和室

 当時、私は部員数が50名を超える吹奏楽部に所属していました。
 副部長という肩書きもあり、部活が終わった後の幹部のミーティングや、使用した教室の戸締りの確認などもあり、帰る時間が19時を超えることが大半でした。
 また、演奏会本番前になると21時を過ぎることもありました。
 私の通っていた学校では、普通科の他に音楽を専攻できる学科があるため、ピアノを置いている小さな練習部屋や和楽器を練習できる和室もありました。
 先輩方の話ではここの和室は幽霊が出るらしく、部員達も気味悪がり練習で使うことはない教室でした。
 部活の時に使う教室は、楽器帯ごとに大まかに割り振られていているのですが個別の練習をしたい時には先生の許可をもらい、普段使われてない教室を利用することもできます。
 その日は普段使っているピアノの練習部屋が埋まっていたのと、気分転換も兼ねて普段使用したことのない教室を使ってみようと思い、例の和室を利用しました。

 教室の前には玄関のようになっている前室のような部屋があり引き戸を開け中に入ると床は畳で、大きなグランドピアノが一つあり、襖の収納棚の中には琴がいくつかあります。
 壁には注意書きされた用紙が貼られており、和室のため上履きを脱ぐこと、使用後は換気をし施錠ののち担当教師に鍵を返却するようにと書かれてました。
 和室とはいえ防音仕様になっており、外に音は漏れない作りになっている為見た目のわりにしっかりとした部屋の作りになっています。
 大きな振り子時計の秒針の音が「カッ、コッ」と時間を刻む音が妙に心地よく感じられ、私はこの部屋の虜になりました。
「なんだ、皆が言うほど不気味でもないし練習にも集中できるじゃないか」と。
 そこで私は16時半ごろから練習を開始して夕方の19時ごろに一度全体ミーティングを行い、自主練習をする生徒のみを残し解散の後、再び和室に戻りました。
 この時期は定期演奏会の本番まで1ヶ月を切っていた為、学校に残って自主練習をしている生徒も多かったのですが、2.30分ほど練習して帰るのがほとんどでした。
 和室での練習が捗ったのか解散後時刻を確認したところ、20時をとっくに過ぎていた為、一度職員室にいる先生に時間の確認を行い、21時半には切り上げて22時には帰れるようにしなさいと言われました。
 学校に残っている生徒は居らず、夕方頃の練習音で溢れていた教室は静寂に満たされていました。
 人数が多い都合上、静かな環境で1人で練習することがなかなか出来ない為、私は定期的に和室での自主練習を行うようになりました。

