廃村の怪異

 うちの夫は、廃墟探索が趣味だ。 ……いや、正確には、「だった」なんだけど。
 数年前の夫は、休みの日にはバイクを飛ばして廃墟を探しに出掛けていた。
 見つければそのまま中を探索し、写真を撮る。見つからなければツーリングで終わる。 1人の時もあれば、バイク仲間と一緒のこともあった。
 家で待っている私からしたら、廃墟の床を踏み抜いて怪我をしたり、廃墟で生活している人やDQNに襲われるのではないか……と心配になるので、やめてほしいといつも思っていたんだけど。
 そんなことお構いなし、自由気ままに廃墟探索をしていた夫に、「もう廃墟には行かない」と言わしめた出来事を語ろうと思う。

 ある日、いつものように早朝からツーリングに出かけた夫からLINEが届いた。
 内容は、「〇〇地方の山の中で廃村っぽいの見つけた! これからちょっと探検してくる!」という報告と、その廃村と思しき場所をバックに、バイク仲間のNさんとツーショットで撮った写メだった。
 探索するときは、何かあったとき(遭難や怪我など)に困らないよう、大体の場所と同行者を私に知らせるようお願いしてある。
 今回の同行者であるNさんというのは、夫よりも少し年上で、独身を謳歌している30代後半の男性だ。
 SNSで知り合い、同じバイクに乗っていることから意気投合。
  2人を中心に、お互いの同僚やSNSの友人等も含め、都合のつく者同士がたまに集まりツーリングに行くという、ちょっとしたバイクサークルのようなものが出来上がった。
 Nさんはちょっと変わり者で、オカルトにも詳しく、夫が廃墟好きだというのを知って、廃墟の情報交換をしたり、ちょくちょく一緒に探索もしていた。
 ただ少し人の気持ちがわからないというか……アスペっぽいところがあり、私は苦手だった。
 同行者がNさんということに、若干の不安を覚えつつも、「了解。気をつけてね。わかってると思うけど、暗くなる前には出るように」と返信。 すぐに既読がつき、「はーい」という猫のスタンプが送られてきた。
 気の抜けた応答に半ば呆れつつ、子供たちの昼食の準備に取り掛かった。
 夕方になり、そろそろ家に向かって出発した頃かな? と、LINEを確認したが、猫のスタンプ以降のメッセージはない。
 いつもなら、このくらいの時間にはとっくに探索を終わらせて、「帰るよー」なり、「ご飯食べて帰るからいらないよ」なり、何かしらのメッセージがあるはずだった。
 しかも今日探索に行った地方はかなり離れた場所にあるため、もう出発していないと明日の仕事に支障が出るほど遅くなってしまう。
「おーい? そろそろ帰ってこないとまずいよー?」とメッセージを送る。
 10分、20分、30分……。
 待てど暮らせど、既読にならない。 流石におかしい。
 この件では何度もケンカすれすれの言い合いをして、しっかり連絡を入れることなどを条件にしていたから、夫も気を遣って必ずこまめに連絡を入れてくれていたのに。
 もしかして電波が届かないとか、電池切れとか……? すぐにLINEではない通常の電話をしてみる。
 ……繋がった。 電波はしっかり届いているし、電池も切れていないようだ。
 そのままコールし続けるが、一向に電話に出ない。
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プルル……ッ…プツン ツー ツー 
 ……何度目かのコールで、突然切れた。
「……え?」 すぐにかけ直す。
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プ………ァ……ォ……ッ…プツン ツー ツー……
 一瞬、電話に出ているのか、切れる直前に少しだけ声が聞こえる気がした。 嫌な予感がして、もう一度かけ直す。
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プルルルルルルルル
 プ……
「あ! ねえ、もしもし?大丈夫?」
「「「ぅ…うううううああぁ…」」」
 まるで何人もの人の声が重なったような不気味な唸り声のようなものが返ってきて、私は思わずスマホを投げ捨ててしまった。
 しばらく投げ捨てられたスマホを凝視して固まっていると、私の様子を心配した娘がスマホを拾おうと駆け寄っていった。
 思わず娘の名前を叫び制止する。 恐る恐る自分でスマホを拾い上げて画面を見てみると、「通話終了」の文字と共に、ツーツー……という音が電話口からうっすらと聞こえた。
 もしかしたら人が大勢いるSAか何かにいるのかもしれない。 だとしたら、きっとそのうちに帰ってくる……。
 薄情かも知れないけれど、得体の知れない恐ろしさに、無理矢理自分を納得させた。
 もう電話をかけたくない……それが本音だった。

