔っていたせいだとは思いますが「私しか覚えていない怪談がある」というのもなんだか怖いので、ネットの海で共有させてください。
 C子さんは今、どこかで元気に過ごしているのでしょうか。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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