その男性の友人は “遠く田舎を想う” という一節から始まる詩を残し、一時、失踪したのだといいます。
友人には廃墟探訪の趣味があったそうで 有名な場所だけでなく、名もなき廃れ、寂れた場所に足を運んでは 土産話を持ち帰ってきていたのだそうです。
しかしある時を境に、その手の話題がパタリとなくなりました。
もともと、それほど興味をもって聞いていたわけではなかった彼も不思議に思い、度々「最近はどこか行ったのか」と聞いたそうですが、曖昧な返事ばかりだったといいます。
そして段々と廃墟に限らず、外出の話題自体がなくなっていったそうです。
出歩くことが好きだった友人のそんな様子に、強い違和感を覚えた彼は、友人宅を訪ねることにしました。
メッセージに既読がついていることを確認し、インターホンを鳴らすと、ゆっくりと開いた扉から顔をのぞかせた友人は小汚く、風呂にも入っていないのではないか、という風貌だったそうです。
うろたえながらも、促されるまま部屋に入ると、箱買いしたインスタントラーメンやペットボトルの山に、シワだらけの衣類が無造作に放り投げてあり、以前訪れたときの面影もない、酷く荒んだ状態であったといいます。
唖然としていると、友人は少しだけ気まずそうに、しかし、どこか心あらずのようで、何も言わずベッドの横に腰を下ろしました。
どうしたものかと部屋の有様を眺め、友人は心の病でも患ったのだろうかと、不安になりだした彼。
テーブルの上に置かれた、紙とペンが目に留まりました。
まさか遺書でも書いているのではと、慌ててのぞき込むと
遠く田舎を想う 脳の底の陽だまりには、揺れる青葉がざわめいている
雲はやけにゆっくりと、まどろむ午後が命を静かに溶かしていた
今や、秒針の音に憑かれ過ごす
果たしてあの幼少は、幻であろうか
蚊柱立つ野に暮れる陽は、変わらずそこに在るのだろうか
それは散文詩のようでした。
友人は詩を好むような性格ではなかったのと、その内容から、やはり心の状態が良くないのだろうと思ったそうですが、自死を仄めかす内容でないことに、ひとまず胸をなでおろしたそうです。
しかし、はたと気がつきました。
以前、自分たちの幼少時代について話題に上ったことがあるそうで、お互いの生まれ育ちを知っていたそうですが、友人の出身はどう考えても、田舎とは呼べない場所で、少なくとも詩から受けるのどかな情景は、幼少時代に体験しようもないはずだといいます。
妙だなと思いながらも、部屋や友人の様子もあり、その日は長居をせず、すぐに帰ったそうです。
連絡が取れなくなったのは、それからほどなくしてだそうで、家を訪ねても不在票の刺さった扉が開かれることはなく、電話も通じなかったといいます。
共通の知人もない彼には他に安否を探る方法もなく、警察へ相談に行ったほうが良いだろうかと考えていたある日の朝、以前送ったメッセージに返信があったそうです。
驚いて「大丈夫なのか」「一体どうしていたのか」と問いただしたそうですが、曖昧な返事が返ってくるばかりで 「今何をしているのか」という問いにも「廃村に来てるけど」と、淡々としたメッセージが送られてくるだけだったそうです。
本当に友人本人なのかと訝しんだ彼は、通話を試みたそうですが、応じた声はまぎれもなく、友人の物でした。
ほっとしてもう一度、失踪について尋ねてみたそうですが、ガサガサと草を踏み分けるような音をさせながら、やはり曖昧な返事をするだけだったそうです。
感情の薄い声で、ぼそぼそと喋る友人。
とても趣味の散策を楽しんでいるようには聞こえなかったといいます。
まるで死に場所でも探しているようだ、という考えが頭をよぎった彼。
「どこにいるんだ」という問いに「どこっていってもなぁ」と言葉を濁す友人に、位置情報を送れと言ってみたそうです。
すると、案外素直にデータが送られてきました。
そこは車で2時間程かかる、とある山中であったそうです。
電話越し、目の前に倉庫のような廃屋があると呟いた友人。
馬鹿なことは考えず、そこに入って大人しくしているよう伝えると急いで位置情報の場所へ向かったそうです。
現地に着くと、もう一度連絡を取ろうとしたそうですが、電波が安定しないようで、今度は圏外であったといいます。
しかし、林道の湿った空気を抜けた先にあった廃村は視界が開けており、形を残している廃屋も数える程で、その内の1つを覗いてみると、砂まみれの床板に座り込んだ、友人の姿があったそうです。
声をかけながら近づく彼。
しかし友人は返事もせず、ボンヤリと廃屋の壁を眺めています。
その視線を追って壁を見ると、そこには大きな額縁がひとつ立てかけられていました。
彼はそれを見ると、驚いて友人を立ち上がらせ腕を引き、一目散に逃げ帰ったのだといいます。
廃屋の壁に立てかけられた、古ぼけた大きな額縁。
そこに飾られていたのは、やや崩した筆文字で書かれた長い詩であったといいます。
田舎を出た子の身を案ずる、親の気持ちをびっしりと記したようなそれは、どこか子への執着を感じるような、不気味なものであったそうで、その冒頭はいつぞや、知人が部屋に残していた散文詩と同じく “遠く田舎を想う” という一節から始まっていたのだそうです。
ところで、この話は体験者から直接伺った話ではなく、体験者の趣味仲間であったという男性から又聞きした話です。
彼は、体験者の友人が残した詩の写真を持っており、友人宅の様子を話している最中には、スマートフォンのカメラロールを見ながらそれを読み上げていました。
しかし、廃屋にあった詩については 体験者から話を聞いたとき、メモを取っていなかったので冒頭の一節以外は、詳しく覚えていないのだと言っていました。
一方で、それを語った体験者の男性は、廃屋にあった “遠く田舎を想う” から始まる詩を、なんの書き留めを見ることもなく、言い淀むこともなく、すらすらと暗唱してみせたのだといいます。
あまりに自然な流れであったため疑問に思わなかったそうですが、あらためて自分が廃屋の詩について語ろうとしたとき、その異様さに気がついたそうです。
体験者の男性とは、今は連絡が取れないのだといいます。
ですが話し終えて、ひょっとして彼は今その廃村にいるのでは、と思ったそうです。
名もなき廃村にある、取り残された廃屋。
壁に立てかけられた巨大な額縁の中の “遠く田舎を想う” という詩。
そして、その前に座り込み、ボンヤリとそれを眺める男の姿。
そんな光景が浮かんだのだと、そう呟いていました。