 夕飯や風呂、寝かしつけを終わらせる頃になっても、まだ帰ってこない。
 この頃には、もう気が気ではなくなってきていた。
 警察に連絡するべき……? いや、でもまだ移動中かもしれないし……。 朝まで待ってみて、帰ってこなかったら連絡しよう……。
 そう考えながら食器を片付けている時だった。
 ガチャガチャガチャッ と玄関の鍵が開く音がしたので、慌てて玄関まで行くと、夫が帰宅していた。
「おかえり! 心配したんだよ!」と声をかけるが、どこか様子がおかしい。
「あ、うん、ごめんね……。スマホ落としちゃってさ……」と、真っ青な顔で呆然としている。
「……大丈夫……?とにかくお風呂入っておいでよ。体冷えてるでしょ?」と入浴を促す。
「ありがとう……でもその前にスマホ借りていい? Nさんに電話しないと……」
 夫は呆けたような、何かを恐れているような、そんな表情のまま、私のスマホでNさんに電話をかけた。
 しばらくしてNさんが電話に出たらしく、小声で何やら話しているようだった。
「今帰宅した」
「そっちは大丈夫?」など、気遣っているようなやりとりをしているようだ。
 私はまだアウターなどを着たまま話している夫をぼーっと見つめ、嫌なことに気がついてしまった。
「スマホ、落とした……?」
 じゃあ、あの声って何……?
 あの時のあの唸り声を思い出して、鳥肌が身体中を駆け巡るのを感じた。
 Nさんとの通話が終了して私にスマホを手渡してきた夫に、「スマホ、どこで落としたの……?」と聞くと、夫の顔色がサーッと悪くなる。
「ちゃんと話したいんだけど、自分でも頭の整理が出来てない。……ひとまず風呂入らせて……」 と呟くように言ってから、お風呂に行ってしまった。
 長距離のバイク運転は疲れる。 なおかつ、今は秋も終わりに差し掛かっている頃だ。体も冷えたはずだ。
 私は夫の夕飯を準備して、大人しく待つことにした。
 お風呂から上がり、気持ちも落ち着いたのだろう。
 顔色も良くなった夫が、夕飯を食べながら話してくれた。

 以下は、夫から聞いた話。
 実話なので意味のわからない描写もあるだろうけど、極力そのまま書く。
 わかりやすくする為に、私が話を聞いて想像して書いている部分も多々あり。 違和感があったらごめん。

