動物嫌いの女

 俺の幼馴染である八潮という男には、霊感がある。
 長い付き合いだが、それを知ったのはつい数年前のことだ。
 それから今まで、オカルト好きな俺は、ちょいちょい八潮の厄介になることが遭った。
 これはそんな話の中のひとつだ。

 フリーターをずっと続けてきた俺だが、このままでは愛しの彼女と結婚出来ない!と奮起し、介護福祉士の勉強を始めた。
 数ヶ月前にようやく資格をとって、とある特別養護老人ホームに就職もできた。
 今までやってきた仕事とはあまりにも畑違いで、最初の頃は戸惑うことも多くあったが、先輩や同僚からの助けもあり、今では介護士という仕事が天職とさえ感じている。
 俺の勤めている施設は、利用者10人につき1ユニットで、ひとつのフロアに4つのユニットがある、所謂ユニット型施設といわれるものだ。
 配属されたユニットのリーダーを任されている先輩の二葉さんは、20代後半の同年代、浜辺美波似の超絶美女。
 10代の頃から介護をやっているらしく、同年代だがかなりのベテランのようで、リーダーを任されていることにも納得だった。
 優しく、笑顔の絶えない天使のような女性。
  ……だが、そんな二葉さんにも少しだけ変わっている面があった。
 それは、動物が嫌い……ということ。
 これだけならまだそこまで珍しくもないんだが、二葉さんは動物からも嫌われていた。
 同年代ということですぐに打ち解けた俺達は、よく駅まで一緒に歩くことがあった。
 その中で、散歩中の犬や野良猫と対面することも少なくはないんだが。
 不思議なことに、犬も猫も、二葉さんに向かって小さく呻いたり、威嚇したり、尻尾を丸めて怯える様子さえあった。
 そんな時は、二葉さんも、特に怯んだり逃げることもなく、冷めた目で動物を見ているのだ。
 俺は、「私、動物嫌いなんだよね……」と呟く二葉さんのその冷たい口調と眼差しに、背中が寒くなったりしていた。

 そんなある日のこと。
 前日残してしまった締め切り超えの書類仕事が気になり、早番のシフトだったが、少し早めに出勤した。
 ……ここで少し補足すると、うちの夜勤は2つのユニットを1人で巡回するので、ワンフロアの夜勤は2人体制になる。
 早番は前日の夜勤から引き継ぎを受けるので、勤務時間が数時間被るのだ。
 その日の夜勤は二葉さんで、その相棒……要するに、残りの2ユニットの夜勤は、荏原さんという50代のおじさんだった。
 荏原さんは良くも悪くものんびりしている人で、イライラする! と、パートのおばちゃん連中からは不評だった。
 俺は結構相性が良くて、荏原さんと仕事するのは楽しかったんだけど。
 話を戻す。
 夜勤の邪魔にならないように……と、そっとユニットの引き戸を引いて中に入る。
 と、突然ユニットの奥から罵声が聞こえてきた。
 利用者の誰かが暴れてるのか!? とも思ったが、その言葉は嫌にはっきりとしていて、それでいて非常に不快な喚き声だった。
 どうやら声の感じからして、声の主は二葉さんのようだ。
 まさか……というざわざわした気持ちを押し殺し、忍び足で奥まで行くと、リビングルームのカウンターキッチン奥で、何かを二葉さんが喚き、時々、「うっ」やら「げっ」やらの呻き声も同時に聞こえる。
 俺は咄嗟に虐待を疑い、怪談収集用に落としてあったボイレコのアプリを起動し、録音を開始した。
 キッチンの死角に身を隠しながらも様子を伺っていると、二葉さんが何を言っているのか聞き取れるようになった。
「この無能!」
「役立たず!」
「クズ!」
 などの罵詈雑言の合間合間に、打撃音と呻き声。
 あの二葉さんが……という絶望感もあったが、……こりゃあ完全にやってんな……と確信し、さて、このあとはどうしようか……止めに入ろうか、人を呼ぼうか……と思案していると、二葉さんが落ち着きを取り戻したようで、場に沈黙が訪れた。
「……ゲホッ……ゲホッ……すみません、すみません……」
 聞こえてきた声に、唖然とする。
 荏原さんだ……。 荏原さんが、二葉さんに暴言を吐かれて暴行を受けていた……。
 俺はなんだか見てはいけないものを見た気がして、そっとその場を後にした。

