迷子

 わたしが小学校一年生の頃の話だ。

 下校の際にいつもいっしょに帰っていた、Aちゃんというクラスメイトがいた。
 Aちゃんの家は学校から遠く、途中でわたしの家の前を通りわたしと別れると、Aちゃんの家に着くまではひとりきりで帰っているらしかった。
 両親共働きで、迎えに来てくれる人もおらず、心細い毎日を送っていたそうだ。
 ある日の帰宅途中、Aちゃんが家までついてきてほしいと言い出した。家についたら帰っていいから、と。
 わたしもあまり家庭環境には恵まれておらず、多少帰宅が遅くなったところで咎める者もいない。ちょっと遊びに行くくらいのつもりで、快くOKした。
 当時わたしの住んでいた街はいわゆる地方都市で、駅前はそこそこ栄えているが少し離れると閑散としてしまう。
 Aちゃんの家までの道のりは、広いばかりで車通りの少ない道路の左右に田畑が並び、その合間を埋めるように寂れた商店と住宅がちらほらと建っていた。
 薄ピンク色の空、傾いた太陽の橙の光を受けて黄金色に輝く田畑と、かじかんだ指の感触をよく覚えているから、きっとあれは秋の時分だったのだろう。
 子どもの足で二十分ほど歩いただろうか。それまでとりとめもないおしゃべりに興じていたAちゃんが、陸橋の向こうの一軒家を指して、「あれ! わたしの家!」と声をあげた。
 今日も両親はいないそうだ。親のいないあいだに誰かをあげると怒られるからと言い、最初に話していたとおり、笑顔で玄関に消えていくAちゃんと手を振って別れた。

 さて、わたしも家に帰ろうと数分ばかり歩いたところで、ひとつ気付いた。
 ここで自分のことを話しておくと、わたしは生来の方向音痴である。
 引っ越してすぐに犬の散歩に出かけて迷子になり、道を聞いてみれば自宅の一本隣の通りだった、ということがあったくらいだ。
 つまり、Aちゃんの家からの帰り道が分からなくなってしまったのだ。どこか複雑な道を通った記憶はない。
 それどころかほとんど真っ直ぐ歩いてきたはずだ。だというのに、どこを歩けばいいかさっぱり検討がつかないのである。
 こんな場所で迷子になってはどうしようもない。
 両親が共働きのため緊急連絡用に携帯電話を与えられてはいたが、当然学校帰りでは持っていない。恥ずかしくはあるが、一度Aちゃんの家に戻って道を聞いてみよう。
 そう思って来た道を引き返すが、歩けど歩けど見覚えのある道には行きつかない。
 わたしは軽い気持ちで友人の家についていったばっかりに、完全に迷子になってしまったのだ。
 見知らぬ景色。どんどん暗くなっていく空。冷えた空気。
 重いランドセルを背負って何十分も歩き続け、体にずっしりと疲労感が溜まっていく。
 本当に家に帰りつけるのだろうかという不安感に、幼いわたしはとうとう泣きだしてしまった。
 すれ違う人はいるが、誰も彼も帰路を急ぎ、道端で泣きじゃくる子どもをちらりと見るばかりで声をかけようともしない。
 その冷たい態度もわたしには酷だった。 悪い考えばかりが頭を過る。
 このまま夜になったらどうしよう。このまま帰れなかったらどうしよう。このまま誰も助けてくれなかったらどうしよう。このまま死んでしまったらどうしよう。
 軽いパニックに陥ったわたしに、とうとう声をかける者がいた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「迷子になっちゃったの?」
 自転車を引いた、ジャージ姿の男女だった。
 近所の中学校の校章が印刷されていたので、部活帰りの中学生だろうかと思った。
 事の顛末を話すと、私の胸につけた名札を見た彼らが、「そこは僕らの出身校だから、学校まで送り届けてあげるよ」と申し出てくれた。
  ああ、助かった。心底そう思った。
 彼の自転車の後ろに乗せられ、学校までの道のりを走り出す。
 薄暗くなっていく街並みが、次第に見慣れた景色に移り変わっていく。
 途中、わたしの家のすぐそばの道を通った。あ! と思ったわたしは掴んでいた彼のジャージを引っ張り、 「ここで降ろしてください、ここで降ろしてくれたらひとりで帰れます」 と言った。
 しかし自転車は止まらなかった。
「ひとりじゃ危ないから。学校まで行ってあげるから、先生にお願いしておうちの人に来てもらいな」
 そう言われて、わたしは少しの違和感を覚えながら、それでも従うしかなかった。