 私にLINEで報告をした夫とNさんは、バイクから探索に必要なアイテムをバックパックに詰めて、意気揚々と廃村に突入した。
 午後13時頃、陽は高く、廃村といえども村であったその場所は、木々も開けていて明るかったこともあり、2人は安心しきっていたという。
 ほとんどの家が朽ち果てており、床板もボロボロ。流石に内部まで侵入することができず、中に残置物が残っていても、遠目に見るだけで済ませていた。
 時折年代物の農工具などを見かける以外、大して面白い、目新しいものもなく、「こんなもんか……」と肩を落としていると、Nさんから「ちょっとEくん(夫)、こっち!」と興奮気味に呼ばれた。
 Nさんの方へ行ってみると、地主の家らしき、一際大きなお屋敷があった。
 他の家と比べて状態も良く、まるでつい最近まで人が住んでいたのでは? と思うほどだが、玄関の引き戸が外れていたり、瓦屋根の一部が剥がれ落ちていたり……と、無人であることは容易に理解できた。
 外れた引き戸を退かし、玄関に入る。 念のため「ごめんくださーい」と大きい声で呼びかけるが、応答はない。
 広い玄関にかけられたカレンダーには、「1978年11月」と記載されている。
 そんなに長い年月放置されていたのか……と、Nさんと顔を見合わせた。
 40年も人がいなかったことが嘘のように、室内はとても綺麗に保存されている。
 玄関には男物の下駄が一足、外側を向いてきちんと揃えて置かれていた。
 他に履き物もなく、あまりにも整っていることを少し不気味に感じつつも、掘り出し物を見つけたような気分でワクワクしながら中へと侵入した。
「おじゃまします……」
 2人は玄関で一礼して、まずは玄関先を見て回ることにした。
 綺麗とはいえ、埃や木屑などで足元はそれなりに汚れているし、壁板や床板も所々朽ちている。
 割れた窓ガラスから侵入した植物が自生していたり、昆虫の死骸があちらこちらに転がっている様は、やはり廃屋。
 それでも、童謡に出てくるような振り子式の大きな古時計や、壁にかけられた家族の肖像画、玄関に敷かれたゴブラン織りの大層な絨毯など、ノスタルジーを感じるには充分だった。
 玄関の先には広い廊下が横に伸びていて、廊下に沿って横並びに部屋があるようだ。
(話を聞いて私が想像したのは、サマー●ォーズのお婆さんの家だった)
 とりあえず、目の前の部屋に歩みを進める。
 どうやらそこは居間のようで、隣は広い台所になっている。 広間の机などは、部屋の隅に綺麗に積み重ねて片付けてある。
 対して台所には生活感があり、調理器具や家電などはそのままの状態で置いてあった。
 ここでNさんが、当時としては高級品であっただろう、大型の冷蔵庫を開けて見ようと言い出した。
 経験上、冷蔵庫の中は見るも無惨な状態になっていることが多かったので、「えーなんか怖いなぁ」などと笑いながら、観音開きのドアの片方をゆっくりと開けた。
 意外にも中はスッキリしており、食べ物と思われるような残置物は残されていない。
 ハズレかぁとNさんが言うのとほぼ同時に、もう片方を開ける。
「? ……なにこれ?」
 そこには、白い陶器の壺のようなものが四つ、並べて置いてあった。
 夫はすぐに、なんかヤバいのでは……と思ったが、言うよりも先に、Nさんがそれを一つ手にとってしまった。
「なんだこれ? 漬物か?」
 Nさんは、躊躇なく蓋を開けてしまう。 開けたまま、固まるNさん。
「え……? 何?」
 固まるNさんの手元を覗き、夫は息を呑んだ。
 骨だ。 粉砕された骨が入っている。
 白い陶器の壺、それは骨壷だった。
「Nさん……! 戻して!」
 夫の声に我に帰ったNさんは、急いで蓋を閉めてすぐに冷蔵庫に戻した。
「はは……びっくりしたぁ……。なんでこんなもんが冷蔵庫に入ってんだよ…」
 Nさんは笑ってはいたが、明らかに狼狽していた。
 そこからなんだか建物の雰囲気が悪くなったように感じた、と夫は話す。
 そうは言っても、夫は元々霊的なものには懐疑的で、今までいろんな廃墟を回ってきたけど、そういうのにはお目にかかったことがないから信じられない……という持論があったため、その時はまだ「気持ち悪いもん見ちゃったな」くらいの気持ちでいたらしい。
 きっとこの空気の澱みも、そういう気持ちから来ているものだ……と思っていた。
 四つの骨壷……あの肖像画の家族の誰かかな……? しかもなんで冷蔵庫に入ってるんだ……? ……気持ち悪い。
 色々なことが頭に浮かび、なんとなくそれ以上見て回る気になれなかったが、Nさんが折角だからまだ先を見ようと言うので付き合うことにした。
 広間から出て右奥の部屋に進む。 そこは何やら寝室だったようで、布団が重ねて置いてある。
 寝室の奥の部屋には、大きな桐ダンス、レトロな装飾品、棚と一体化したダイヤル式のブラウン管テレビも置かれていて、かなりの生活感を感じる。
 40年もの歳月を経て、当時の香りを遺すそれら残置物に、夫の心は踊り、先ほどまでのことはすっかり忘れ夢中になって写真を撮った。
「すごいなぁ、こんなに当時のものが綺麗に残ってる廃屋、今までなかったよ」 と、Nさんと話しながら探索を続けた。
 しばらく探索していると、子供部屋らしい部屋にたどり着いた。
 どうやら女の子の部屋のようで、可愛らしいぬいぐるみや、当時流行っていた某少女漫画やアニメのおもちゃが、まるで今の今まで遊んでいたかのように散らばっている。
「姉の部屋がこんなだったなぁ」と、部屋を見て回るNさんが、学習机の横にランドセルがかけられているのを見つけた。
 あれ? ランドセル……?
 何か違和感を感じたが、Nさんはそのランドセルを取り上げて中を物色し始めた。
 夫は基本的に写真を撮るだけで、その場にあるものには出来るだけ触らないようにしている。 なので、このNさんの無礼な行いに少なからず戸惑った。
「すごいな。中身もそのままだよ。ほら」
 ランドセルの中をこちらに向けるNさん。 教科書、ノート、筆箱などがそのまま入っている。
「懐かしいなぁ。こんなだったよな、教科書」
 Nさんは、「こくご 二年下」と表紙に書かれた教科書を、子供時代を懐かしみながらペラペラとめくった。
 その様子を眺めていた夫は、ふと違和感の正体に気付いて凍りついた。
 引っ越しをしたのなら、ランドセルは必ず持っていくはずじゃないか?
 例えば、中学生に進学してランドセルを使わなくなったのなら、置いていくのはわかる。
 でも、この部屋にあるおもちゃはどう考えても小学校低学年くらいの子供のおもちゃで、教科書は二年生のものだ。 考えてみれば、この家は何かがおかしい。
 引っ越しをしたにしては、物が残りすぎているし、片付きすぎている。
 経済的にも恵まれていたであろう、おそらくは地主の家。 夜逃げも考えにくい。
 そしてなにより、今の今まで人がいたかのような妙な生活感……。
 今までたくさんの廃墟、廃屋を写真に収めてきたが、ここまで状態がいい廃屋は見たことがない。 胸騒ぎがした。
「Nさん、やっぱりもう帰ろう」
 夫は、未だに部屋を物色しているNさんに声をかけた。
「え? どうしたの? まだそんなに時間経ってないでしょ。まだ見てない部屋たくさんありそうだよ」 とNさん。
「いや、なんか変な感じするんだよね。……もう出たほうがいいよ」
 夫の提案に、Nさんは少しバカにしたような感じで「なに? 怖くなった?」と笑った。
 その態度にムッとした夫は、 「じゃあ俺は外で待ってるから、満足したら戻ってきてよ」 と伝えると、屋敷を出た。
 バイクが置かれている場所に戻る道すがら、雑木林の向こうから誰かに見られている感覚がして、寒気がしたという。
 夫がバイクに戻る頃には、既に16時近くになっていた。
 そろそろ出なきゃなぁ……と思いながらも、Nさんを置いていくわけにもいかず、スマホを弄りながら待っていた。

