今、一人だよ

 これは、ある個人経営の電気工事店に勤めるK子さんに聞いた話である。

 K子さんは、パート社員だったので、毎日ほんの数時間、事務所で経理事務と掃除などをしていたそうだ。
 社長と他の社員二名は、その日の工事内容によって、組み合わせを変えながら、時には三名体制で仕事を回していた。
 会社は評判もよく順調で、昼間は誰もいないことが多かったそうだ。
 K子さんは、一人で事務所にいることが、少し苦手だったという。
 何故なら、建物はとても古く、二階建てで、以前は洋品店だった。
 一階の店舗部分だけ、綺麗に改装したので明るいが、二階部分は古いままだったので、薄暗くカビ臭かったそうだ。
 更には、通りに面して全面透明なガラス張りの洋品店だったところを、社長が改装して事務所にしたので、商店街を歩く人からも車で通る運転手からも、明るい事務所内が、丸見えの状態だったからだ。
 K子さんは、事務所の奥にある机に陣取り、パソコンのモニターに身体が隠れるようにして、事務作業を行っていた。
「外の人から丸見えなのよ」 と、いつも話していた。
 しかし、事務所に電気がついていると、昼間の来客も多いそうだ。
 もちろん電気工事の依頼や相談もあるのだが、工事履歴のあるリピーターさんが立ち寄り、雑談で終わることもあったという。
 そんな時、K子さんは、ご近所に住むある年配のリピーターさんから、怖い話を聞かされた。

 今から三十年位前までは、商店街も活気があり、集客力もあって大変賑わっていたそうだ。
 ところが、時代の流れで車社会となり、大型のショッピングセンターが出来たり、バイパス道路沿いに沢山の大型店舗が展開されて、市内の中心にあったこの商店街は、徐々に廃れていったとのこと。
 すると商店街では、倒産して店じまいする店舗が増え、不審火が出たりということもあって、夜は、殆ど無人化していったらしい。
 そうして全く別の土地から、夜逃げや犯罪を犯して逃亡してきた人達が、空き店舗に入り込んで、こっそり生活していたそうだ。
 店舗の二階部分は、畳敷きになっていることが多く、電気や水道、トイレなど、勝手に使用していたらしい。
 しかし、長期になると見つかることもあり、その年配のリピーターさんは、借金の取立て屋のような方々に、無理矢理連れていかれた男性を見たことがあるそうだ。
 その際、 「今度逃げたら殺すぞ」 というような会話が聞こえて、本当に怖かったとのこと。
 その後、この商店街の中心に百貨店が誘致されて、また活気が戻ってきたのだそうだ。
 そして、十年程前に、K子さんの会社の社長が、この空き店舗を事務所として借りたのだが、駐車場が少し離れていて、不便極まりない。
 なんでここだったのかと尋ねたら、 「家賃が激安だったから」 とのことだったらしい。