 やがてすっかり人気のなくなった小学校に到着した。
 正門でわたしを降ろしたふたりは、中に入ろうとはしなかった。
 せめて中学校にお礼の連絡が入れられるようにふたりの名前を訊き、そこで別れた。
 職員用の入り口まで行き窓口に声をかけると、ちょうどよくわたしの担任が出迎えた。
「どうしたの、こんな時間に」
「Aちゃんの家までついていったんですけど、帰りに迷子になっちゃって。○○中学のお兄ちゃんお姉ちゃんが助けてくれたんです」
「そう、それはよかったわね。おうちに電話するから、迎えにきてもらいましょう。すっかり暗くなっちゃったから」
 もうとっぷりと日が暮れていた。
 自宅に連絡してもらうと母が帰宅したところだったようで、母が迎えに来るまで、担任と待つことになった。
「そういえば、○○中学の子たちだって言ってたわね。名前は聞いた?」
「はい。○○さんと○○さんです」
 わたしが素直にふたりの名前を答えると、担任の顔がさっと青ざめた。
「先生、どうかしました?」
「……ええ、ごめんなさいね、偶然だとは思うのだけれど」
 そのふたりは、彼女が初めて自分のクラスを受け持ったときの児童の名前と同じだったのだそうだ。
 妙だ、と思った。 担任の彼女というのは、当時五十歳ほどのベテランの教師である。
 新任の頃にこの小学校で教鞭をとり、暫くしてから別の学校で務めたのちまたこの学校に戻ってきた、とは聞いていた。
 その彼女が初めてクラスを受け持ったといえば、三十年近くは昔の話なはずだ。
 その頃の生徒ならばもう当時のわたしの両親かそれ以上の年齢になっているだろう。
 だというのに、助けてくれたあのふたりは、確かに中学生の子どもの姿をしていた。
「そうね、そんなわけないわよね。きっと偶然よ」
 担任はまるで自分に言い聞かせるようにしてそう呟いた。
 良い子たちでよかったわね、とわたしの頭を撫でる指先は、確かに震えていた。 どうかしたのか、と尋ねてみても、彼女はそれ以上語ろうとしなかった。
 やがて母が迎えに来た。なにをしているのか、と小言を言われながら、わたしはようやく遅い帰宅を果たした。
 あれ以来、担任はその日のことを話そうとしなかった。
 わたしも「あんな簡単な道で迷子になったの?」とでも言われたらと思うと情けなくて、あの日のことを誰にも言えないまま、次第に忘れていった。

 それから月日が経ち、わたしは四年生になった。
 両親の離婚が決まり、一学期が終わり夏休みに入ったらすぐに引っ越すことになった。
 そんな一学期の授業内容に、この街の歴史を調べてみよう、というものがった。
 テーマを決めかねていたわたしはふと、それまですっかり忘れていた、あの迷子になった日のことを思い出した。
 その街には大きな図書館があり、古い新聞のバックナンバーが多く保管されていることは知っていた。
 この地を離れてしまう前に、どうしても真相を知りたいと思ってしまった。
 二十年前から遡るようにして、何枚も何枚も新聞をめくる。 しばらくして、ひとつの小さな生地に目が留まった。
 市内で行方不明になった少年少女の報道だった。
 そこにはあの日わたしを助けてくれた、ふたりの顔写真と名前が載っていた。
 部活終わりに学校を出たものの家に帰らずそのまま行方がわからなくなり、今に至るまで見付かっていないのだそうだ。
 わたしはおそろしく思うどころか、どこかじんわりとしたあたたかさと、隙間風のように吹くさみしさを感じていた。
 あのふたりは、きっともう死んでしまっているのだろう。
 どうやって死んでしまったのかはわからない。ただ行方がわからなくなってからそう月日は経っていない、子どものうちだったはずだ。
 彼は、彼女は、あの街を彷徨っていたのだ。
 あの世に逝くこともできず、自分の知っている場所以外にも行けず、ただぐるぐると。
 そんな折にわたしを見付けたのだろう。帰りたいよ、誰か助けて、と泣く迷子を。自分たちの出身校、自分たちの知っている学校に通う子どもを。
 あの日ふたりが見付けてくれなかったら、今頃どうなっていたのだろう。
 ふたりのように、二度と家に帰ることができなかったのかもしれない。
 自分たちのようにならないようにと、助けてくれたのだろうか。

 今となってはふたりのことをそれ以上知ることはできない。
 ふたりはまだ、あの街を彷徨っているのだろうか。
 わたしには、いつかあのふたりの迷子が無事に帰りつけるよう、祈ることしかできない。

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