 施設の近くのコンビニで時間を潰し、通常どおりの時間に再度出勤。
 見たことを上長に報告するべきか否かを思案しながら、恐る恐るユニットに入る。
「あ! 品川くん、おはよう〜」と、いつもと何ら変わらない様子で、二葉さんがにこやかに挨拶をしてくる。
 ここで変な態度を取っては不審がられるな……と思い、「はよ〜」といつもの調子で挨拶を返した。
「夜勤どうだった?」と、引き継ぎの感じを出しながらそれとなく聞くと、「ん~~特になんもなかったよ〜。珍しく平和な夜勤でした!」と、日報を書きながら答えた。
 平和な夜勤ね……。と、内心モヤモヤとしつつも、申し送りを終わらせ、業務に入った。
 途中、荏原さんがこちらのユニットにやってきた時はドキッとしたが、特段変わった様子もなく、二葉さんと普段通り、にこやかにやりとりをしていた。
 その全く変わりがない様子に混乱しつつも、帰ったらLINEで様子を聞いてみようとひとりごちた。

 その日の夕方、退勤して家に帰ると、アパートの前で原付きに跨った状態のまま八潮が待っていた。
「近くまで来たから」と言って、コンビニ袋に缶ビールとポテチを携えている。
 俺、今日早番だって言ったっけ? と不思議に思いながらも、まぁコイツはいつも突然だからな……と納得して家の中に招いた。
 ひとしきり呑んで、見もしないゲーム実況を垂れ流しながら、いつものようにくだらない会話をだらだらとする。
 その中で、ふと今日のあの出来事を八潮に話してみることにした。 ただの雑談のつもりで。
 八潮は最後まで黙って聞くと、「そのボイレコの音声聴かせろ」と言ってきた。
 最初から聴かせるつもりでいたので、座卓の上にスマホを置いてボイレコを再生させる。
『この無能!』
『役立たず!』
『クズ!』という聴くに耐えない罵詈雑言、そしてその合間から聞こえる打撃音と、荏原さんの呻き声。
 俺が聴いたものと全く同じ内容で間違いなかった。
「これ、蹴ってるよな? 良く見えなかったけど、すんげぇ打撃音するし、めっちゃ暴行受けてるっぽいよな……。まさかあの二葉さんがこんなおっかねぇ事言うなんてなぁ」と感想を述べるも、八潮は神妙な面持ちでスマホを凝視している。
 そして無言のまま、何度か巻き戻しと再生を繰り返した。
「……お前、これ普通に聴こえてんの?」という突然の八潮からの問いかけに、奴の奇行をぼーっと見守っていた俺は、「んァ?」と素っ頓狂な返事をしてしまった。
「いや……」 と言って少し黙って考えたかと思うと、「俺には、たくさんの動物の悲鳴がクソデカく聴こえてて、何がどうなってんのかサッパリわかんねぇんだわ」
 そう言われてすぐ、二葉さんのあの冷たい目と言葉を思い出して、ゾッとした。
「……俺お前に、二葉さんが動物嫌いって話……したんだっけ?」と聞くと、その問いかけには答えずに、「ふーん……成る程、やっぱりな」と何やら勝手に納得した様子。
「その女さぁ……動物虐待が趣味なんだよ」
 なんとなくそうかなとは思っていたが、いざはっきりと指摘されドキリとする。
「で、犬とか猫では物足りなくなっちまったから、もっとデカい獲物に切り替えたんだろうな。おっさんもおっさんで、人生に投げやりっていうか、自分はやられても仕方ない人間だ〜みたいなのがあるから、黙ってやられてるっていうね」
 八潮は酒が入ると饒舌になる。
 普段は自分からオカルトな話はしないのになぁ……と、こんなえげつない話を聞かされていても、頭の何処かでは冷静だった。
「……ほっといたらやばいかな」 と聞くと、「そりゃあ。いつかどっちかが相手を殺っちまうだろうな」とあっけらかんと答えた。
「それと」と、付け加える。
「帰ってきた時、お前の後ろに女が見えたんだよ。家入る前には消えたけど。お前に好意があんのか、それとも何かを怪しんでるのか……。……その女、浜辺美波に似てるだろ?」
 そう言って、ニヤッと口角を釣り上げる八潮に殺意を抱いたことは……言うまでもない。