 それからK子さんは、あることが気になり出した。
 それは昼間、事務所の一番奥の机で、事務作業をしている時、横の階段に何か人の気配のようなものを感じて、恐る恐る覗く。薄暗い階段には誰もいないのだそうだ。
 また、二階を歩く足音がして、 「誰かいるの?」 と声を掛けても、返事はない。
 因みにこの事務所の二階部分も畳敷きの和室になっており、壁面に棚を置いて、工事の材料や消耗品、工具などが置かれていた。
(畳敷きだし、トイレも水道もあるから、確かに生活出来そうだ) と思ったそうだ。
 だから、 (ここにも誰か住んだことがあるのかな?) と思って、押し入れの更に上の天袋(てんぶくろ)の扉を開けて、中を覗いてみた。
 するとその奥に段ボール箱を見つけてしまったのだそうだ。
「リンゴ箱が一つ、そんなに重くなかったのよ」
 K子さんは、脚立を使用して、なんとかそのリンゴ箱を下ろし、ほこりを払った。
 上面には、宅配便の伝票が貼られ、よく確認すると、どうやら一度送って、届けられずに戻されたもののようであった。
「住所は群馬県で、宛名には女性の名前が書いてあった」 とのこと。
 そうして、K子さんは、少し悩んでから、そのリンゴ箱を開けてしまったのだそうだ。
 中には、黒いリュックサックとその下に男性用の衣類が数点、小型ラジオと目覚まし時計などが入っていた。
 K子さんは、好奇心から、その朽ちたぼろぼろのリュックサックを開けて、中身を確認した。
 下着や靴下、歯ブラシ、シェーバーなどの身の回り品と、手帳やノートなどが入っていたそうだ。
 そして、大変嫌な物を発見してしまう。
 その大学ノートに少し膨らみを感じて、パラパラとめくってみると、中に封筒が挟まれていたようで、すぐに表書きがK子さんの目に飛び込んできた。
「それ、遺書だったのよ」
 K子さんは、驚きのあまり、暫く固まって、どうしたらよいか分からなかったそうだ。
 そして、目の前の状況を整理してみると、 「つまり、逃亡してきた男性が、この近くで捕まるか自殺するかして、残った荷物を大家さんが、家族宛てに送ったものの、送り先に家族はおらず、戻されたのよ」 と、K子さんは説明してくれた。
 そして、K子さんは、リンゴ箱を元の通りに戻して、何も見なかったことにしたそうだ。
「だって、恐らくだいぶ前の話だし、今さらどうにも出来ないしね」 と、力ない様子で呟いた。
 私が、 「遺書の中は見なかったの?」 と聞くと、K子さんは、顔の前で大きく手を左右に振り、 「そんなの怖くて見れないわよ! のり付けはされてなかったから、見ようと思えば見れたけどね。今だってまだ天袋(てんぶくろ)の奥にあるわけだし、どうしようか迷ってる」 とのことだった。
 そして、ここからが本題なのであるが、K子さんは、 「だから、事務所にその男の人の幽霊が、まだいるんじゃないかと思うの。気配を感じるのよ」 と、言うのである。
 私も、 「確かに、荷物が残っていたなら、それも遺書だし、そこに留まっている可能性ありだね」 と言うと、 「でしょ! だから、怖くて怖くて仕事辞めたいのよ。でも、本当のことを言ったら、社長達だって怖くて気にすると思うし、どうしようか悩んでるの」 と、新しく出来たKダ珈琲店で、コーヒーを飲みながら聞かされた話である。

 私は正直、そんな昔の幽霊が、いまだに彷徨っているのかなと半信半疑だったが、K子さんは、本当に怖がっている様子だった。
 それから数日経ち、まだ明るい昼間、急にK子さんからラインがきた。
 それによると「事務所に来て欲しい。見せたいものがある」 とのこと。 私が急いで駆けつけると、事務所にはK子さん一人で、私が「どうしたの?」 と聞くと、K子さんが泣きそうになりながら、 「あのね、さっき、いつも来る近所のおばあさんが、来たんだけど、私の横にもう一人、女の人が立ってたと言うのよ」
 もちろん、K子さんは、一人で事務作業をしていたので、誰もいないはずなのに、もう一人いたと言われたら、泣きたくもなるだろうと思った。
 しかし、 「あれっ? ここにいるのは、男の人の幽霊じゃなかったっけ?」 と私が尋ねると、 「そうなのよ! だから私もおばあさんに、本当に女の人だったかと確認したら、間違いなくシルエットが女の人だったって。私には見えなかったけどね」
 K子さんは、おばあさんが帰った後、怖くて怖くて今日はもう帰ろうと思い、急いで帰り支度をしていたら、急に事務所の電話がなり、慌てて電話に出たとのこと。
 それは仕事の電話で、メモを取ろうと急いでメモ帳の束を取り出したそうだ。
 電話を切ってから、少し落ち着いて、ふと見ると、そのメモ帳の表にナンバリングされていることに気が付いたそうだ。
 番号を順番に並べてみたとのこと。
 古いデザインで緑色の表紙の十センチほどのメモ帳が六冊あり、ナンバーが「5」から「10」までだったそうだ。

