山の遺影

 遺影には宗教的な意味がない、と聞きますが、では、あの遺影にはどんな意味があったのか。
 その女性は、数年前の出来事を忘れられないのだといいます。

 ある日、彼女の家に、叔父の訃報が舞い込んできました。
 叔父は奥様を早くに失くされていて、長らく独り暮らしをしていたため、家の片付けを親族で行うことになったのだそうです。
 その頃、実家で暮らしていた彼女。
 両親に連れられ現地へ向かい、大きな木造建築の敷居を跨ぎました。
 他の親族を待ちながら、片づけの算段を立てようと部屋を見回っている最中。
「私、仏壇の部屋に入ったんですけど」
「壁にかかっている遺影が……」
 いくつかある和室のうち、仏間にあたる部屋の壁には、遺影が3つ飾ってあったそうです。
 彼女の叔父は、伴侶との死別を二度経験しており、最初の奥様と最後の奥様の遺影が、並んで飾ってあったのだといいます。
 そしてそれに加えて、亡くなった叔父本人の遺影が並べられていました。
「あとあと父が親戚に聞いて回ったんですが」
「もちろん、そんな事した人はいなくて」
 その写真は葬儀で使われたものとも違うようで、ラフな服装で写っている叔父は、目を大きく開き、赤ら顔に繕ったような笑みを浮かべていたといいます。
「その時思い出したんですが、元から遺影は3枚あったんです」
「子供のころに何回か、叔父の家に行ったことがあって」
 当時の彼女が見たのは、死別した二人の奥様の写真と、もう一枚は、山を撮影した風景写真だったといいます。
 揃いの額に納められ、並ぶ三枚の写真。
 山の写真は何なのかと、聞いてみたことがあるそうです。
 すると叔父は、その山は昔家の裏にあったものだと言い、今はなくなってしまったので弔っているのだと、そう説明したといいます。
 まだ子供だった彼女は叔父の話を、そんなものかと思って聞いていたのだそうです。
「でも、そんなわけないですよね」
「家の裏は広い畑で、その向こうもよその家の田んぼなんです」
「山がそんなに綺麗に、なくなるわけないじゃないですか」
「だいたい、場所を弔う遺影って……そんなことあります?」
 意図のわからない山の遺影。
 それがなくなり、代わりに掛けられた叔父の遺影。
 彼女は長らく叔父の家を訪れていなかったそうですが、両親曰く最近までは飾ってあったはずで、叔父の遺影を持ち込んだ誰かに持ち去られたのだろうという話になりました。

 そんな薄気味悪い出来事があった前日の夜、彼女は夢を見たのだといいます。
「叔父が出てくる夢だったんですけど」
「叔父はまぁ……亡くなったのを聞いたわけですし」
「夢に見るのもそれほどヘンじゃないですが」
 夢の中の彼女は、見知らぬ森に立っていたのだといいます。
 木々は生い茂っていましたが、辺りは明るく 薄っすらと霧が漂っていました。
「はやく、こっち!」
 不意に、無邪気な男の子の声がしたそうです。
 他にも何か言っているようでしたが、良く聞きとれずにいると、声のするほうに人影が見えました。
 亡くなった叔父と、その手を引く子供が、森の中を駆けていくのです。
「なんでか “追いかけなきゃ” って思ったんです」
 木々の影に隠れては、時々消えてしまうのだという二人を追ううち、辺りの地面が傾斜していることに気がつき、自分がいるのは山なのだなと思った彼女。
 そして何度目か、また二人を見失い、声を探して視線を走らせていると、急に視界の端に少年が現れたそうです。
 立ち止まり、じっと彼女の方を見据える少年。
 思わず見返しますが、その顔に見覚えはありませんでした。
 そうしているうち、不意に違和感を覚えたという彼女。
 どうも少年の大きな瞳と視線が合わないのです。
 自分の頭越しに、何かを見ているようにも思えるその視線。
 振り返ろうかと思ったとき、突然背後からメキメキと枝がきしむ音、そして何かが締め上がるような音がしたそうです。
「何か降ってきたのかって、ビックリしたんですけど」
「落ちる音は聞こえなくて、その代わりに……」
 ギィ……ギィ……
 大きな物音のあと、辺りは再び静かになると、その嫌な音だけが、背後からいやにはっきりと聞こえてきたのだといいます。
 物音に驚きすっかりすくみ上がってしまった彼女は、相変わらず少年の顔を見ていたそうですが、くりくりとした2つの瞳は、彼女の背後にある何かを追って、ユラユラ、ユラユラと、揺れていたのだそうです。
 ギィ……ギィ……
 辺りには鳥も獣も居ないのか、聞こえるのはその音ばかり。
 無表情な少年のユラユラと揺れる視線。
 どうすることも出来ずに、その場に固まっていると、背後から苦しそうな呻き声が聞こえてきたのだといいます。
「『あ、これ叔父さんの声だ』ってなぜかわかって」
「それで、そのまま目が覚めたんです」
 そしてその日、家族に連れられ叔父の家に行くと 例の遺影の騒動があったのだということです。
「叔父は病死だったので、その……夢の中のようなことじゃないんです」
「それと、夢で見たあの場所……遺影に写っていた山だったんじゃないかって」
「そのときはそんなこと、すっかり忘れていたのに」
「気持ち悪いなって」
 奇妙な夢を見たのはそれきりだそうですが、それから数年が経った今も、結局叔父の遺影を飾った犯人も、その意図も分からず仕舞いだそうです。
 なくなった山の遺影のありかも、元々それが何であったのかも同様で、親族の誰も、叔父の真意を知らないのだといいます。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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