 翌日、俺はボイレコ持参で上長の元を訪れると、見聞きしたことを全て伝え、録音を聴かせた。
 介護主任と婦長の顔が真っ青になっていくのがわかる。
 最後まで聴き終わり、2人は暫く呆然と、信じられない……という様子でいたが、「……とにかく……施設長にも伝えて、本人たちからも聴き取りしてみるから……」と言うので、「くれぐれも、報告者が俺だってことがわからないようにお願いします」と釘を刺しておいた。
 その後、二葉さんと荏原さんは出勤停止になり、事情を知らない他社員たちからは様々な噂が立つが、その中で、「二葉さんは、気に入った人には気さくで優しいけど、そうじゃない人には酷く冷淡だった」という証言と、俺と同様に、二葉さんの荏原さんに対する暴言を聞いたことがある……という証言が出ていた。
 敏感な人で、二葉さんの二面性に勘付いていた人もいて、そういう人は前々から彼女と関わらないようにしていた……というから驚きだった。
 最終的に、二葉さんは県外同法人の別施設へと異動、荏原さんはカウンセリングを受けた後、これまた二葉さんとは別の施設に異動になった。
 施設側から、被害届を出さずに穏便に済ませるように言われたのか、それとも荏原さん本人に出す気がなかったのかはわからないが、加害者である二葉さんがただの異動で終わったことに驚愕した。
 人手不足の介護業界は、こんなもんなのかもしれない。

 そこから騒ぎも落ち着いて一段落した頃。
 俺はあの時のことを思い返し、ひとつだけおかしなことに気が付く。
 俺が本来の出勤時間より早めに職場に行ったのは、大体6時ちょい前だったはずだ。
 そのくらいの時間になれば、早起きのじいさんばあさんがリビングに出てきていてもおかしくない。
 が、恐る恐る侵入したリビングには人っ子一人おらず、居室から誰か覗きに出てくることもなかった。
 認知症の利用者が大半だが、頭がはっきりしている利用者だっているのに……。
 あの時はあの出来事に気を取られていて全く気が付かなかったが、かなり異様な事象だった。
 自分のユニットの、認知症がないリーダー格のばあさんにそれとなくあの時のことを聞いてみたが、やはり何も知らないといった様子。
 ただ、二葉さんのことに関しては、「そういえば最近、あのいけ好かない姉ちゃんを見てないね。……辞めたの? ああ、そりゃよかった」という反応だった。
 ばあさんは二葉さんと仲が良い印象があったので、驚いた。
 そこはやはり年の功、彼女の異常性を認知してたんだろうな。
 すべての片が付いたのち、八潮と居酒屋で祝杯を上げた。
 八潮に顛末を話すと、「あそこまで動物に恨まれてるんじゃ、本人にも何かしら影響が出てるんじゃねーかな。近い内に死ぬかもな」と、事もなげに言ってのけやがった。 つくづく冷めた野郎だ。
  ……いや、もしかしたら、生粋の猫好きの血がそう言わしめたのかもしれない。 知らんけど。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる