ゆうこちゃん

 友人のYさんから聞いた話だ。
 彼は以前、臨床工学技士として働いていたことがあり、その職場で夜勤中に足だけの幽霊を見たりしたことがある。
 人よりもいくらかそういったモノを感じてしまうプチ霊媒体質と言っていいかもしれない。

 そんなYさんが学生だった頃の話。
 Yさんの友達の、Aさんが新しくアパートを借りた。
 このAさんは人望の厚い人柄で、彼の周りにはいつも友達がたくさん集まっていた。そんな彼が一人暮らしを始めるというので、そのアパートは恰好の溜まり場となったそうだ。
 Yさんもご多分に漏れず、Aさんの家で酒盛りが行われるといつも参加していた。
 そしてこのAさんの家は、本人曰く「女の幽霊が出る」というのだ。
 しかしYさんはこれを、学生時分によくある類の眉唾な話だと思い、Aさんごとからかった。
「じゃあ幽霊だから、ゆうこちゃんだな」
 あまりに陳腐で、自分でも笑ってしまうようなからかいだったが、学生特有のくだらなさは誰しも覚えがあるのではないだろうか。

 ある日、いつものように恒例の宅飲みがA家で行われていたので、Yさんは数人の友達と共にお酒を嗜んでいた。
 Aさんの家は、玄関を入って左右に洗面所と台所、まっすぐ廊下を進んで一部屋という作りのなんの変哲もないよくあるワンルームだった。
 だがここ最近、置いてあった包丁が勝手に飛んで落ちたり、換気扇が勝手に開いたりと、気のせいで済ませるには少し不自然な不思議な現象がよく起きているという。
 集まりの中にはオカルト研究会の先輩などもいたせいで、Aさんがその話をした途端に場は一気に怖い話へとシフトしていった。
 Yさんは部屋の一番奥、向かって正面に玄関が見える位置で座ってみんなの話を聞いていた。
 すると、本当になんの前触れもなく、廊下と部屋を隔てている暖簾がふわりと揺れた。
 その隙間に、白いレースっぽい服を着た、縮毛の女の子がゆっくりと身を乗り出してきて、Yさんと目が合った。
 あまりにも普通過ぎる出現に、Aさんがこっそり連れ込んでいた彼女かと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
 半身を乗り出したその恰好からピクリとも動かずにYさんをじっと見つめている。
 他の友達も洗面所の方は視界に入るはずなのに、なんの反応もない。廊下は暗いとはいえ、人間がいるかどうかくらいは分かるはずなのに。
 この女は自分にしか見えていないのだ。
 そう気づくと同時に、血が凍ったような感覚になって慌てて女から目を逸らし、再び二度見した時、もう女は居なかった。
「本当に出た」という衝撃に心臓が激しく脈打つ。
 Yさんはとりあえずその場を取り繕おうと、何も見ていないふりを突き通そうとした。
 この楽しい宅飲みの場の空気を壊すのも忍びないし、何よりそれを周りに話すことによって自分自身も「見た」という確信を持ってしまうかもしれない。それが恐ろしかった。
 しかしすぐにオカルト研究会の先輩にあっさりと看破されてしまい、仕方なく勢いのまま皆にゆうこちゃんの話をした。
 酒の力もあったのだろうが、意外にも変な空気にはならなかった。みんながみんな面白がって聞いたので、場はむしろ盛り上がった。
 それでもいかんせん眉唾な話だったし、何より廊下を見ても何も見えない。それ以上の何かは期待できず、すぐに話題は切り替わり、Yさんもまた見てしまったという事実を酒で流そうとし、その日は見事に酔い潰れてしまった。
 それ以降、YさんはどうしてもAさんの家に行く気にはならなかったので、宅飲みへの参加はしなくなってしまった。

 それからしばらく後、Yさんが「ゆうこちゃん」を見た事も手伝ってか、ある日にAさんが不動産屋に確認をしてみたそうだ。
 すると、やはりというかなんというか、そのアパートは事故物件のようなものだったようである。
 ただ、その部屋での死人などはおらず、数年前まで住んでいた女の人が行方不明になっている、というだけのものだった。
 その女性は生死不明なので、それが「ゆうこちゃん」なのかどうかは分からないということだった。
 さらにまた時が経つと、再びAさんから「変なことがあった」と連絡があり、話を聞いてみた。
 ある日に家で過ごしていると、電話がなったそうだ。
 どこからの着信なのかは分からなかったが、軽い気持ちで出てみると、全く聞き覚えのない女の声がこう聞いてきた。

「ゆうこさんはいますか?」

 Aさんはその意味を理解すると同時に、思わず受話器を叩きつけてしまったという。

 Yさんは本当に何の気なしに幽霊を「ゆうこ」と名付けて呼んでいた。
 件の行方不明になった女性のことも知らないし、電話の女性の正体もわからない。だから当然だが知っていて名前をつけたわけではない。
「幽霊」だから「ゆうこちゃん」。ただそれだけだ。
「名前が偶然にも当たっちゃってたっていうね」
 Yさんはそうはにかみながら言っていた。
 行方不明者を出したアパートで見た女の幽霊、それに「ゆうこ」と名前をつけていたYさん、後日Aさん宅に掛かってきた「ゆうこ」の所在を問う発信者不明の電話。
 全てが偶然噛み合ったこの話だが、その真相は依然として不明である。
 あの白い服の縮れ毛の彼女は、本当に「ゆうこ」だったのだろうか、あるいは──。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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