 1時間程待ってもまだNさんは屋敷から出てこない。
 もう陽は傾き、暗くなり始めている。
 時計を見て、屋敷を見て……を繰り返し、Nさんが出てくる気配もなく、もう置いて帰ってしまおうか……とイライラし始めた頃。
 背後の雑木林から再び視線を感じ振り返った。
 誰もいない。 当たり前だ。廃村なんだから。
 近くに集落もなく、完全に孤立した土地だ。 人がいるはずもない。
 もしかして、熊? 野生の動物? もし熊だとしたら、やばいよな……。
 そんなもん幽霊より怖いだろ……と、暗闇が落ち始めた雑木林にライトをそっと向けて目を凝らした。
 ざっと周りを見渡したが、生き物らしい姿はない。 と、雑木林の中に、開けた場所を見つけた。
 暗い雑木林の中、そこにだけ陽が当たって少しだけ明るい。
 じっ……と焦点を合わせて、ゾクッとした。
 墓地だ……。
 そう思うと同時に、背後から肩をポンと叩かられ、「うわっ」と声を上げて振り向く。 Nさんだった。
「ははは……びっくりした?」
 相変わらずバカにしたような笑みを浮かべていた。
「遅いって。何してたの」 と、呆れ半分で言うと、 「悪い悪い。いやさ、凄いもん見つけちゃって!」 と言って、スマホの画像を見せてきた。
 暗くてよく見えないが、木製の格子のようだった。
「なにこれ?」
「これ、座敷牢だよ」
 ニヤニヤといやな笑みを浮かべるNさん。
 夫が「は?」という反応をすると、「これならわかる?」と引き続きフラッシュで明るくなった写真を見せてくる。
 ボロボロになった畳と、木製格子。 たしかに、牢屋のようになっている。
 そして、その空間の隅に、何か白っぽいものがある……。
「わかる? これ、頭蓋骨!」
 Nさんは目をギラつかせて笑っていた。 血の気がサーっと引くのがわかった。
 座敷牢、頭蓋骨も充分不気味だったが、なによりもNさんの笑顔が恐ろしかった。
「屋敷の庭に蔵見つけてさぁ。なんかあるかなって見に行ったら、地下に続く扉がって。そこがこうなってたんだよね! いやぁ、凄いよこれ! 歴史的発見じゃないの!? 面白いよねぇ!」 と始終興奮した様子で話すNさん。
 その異様なはしゃぎぶりに困惑し、ここに来たことを酷く後悔した。
 とにかく一刻も早くここから立ち去りたい。 いや、Nさんから離れたい。
 空はさらに暗く重くなってくる。 夫はバイクに跨り、エンジンをかけた。
「とりあえず俺、帰るわ。嫁さん心配させちゃ悪いし。Nさんはどうすんの?」
 どんな返答が来ても、自分はもう離れるつもりで聞いた。
「なんだよ……帰っちゃうの? 飯行こうよ」と誘われたが、もうその気も失せていたので直帰する意思を伝えようとした。
 けれども、自分の意志に反して口をついて出た言葉は 「返せ」 という抑揚のない一言。
「……は?」
 Nさんは怪訝そうな顔をして夫を見る。 自分でも何が起きたのかわからず、口元を押さえて戸惑っていると、何かが視界に入ってきた。
 こちらを睨むNさんの背後。 朽ちた民家の柱の横に、人が立っている。
 ワイシャツにグレーのスラックス。 顔つきまではわからないが、白髪で初老の男性のようだった。
 何故かその時、自分の口を通して「返せ」と言ったのはこの男性だと理解した。
「あ……」
 気付くと、夫とNさんの周りには10人程の人間がぼんやりと立っている……。
 老若男女、さまざまな人々が、自分とNさんを囲むように佇んでいるのだ。
 その中に1人、幼い少女がいた。 なぜか他の人たちはグレーや白黒で色彩を持たないにも関わらず、鮮やかな黄色い花柄のワンピースを纏ったこの少女だけが、鮮明に映った。
 少女は、悲しげな表情を浮かべてこちらを見つめている。
 あの子供部屋の主人だと、すぐにわかった。
 目の前の友人の蒼白な顔色にNさんも気付き、夫の視線の先を辿るように振り向いた。
「っひ……」
 数歩後退り、自分のバイクに体がぶつかるNさん。
 慌ててバイクに跨ってエンジンをかけ、こちらを振り返りもせずに発進してしまった。 夫もすぐにその後を追う。
 後ろから追われているような気がして、今にも追いついて何かされそうで、背筋が寒い。
 とにかく前へ。家族が待つ家へ帰りたいと言う一心で、恐怖を振り払いながら運転した。
 オフロードバイクとはいえ、割と初心者であった夫は、がたつく悪路でスピードを出せない。
 前方を走るNさんはかなりスピードを出しているようで、どんどん遠ざかっていく。
 ようやく林道を抜けてアスファルトの道に出る頃には、すでにNさんの姿は見えなくなっていた。
 夫はそこから公道まで出て、コンビニで休憩することにした。
 Nさんに対する怒りもあったが、とにかく恐ろしくて自分が見たものを信じられず、しばらくただ呆然としていた。
 とりあえず妻に連絡しなくては……と思いたち、スマホを取り出そうとする。 が、いつも胸ポケットにしまってあるはずのスマホがない。
 そうだ……雑木林を照らしていたとき、バックシートに置いてそのままだった……。 と、思い出した。
 当たり前だが、バックシートにもない。 悪路を進んでいたときに落としたか……または、村に落としたか……。
 流石に戻る気にはなれない。 夫はスマホを諦め、コンビニで休憩してすぐに帰った。