 ここまで話して、K子さんは、ゆっくりと私に、その「10」のメモ帳を手渡した。
 そして、 「めくってみて」 という。
 私は言われた通りに、その「10」のメモ帳をパラパラとめくって、驚いた。
 めくるページごとに小さな文字で、沢山のことが書かれていた。
 日記帳というか、詳細な記録というか、自分に起こっている事が、細かくメモされていた。
 よく見ると、その文字は、ボールペンで書かれていたようだが、一文字一文字が弱々しく、震えて書いたのか、線が波打っていた。
 そもそも、そのメモ帳は、閉店した文房具店の電気工事の際に、社長が、依頼主からたくさんのノートやボールペンなどと一緒に頂いてきたものであった。
 だから売れ残った未使用の商品のはずであった。
 ナンバリングを確認すると、「1」から「4」は、恐らく処分されたのだろう。
「5」から「9」までは未使用で、「10」に記入があったのだが、気が付かなかったようだ。
 そして、K子さんが、私からメモ帳を取り、あるページを開いて、再度手渡した。
 そこには、 「遺書」 の文字が見てとれた。
 私は、急に寒気を感じて、あたりを見渡したが、何も見えない。
 そもそも他人が書いた遺書などは、これまでの人生、見たことがなかった。
 ぶるぶると震えがきて、耳たぶの下あたりが、ざわざわとしてきた。
 ここでは、プライバシーに関する問題もあるので、内容についてはあまり触れないこととする。
 ただ、苦しみや憎しみ、死んだあとの事について、詳しく書いてあった。
 お名前や生年月日の記入もあったので、書いた方は、六十歳位の女性ではないかと思われた。
 K子さんは、その遺書を読んだ時、あまりの内容に心から同情し、また、一部共感を覚えたそうで、涙が溢れたそうだ。
 それで私をラインで呼び出したとのこと。 私も、同じ気持ちだった。
 一つの建物の中に、全くの他人が書いた「遺書」が、二つ存在していた。
 短期間でそれらを目にしてしまったK子さんに、何か災いなどが起きるのではないか、とても心配になった。

 その後、その遺書の記されたメモ帳は、そこに記された宛名の通り、彼女の成人している息子さんへと手渡されたそうだ。
 確認すると、やはり、その遺書を書いた女性は、亡くなられていたとのこと。
 そしてK子さんが、事務所の家賃を大家さんに手渡しに行った際、リンゴ箱の荷物の事を聞いてみたそうだ。
 すると大家さんは、持ち主の男性について、 「あー、あれね。だいぶ昔の話だよ。あの人、生きてるよ。なんかね、財布だけ持って逃げたんだって。後で取りに来ると連絡があって、とっておいたのよ。でもね、なかなか来ないから、手帳の中の住所に送ったけど、誰も住んでなくて、戻ってきたんだ。そのまま保管していたけど、すっかり忘れていたよ」 とのことだったらしい。
 リンゴ箱の荷物は、大家さんによって処分されたそうだ。 二つの遺書が、事務所から移されて、ようやく事務所での怪しい気配も無くなったそうだ。
 K子さんも、 「もう全然怖くないし、大丈夫だよ」 と、話していた。

 先日私は、車を運転して、K子さんの事務所の前を通った。
 信号の少し先なので、スピードも遅い。
 ついつい癖で、毎回、K子さんの姿を確認する。
 全面透明なガラス張りの事務所内は、明るい照明で丸見えの状態であった。
 三人いた。 K子さんと、すぐ横に立つ女性が一人、更に階段の入口に男性が一人で、合わせて三人いた。
 私は、百貨店の駐車場に車を止めて、K子さんにラインした。
(今、事務所に一人? 百貨店にいるから、寄ってもいい?)
 K子さんからの返信は、 (今、一人だよ! おいで!)
怖くて行けなかった。

朗読: 小麦。の朗読ちゃんねる

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