知り合いのTさんは、数年前から地元のスーパーマーケットに勤め始めたのだが、最近になって、この店に妙な噂が流れているのに気付いたという。
というのも、業務に慣れたからか他の仕事を多く任されるようになり、それまで自分には関係無かった場所、地下の倉庫に足を踏み入れる機会が多くなったからだ。
この地下には階段とエレベーターで行き来ができ、店内に陳列する在庫の搬出はもちろん、従業員用の休憩スペースや事務所などもある。
Tさんの業務は在庫の搬出を行うことが多く、荷台カートと共にエレベーターに乗り込んで地下倉庫と行き来している。
以前は特に何とも思わなかったのだが、何度も地下と一階を行き来しているうちに「何故かは分からないけれども、何となく気持ちが悪い」という奇妙な感覚を覚えるようになった。
「居心地の悪さ、っていうんでしょうか」
Tさんはそう例えてくれた。
はっきりと言葉に出来ないが、とにかくそこに居づらいような、すぐに去りたいような感覚だという。
どこか奇妙に思いながらも、その地下に長時間の滞在をする必要もないので、Tさんは特に気にせず日々の業務をこなしていた。
そんなある日、その店に新しく高校生のバイト、Hさんが配属されることになり、彼女の研修の担当をTさんが任されるようになった。
といっても担当とは名ばかりで、Tさんがつきっきりというわけではなく、他の従業員や社員さん、パートのおばさんたちも手分けして研修を行っていた。
職場の雰囲気は以前から柔らかかったので、Hさんも次第にみんなと仲良くなっていった。
だが、Hさんは休憩の時、決して地下の従業員用スペースには来なかった。 晴れている日は外の飲食スペースで、天気が悪い日は店内の休憩スペースにわざわざ向かい、他の客に紛れてお昼を摂っている様子だった。
それが余りにも徹底された様子だったので、気になったTさんはある時それとなく聞いてみた。
「何で従業員用スペースで休憩しないの?」と、ごく自然に。
するとHさんは一瞬固まって、少し目を伏せながら言った。
「そうじゃないんです、あの場所が嫌なんです」
彼女は昔から「そういう体質」らしく、意図せずして「人間ではないモノ」が視えてしまうらしかった。
そして、あの地下には「何かがいる」そうで、彼女はそれを見たくないがためにわざと避けているのだ、という。
「え、それってつまり、幽霊って事?」
Tさんがそう聞くと、Hさんははっきりとは答えなかった。
「わからないんです。映画やドラマで出てくるようなものじゃないから」
Hさんが新人研修の一環で、Tさんに連れられて地下倉庫の案内を受けている最中のこと。
エレベーターに乗り、地下に降りて扉が開いた途端、人のようなモノが視界に飛び込んできた。
それは口をかあっと開け、剥いた両目はこちらを凝視し、少し前かがみのような格好で道を塞ぐように立っている。
一見すると黒っぽい女のような姿だったが、Hさんは慌てて目を逸らしたため、詳細は分からない。
その様子を特に咎められもしなかったので、Tさんの説明を生返事で返しつつ、それを見ないように目を逸らし続けた。
「地下はあんまり来ないし、説明はこれだけだから戻ろうか」というTさんの言葉に、Hさんは心底救われたと言っていた。
エレベーターが閉まる直前まで、視界の端にはそれの姿がずっとあったままだという。
話を聞き、Tさんは「やっぱりそういうモノがいたんだ」と溜飲が下がった。自分が感じていたおかしな感覚は気のせいではなかったのだ。
Hさんからは「地下にはあまり長居しないほうがいいと思いますよ」と忠告された。
去り際にぼそっと何かを呟いたHさんだったが、女の姿を想像していたTさんは最後の言葉を聞き逃してしまった。
その後しばらくは店に在籍していたHさんだったが、高校卒業を機にバイトを辞め、今ではどうしているのか分からないそうだ。
Tさんはというと、未だにその店に在籍しているそうだ。
「あの変な感覚、何かに似てるなって思ってたんですけどね。この間、飲食店で店員さんが食器を落としちゃって、私が近くに居たので片付けを手伝った事があって」
その時の、周囲から注目されている時に肌で感じる、他人の視線。それが一番、その地下室に居る時の感覚と似ていた。
そこでTさんは、Hさんがあの時最後に呟いた言葉をぼんやりとだが思い出したそうだ。
「……みんな見られてますから」
今でもその店には、バイトやパートが頻繁に雇用されているそうだが、何割かの人は地下を嫌がり、エレベーターに乗ることを無条件で拒否したりする人が居るらしい。
そういう人は一月も立たないうちに辞めていってしまうのだそうだ。
そのうちの一人、若い男の子の研修の際、Hさんと同じようにTさんは地下の案内をしたそうだが、エレベーターが開いた瞬間、男の子が目を剥いたまま固まってしまい、ガタガタと震えだした様子を目の当たりにしたことがあるそうだ。
尋常でない様子で、何回も声をかけたが彼は全く反応せず、名前を呼んで身体を揺するとようやく我に返った様子で、「すみません、僕ここ無理です」と言って、そのまま帰宅し、翌日に親から辞める旨を電話で伝えられたという。
Tさんは「視える体質」ではないが、その様子を酷く恐ろしく感じ、それから極力地下に入ることは避けているという。
エレベーターに乗って地下に行く時は、その見えない女と目を合わせないように、なんとなく目を伏せているそうだ。
「目を合わせちゃったら……なんとなく駄目な気がするんです」
Tさんはそう言って、話を締め括った。