 演奏会本番まで1週間を切った頃、合奏練習で1日を使ってしまった日では個人の練習が全くできない為、いつも通り和室を借り1人で練習をしていました。
 時刻は20時半にもなり「そろそろ仕上げに入ろうかな」と考えていたところ前室の方から音が聞こえます。
「誰かいるのかな。でもこの時間まで残っている人といったら部長か顧問の先生ぐらいだよな」と疑問に思った為、誰かいるんですかと声をかけました。
 すると前室から1人の後輩が出てきました。
 彼女はホルンパートを担当している1年生で、この場ではA子と略します。
 A子が「先輩、ちょっと気になることがあって。一度一般教室まできてもらえますか」と和室の中をいやに凝視してからすぐに出ていき、場所を変えて話し始めます。
「和室で練習を始めた頃からずっと気になっていたことがあったんですけど、いつも誰かと練習をされていますか。部活外の音楽コースの生徒の方とか」と言うのです。
 私は「いや、和室で練習をしているのは俺だけだけど」と応えると「和室から先輩の音とは別の楽器の音が聞こえるんです」と言うのです。
「防音壁になっているから大きく聞こえるわけではないんですが、先輩の音ともう一つ違う楽器の音が聞こえて、最初は聴き間違えかと思ったんですけど最近はその音が……その……」と口を吃らせる。
「最近その音が、廊下まで響いてきているんですよ。とても、とても大きな音で」
 私は「何をいっているんだ。この部屋は俺1人で練習をしているし、いくら防音壁と言ったって音漏れもする。聞き間違いじゃないんじゃないか?」と応えます。
 A子は「そんなわけないです。だってほら、今」
 瞬間私の全身に悪寒が走りました。
 音が聞こえるのです。教室までは遠いので微かではありますが和楽器の音が。
「今の聞こえてますよね。先輩も」というと後輩は私の手を掴み「先輩、今日は帰りましょう」と言いそれに私も同意し、職員室の先生のところまで一緒に行き、「楽器は明日の朝に自主練習をしに行くので置いておいてください。施錠だけお願いしてもよろしいですか」とお願いをし、足早に学校を出ました。
 学校を出たあと、外から和室の方に目を移すと私は足が固まって動けなくなってしまいました。
 和室の窓から私を誰かが見ているのです。制服を着た血塗れの女生徒と和服の女性。
 遠目からでもはっきりとわかるくらいこちらを凝視していました。
「なぁ。あれ、見えるか」とA子に尋ねたところ「え、何がですか」と言います。
 もう一度振り返るとそこには誰も居ませんでした。
 A子をバス停まで送り、「それじゃまたね」と声をかけて私も足早に家に帰りました。

 翌日、土曜日朝7時半に学校に到着し楽器の片付けをする為例の和室に行きました。
 前室の前に着くとなぜか前室の明かりがついていて、恐る恐る鍵を開け前室に入ります。
 私は「はっ」と息を飲みました。
 普段見慣れない下駄と、赤黒い斑点模様のついている黒いローファーが一足ずつ、並べてあるのです。
 そして、恐る恐る引き戸を開けると部屋の真ん中に琴が二つ広げられているのです。
 真っ黒い、大きな木目の琴と、蛇腹模様の特徴的な琴が一つずつ。
 こんな早い時間に校内ににいる生徒は私1人しかいません。ましてや休日です。
 顧問の先生もいないので、音楽の先生が不在の中この楽器を出せるわけが無いのに、何故楽器が展開されているのか、そして前室にある靴はなんなのか。
 私は意味がわからず自分の楽器だけ抱え音楽室に戻り、逃げるように学校から出ました。

 それ以来私はあの和室を一度も使用していません。
 部活の後輩が、怖いもの見たさに使ってみようかなと言っているのを聞くと前の私を思い出します。
 何故あの教室を使ってしまったのかと、今では大きな後悔が胸を締め付けます。
 後日、先生に和室に置いてある楽器について尋ねました。
 音楽コースの生徒でも無いのに琴に興味を持つのが面白かったのか楽しそうに話します。
 その中でも1番古い物は真っ黒い木目の物があるといい私は思わず俯いてしまいました。
 もう一つの蛇腹模様のことについて尋ねると、先生の顔は急に真顔になりました。
「その琴をどこで知ったのか分からないけど、いや、もしかしたら知ってしまったのかもしれないけど、私からはあまり言えることはない。私が赴任する前にあったことらしいからね。なんでもその楽器を所有する生徒が下校時に事故で死んでしまったらしくてね。でも、楽器は何故か学校にあるんだよ。不思議だよね」と。
 最後に「月曜日に和室に行った時に、和室に楽器が二つありませんでしたか」と尋ねると「いや、部屋は綺麗に整えられていたよ。片付けありがとう」と言い残し先生は職員室を後にしました。
 女生徒は死んでしまっているのにあの蛇腹模様の楽器が何故未だに学校にあるのか。
 あの和服の人は誰なのか。あの時何故楽器が部屋に展開されていたのか。今では誰も知る由もありません。
 ただ、今でもたまに夢に出てきます。
 あの日、外から見た女生徒と和服の女性が大きな目を見開いてこちらをじっと見つめる顔が。

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