 ……と、ここまでが夫の体験した話だ。
 話を聞き終わり、情報量の多さに唖然としてしまった。
 兎にも角にも、近いうちに神社に行こうという話に落ち着き、その日は終わった。

 ……それで、ここからは後日談。
 Nさんと連絡が取れなくなった。
 LINEも既読がつかず、電話にも出ない。 完全に音信不通となってしまった。
 あまりにも連絡が取れずに不審に思い始めた頃、バイク仲間で、Nさんの同僚から連絡がきた。
 その人はNさんと同じ会社の寮に住んでいるのだが、出社もせず寮にも帰ってこないので、会社から家族にも連絡が行き、家族が捜索願いを出したとのことだった。
 そして、そこから更に数週間経った頃。 Nさんが見つかった……と、またその同僚から連絡が入った。
 例の廃村に続く林道にたまたま立ち入った林業の方が、不自然に崩れた崖下でバイクを見つけ、その数メートル先に変わり果てた姿のNさんがいたのだという……。
 警察は不慮の事故という見解を見せ、Nさん失踪事件は解決に至った。
「返せ」
 ……夫の口を借りて、誰かが言った言葉がずっと引っかかっている。
 もしかしたらNさんは、村から何かを持ち出したのではないだろうか……?
 それを返しに行く途中で、事故にあったんじゃないか。
 ……そもそも、林道で見つかったNさんは、夫が電話した時にはまだ生きていたのだろうか?
 逃げる際にNさんを見失ったと言っていたが、もしかしてその時には……?
 実は、夫が一眼レフで撮った写真には、メンフクロウのような白い顔が所々に写っており、お祓いしていただいた時に一緒にお焚き上げしてもらった。
 夫はしばらくの間かなり怯えた様子でいたが、その後、夫にも私たちにも何も起こっていない。
 わからないことが多い謎の残る出来事だった。
 夫は、「もう二度と廃墟巡りはしない」と言って、あんなに楽しんでいたバイクも売ってしまった。

 これを読んでる皆さんも、廃村や廃墟を見つけても安易な気持ちで立ち入らないことをお勧めする。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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