マリーさんと海の亡霊

【前回までのあらすじ】
 湘南の海にほど近い中古の一軒家に引っ越すと、 そこにはマリーさんと言う幽霊が住み着いており、 料理にハーブをもらったり、ギターの生演奏を聴かせてくれたりと、 なんだか不思議な幽霊との同棲生活が始まってしまった。

【マリーさんと海の亡霊】
 久しぶりではあるが、海辺に来ている。
 大きく一息吸って「やっぱり海はいいもんだ」と思う。 朝からサーフィンに精を出す若者らの姿も見える。
「青春だねぇ」
 そう独りごちて自分も海へ向かう。
 実は近くのサーフショップからボード一式をレンタルして これから海に入るところだ。
 自分が今日チャレンジするのはSUP(サップ)つまり、 スタンドアップパドルサーフィンだ。
 わかりやすく日本式で言うと、 「立ち漕ぎボード」である。日本語にするとちょっとダサイ。
 サーフィンほど体力を使わないし、パドルを使ったターンも楽で、 凪の海でも楽しめる。今の自分には最適だ。
 サーファーグループよりも少しだけ沖に出て、広い海の真ん中で ポツンとひとり、のんびりと大海原を満喫していた。
 こうしていると、過去の嫌なこともすっかり忘れることができる。
 どれくらいたっただろうか、波が作る1/fゆらぎに身を任せていた時、 不意にボードの下に大きな影が動いているのが見えた。
「えっ!? まさか、サメか?」と驚いた。
 いわゆるシャークアタックなんて事はそうそうあるものではないが、 海水浴場にサメが出没ともなれば、しばらく浜は遊泳禁止になる。
 だがそうではなかった。
「うぐっ」
 思わず叫びにもならない声をあげてしまった。
 それはサメでも魚でもない。人間だ。
「人間!?」
 自分で言ってその違和感にさらに驚く。
 まさかこんな沖合に、一人で泳いできて潜っているはずもなく、 かといって溺れているようにも見えない。
 それどころか、白く半透明に濁った体に、暗くくぼんだ目で こちらをじっとみている。
 その不気味さは、まるで水死体のようにも見え、亡霊のようでもあった。
 背筋がぞっとする。
 自分にはそもそも霊感なんてものはなかったはずなのだが、 連日自宅に住み着いている幽霊のマリーさんと一緒にいるせいか、 心霊的なものを見る目が養われてしまったのかもしれない。
 亡霊はしばらくこちらを見ていたものの、やがて諦めたのか 海の底に沈んで行った。
 大好きな海だというのに、こんなものが現れたとあっては オチオチ遊んでもいられない。
 ボクはすっかり気落ちしてしまい、オカへ向かってパドルを漕ぎだした。

 浜に着くと、なにやら人だかりができていた。
 ボクは悪い予感がして走り寄った。
 ……予感は的中。輪の中心には今まさに人工呼吸と心臓マッサージを受けている青年が横たわっていた。
「救急車は!?」という問いに誰かが「もう呼びました!」と答えた。
 さすが海の子たち、救命処置がちゃんとできているようだ。
 だが油断は大敵。テレビドラマなんかだと、溺れた人が人工呼吸ですぐに息を吹き返して目を覚ますなんてシーンがあるが、本当はそんなに生易しいもんじゃない。
 ふと視線をずらすと、その倒れた青年の足首のあたりを掴む青白い手があった。
 人混みをかき分けるようにしてそちらに視線を向けると、なんとそこには 先ほど沖で見たあの亡霊がいるではないか。
 どうする!? こいつのせいかもしれない!
 僕には霊を追い払うような特殊な能力もないが、とりあえず持っていたパドルで そいつを追い払うようにつついてみた。
 周りの人から見たらひとり芝居でもしてる変なオジサンに見えたかもしれないが、 しょうがない。どうせ説明したって余計変に思われるのがオチだ。
 だが、それが功を奏したのか、亡霊はボクをしばらく睨んだ後、すっと去って行った。
 救急車もやって来た。あとは溺れた彼が助かってくれることを祈るばかりだ。

