わたしが実家と呼んでいる家は元々祖父母の建てた父の実家で、両親の離婚と共に父方の祖父母宅へ預けられたかたちになる。
つまりは住むようになる前は、わたしにとってはいわゆる「おじいちゃんおばあちゃんの家」だったわけで、子どものわたしは父の帰省にあわせて泊まりに行くのがいつも楽しみだった。
しかし、どうしても好きになれないことがあった。
建てられた当初はそれなりにモダンな洋風のつくりだったのだろうが、その年代の住宅として例にもれず、その家には仏間が設けられていた。
その仏間が、わたしたちのような親族が来る際の客間としても使われていたのだ。
本当に幼い頃はさして気にもしていなかったが、ある程度物事がわかるようになる小学生くらいの時分には、仏間で眠るのがこわくなっていた。
眠っているあいだ中、どこからか視線を感じるのだ。
部屋にあるのは仏壇と、その上に飾られた、話した記憶もない曾祖父の遺影のみだ。 それが、こちらを見ているような気がしてならなかった。
そしてその視線は何故だか、わたしを拒んでいるような気がしたのだ。 見られているだけで、金縛りにあったりだとか声を聞いたりだとか、そういったことは起こらなかった。
そのため恐怖症といったものは別段なかったが、どうにも苦手な感覚で、ろくに寝付けないこともしばしばだった。
祖父母や父に、曾祖父はどんな人だったのか尋ねたことがある。
気性は穏やかだが、家族や仕事には厳格な面を見せることもあったそうだ。
わたしは悪い子だから、ひいおじいちゃんに嫌われている。
子ども心にそんなふうに思って、ひどく悲しかった。
そんなことが何度かあったあとのことだ。
小学三年生の盆にいつものように帰省した。
わたしはこの時期の仏間がいっとう苦手だった。視線が増えたような気がしたからである。
この夜、わたしは暑さのせいもあってか寝付けず、ふと目を開けた。
視界の端に、隣で眠る家族の誰のものでもない頭が見えた。
驚いて身を起こすと、仏壇の前の座布団にきれいな姿勢で正座して手を合わせる、着物姿の老人の姿があった。
暗がりのせいもあってか、年老いた男性であることしかわからなかった。
不思議とこわいとは思わなかった。 老人はわたしが起きたことに気付いたのかこちらを振り返ると、穏やかに微笑んだ。
「○○ちゃんかい」
わたしの名を出されて驚いたが、素直に「はい」と答えた。
「どうだい。学校は楽しいかい」
「好きなことはあるかい」
そんなふうに、他愛もない話を続けた。穏やかな時間だった。
あとになって気付いたことだが、その男性と話しているあいだだけどうしてか、蒸すようだった部屋の気温が心地の良い涼しさになっていたようだった。
しばらく会話をしていると、急激に抗いようのない睡魔に襲われた。
「今日はもう遅いから、ゆっくりおやすみ」
男性の静かな声に促されて体を倒すと、枯れ枝のような腕がやさしく布団をかけた。
目を閉じ泥のように眠りに落ちる最中、唐突に気付いた。
視線は、あの仏壇からでも、遺影からでもなかった。
ずっと、窓の向こうから室内へ投げかけられていたのだ。
それが今は、一切感じられないのだ。
ああ、そうか。わたし、嫌われてなかった。守ってくれたんだ。
安心感に包まれて、深い眠りに身を任せた。
翌朝。 目を覚まして真っ先に目に入ったのは、朝日に照らされて縁を光らせる、曾祖父の遺影だった。
枠の中には穏やかに微笑む、あの夜の老人の姿があった。