光のトンネル

 私が小学校3年生の頃。 母が県内の大きい病院に入院した。
 手術から退院までの約2週間、祖父母や叔母の都合が合えば必ずお見舞いに行っていた。
 そんなある日のこと。

 手術も終わり、元気な姿を取り戻しつつあった母は、叔母との面会で話に花が咲き、談話室でおしゃべりを始めた。
 大人の話についていけなくなった私は暇になり、院内を探検してみることに。
 フロアにはカラフルなテープで線が引かれていて、その色ごとに行き先を示していたので、私は迷うことなく院内を歩き回った。
 たくさん歩いて疲れた頃に、ちょうどベンチを見つけてそこに座る。
 すると不意に視界の中に、燻んだ緑色の軍服のような服を着た人が飛び込んできた。
 その人には右腕と右脚がないようで、その部分の袖が所在なくゆらゆらと揺れていた。
 左半身で松葉杖をつき、けん、けん、という調子で、私に後ろ姿を見せて奥へと歩いていく。
 軍服姿に松葉杖という異様な出立にも関わらず、周囲の人たちは見向きもしていない。
 不思議に思い、暇を持て余していた私は、興味本位でその軍服姿の男性の後をつけてみることにした。

 しばらく後をつけていると、不思議な感覚にとらわれた。
 相手は松葉杖で、私は小走り。 それなのに、依然として距離が縮まらないのだ。
 おかしいな……とも思ったが、疑問よりも好奇心のほうが勝っていた。
  というより、「おかしい」という考えがふわふわとまとまらなかったような感じかも知れない。
 それ以上考えられなくなっていたような、そういう感覚だった。
 男性はアーチの入り口を抜け、さらに奥へと進んでいく。
 その空間はトンネルのような形になっていて、陽の光が差し込んでいるのか、とても明るく感じる。
「こんな素敵なところがあったんだ」 と、まるでお姫様になったような気がしてワクワクした。

 走り出したい気持ちに駆られた、その時。
 前を行く男性の歩みがピタリ、と止まり、こちらを振り返った。
 辺りの光が眩しくて、顔は見えない。 が、何故だかとても悲しい気持ちに満たされ、涙が頬を伝う。
「帰りなさい」と頭の中に声が聞こえた気がして戸惑っていると、肩を叩かれた。
 振り返ると、心配そうな顔をした看護士さんがいた。
「どうしたの? ここから先へは行けないよ」 と言われ、「え……? でも……」と男性を指差そうとして向き直るが、そこは薄暗い通路だった。
 あの男性もいなければ、光が差す美しいトンネルもない。
 ふと、暗い通路の中、突き当たりに蛍光灯がうっすらと照らし出す両開きの扉があることに気がついた。
 蛍光灯の下に「霊安室」という表示が映し出され、私は混乱して固まった。
 看護士さんは何かを察したのか、穏やかな口調で、「迷っちゃったんだね。お母さんのところに一緒に戻ろうか?」と言ってくれたので、怖かったこともあり、連れて行ってもらうことにした。

 母の病棟の談話室に戻ると、叔母が「どこ行ってたの? 探したんだよ!」と慌てて駆け寄ってきた。
 母は検査の為に退席しており、叔母は帰ろうと思い私を探していたらしい。
 どんなに探しても私が見当たらないので、いよいよ焦っていたところに私が帰ってきた……ということだった。
 叔母はついてきてくれた看護士さんに仕切りにお礼を述べ、看護士さんはそれに畏まると、私に「探検も程々にね」と優しい笑顔で言い、去っていった。

 大人になった今でも、この不思議な出来事を時折思い出すことがある。
 霊安室の文字を見るまで、怖いという感覚はなく、軍服姿の男性にしても、あの不思議な「悲しい」という気持ちが蘇ってくる。
 先日ふと気になり、その病院について調べたところ、創立から80年以上経っている歴史ある病院だったことがわかった。
 男性の軍服も、まさに旧日本陸軍の軍服と同じであり、もしかしたら第二次世界大戦当時の軍人さんだったのだろうか。
 家族の元には帰れなかった悲しい気持ちが、私に流れて来たのかな……と、なんだかとても切なくなった。
 戦争で失われた全ての魂が、極楽浄土に行けますように。 そう祈らずにはいられなかった。

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