 サーフショップにボード一式を返却し、帰路に就く。
 なんだかぐっと疲れた。体が重い。 家までの距離がけっこう遠く感じる。
「あぁ、自分も寄る年波には勝てずってことか」
 そう愚痴をこぼしながらやっとたどり着いた家のドアを開けようとした時、 おかしなことが起きた。
 鍵が開かない、ドアが開かないのである。
「あれ? どうなってんの?」
 何がおかしいって、鍵を回す→鍵が開く→鍵が締まる→ドアは開かない。 この繰り返しである。
 ドアから2歩、3歩と離れて家を見る。自分の家に間違いはない。
 が、屋根の小窓からマリーさんがこっちを見ているのが見えた。
「うーん、どうしよう。まさか幽霊にドアを開けてとお願いするのもおかしな話だし……」
 そう思っていると、マリーさんの声が聞こえた。
「少しそこで待ってて」
 まるですぐ近くにいるかのようにはっきりと聞こえる。
「ハイ……」
 ボクはどうしようもないので、その場にへたり込んで待つことにした。
 まだ若かったころ、当時付き合っていた彼女が初めて家に上げてくれる時に、 「ちょっと片付けるから少し待ってて」なんて言われてドアの前で待っていたことがあったが、 どうやら事態はそんな甘酸っぱいものではなかったらしい。
 しばらくすると大きな黒いクルマが我が家の前に止まった。
 そして中からこれまた大きな体の黒ずくめに丸いサングラスの男が現れた。
「こんばんわー」
 彼がこちらに挨拶してきたので、こちらも挨拶をして門の前まで駆け寄る。
 いつのまにかもう夕方である。もうすぐ日が沈む。
「ふふ」
 彼は不気味に笑ってこう言った。
「逢魔が時って知ってますか?」
「えっ? いや……あなたどなたですか?」
「私こういうものです」
 そう言うと彼は名刺を一枚差し出した。
 そこには除霊師・岩鬼哲郎と書かれていた。
「あなたがここの旦那さんですね。奥様から電話を頂きまして急遽はせ参じました」
 旦那? 奥さん? ……人違いじゃないだろうか……と思ったが、彼は間髪入れずにしゃべり始めた。
「あぁ、旦那さん、確かに憑りつかれてますね。見えますか? 見えませんね? じゃあ一枚写真撮りますよ」
「えっ、あぁ、あの、なんですか?」
 こっちが狼狽えている間にスマホで写真を数枚パシャパシャ撮られた。
「いやちょっと、やめてください! なんなんですか?」
 そう抗議するボクに、彼がスマホ画面をぐいっと見せつける。
「ほら、これ、うっすらですが、見えますよね」
 そこには、あの海で見た亡霊が確かに写り込んでいた。
 まるでボクに寄り添うようにくっついている。
  唖然としているボクに「じゃ、さっそく除霊はじめますね」と気軽に言ってなにかの準備を始める除霊師。
「奥さんの方からは家の外で除霊を済ませてと依頼されてますので、ここで失礼しますね」
 除霊師は車から神主さんがよく持っている「はらえぐし」を取り出し、ロウソクや線香なども設置して小一時間くらいかけて儀式を執り行った。
 家の前に立ち止まってそれを見ていく人たちもいて、 こっちとしては恥ずかしい限りなのだが、あの写真を見せられては、だまっているしかない。
 そういえば、離れている時は見えた亡霊も、いざ憑りつかれると自分には見えないもんなんだなと、 変なことに感心しながら除霊を受けていた。
 やがて、スッキリとした感覚になり、体がふっと軽くなった。どうやら除霊成功のようだ。
「あっ……あぁ、ありがとうございます。……取れたみたいです」
 なんだか整骨院で肩こりが取れたみたいなセリフでしっくりこないが、除霊師にそうお礼を言った。
「よかったですね。これも心霊に造詣の深い奥様のおかげでしょう。 あと、請求はのちほど送らせていただきます」と事務的なことを言いながら我が家を眺めた彼が いぶかしげな表情を見せた。
「あの……旦那さん、もしかして、家にもう一人、霊が憑いてやしませんか?ほら、あの窓の所に……」
 ボクは慌てた。
「あーーわーー、あ、アレ、あれがウチの嫁さんです。ちょっとほら心霊っぽい顔とかよく言われるんですよあはは」
「そうですか? いやでもこの霊力は……」
「いやもうほんと大丈夫ですから、今日はありがとうございました」
 ボクはむりやりその除霊師を体で押しながら帰ってもらった。
 除霊師もなんだか納得いかないもののしぶしぶ帰って行った。
「ふぅ……危ないところだった」
 いや、何が危ないところなのだろう。マリーさんが除霊されるのが嫌だった? そんなバカな。
 どこの世界に幽霊が住み着いてるのを喜んでるやつがいるだろうか。いや、でも…。
 自問自答してみるが、自分はこの家が好きだし、どうやらマリーさんのことも実は気に入っているのかもしれない。

 その日の深夜、ふと気が付いて目を覚ますと、枕元にマリーさんが立っていた。ボクは寝ぼけながらも問いただした。
「あの除霊師呼んだの、マリーさんですよね。ボクの奥さんのふりして……」
 するとマリーさんもこちらの顔を覗き込みながら「フフ……ウチの嫁さんだって……フフ」
 なんだかニヤケながら、そう言ってマリーさんは消えていった。
「あっ、ありがとうございます。マリーさん!」
 自分が消されるリスクもあったのに、除霊師を呼んでくれたマリーさんに感謝した。
 それから数日後、除霊師から二十五万円の請求書が届いた……。
 背筋がぞっとした。
「マリーさーーーーーん!!…」

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