異国の花嫁

 ある日、突然、会社に主任の母親が訪ねてきた。

 主任はその日、出張で仙台に向かっていたはずであった。
 ところが主任は、その日の早朝、駅の新幹線ホームで倒れ、心停止状態となり、近くにいた方によって、AED(自動体外式除細動器)の使用による救命措置が行われ、一命を取り留めたそうである。
 救急車で病院に運ばれた後、ご家族に連絡が入り、ようやく落ち着いたところで、主任の母親が、病状の説明の為、わざわざ会社までいらしたということだったらしい。
 四十代前半の主任だが、高身長の大きな体型とは関係なく、心臓に持病を抱えていたそうだ。
 今回の件もそれに伴うもので、AEDの使用がなければ、助からなかった可能性もあったらしい。
 それから一週間後、会社の電話が鳴り、出ると相手は、なんと入院中の主任だった。
 私が「主任、大丈夫ですか?」 と聞くと、主任は、 「死にかけたけど、近くの人がAEDを使用して、助けてくれたんだ。ぼくは全然記憶が無いんだけどね」 と話していた。
 そして、「なんか、暫くの間退院出来ないので、仕事休みます。申し訳ないです」 とのことだった。

 それから三ヶ月後、主任は無事に会社に復帰した。
 車の運転が出来ないとか、残業無しなど、注意事項はあったが、元気そうに見えて、みんなようやく安心していた。
 ところがである。 主任と一緒に仕事をしていると、おかしな言動を目にするようになった。例えば、隣同士で作業をしていると、主任がやたらと後ろの棚のかげを気にする。
 私が、 「どうかしましたか?」 と尋ねると、主任が、 「いやなんか、女性数名の話し声がするから、誰かいるのかと思ってね」 と言う。
 私も後ろを振り返り確認した。
「何も聞こえませんよ。男のH君がいるだけだし、女の人はいません」 と返すと、 「いや多分気のせいだから」 と言う。
(気味が悪いな) と思っていると、今度は、フロアの奥の棚に置かれた加湿器をわざわざ止めにいく。
 気化式の加湿器で、通常は静音設定されており、デスクからも離れていたので、音を気にしたことはなかった。
 たまりかねて、何で止めるのか確認すると、 「あの加湿器の電源が入っていると、女性の話し声がして、落ち着かないから」 と言う。
 それは、フロア内の雑音に混じって、本当にかすかに聞こえる程度の『シュー』っというありきたりの音である。
(あの音を気にする人がいるのか) と驚いたが、本人がそう言うのであれば、加湿器を止められても、誰も文句は言えなかった。
 それでも次第に噂が広まって、 「主任は一度死にかけたから、それで、霊感でも芽生えたんではないか」 などと、言い出す人もいた。
 それで私も、 「病院にいたんですよね。何か怖い体験とか、なかったですか?」 と聞いてみた。
 主任は、 「僕さ、そういうの無頓着なもので、全然、何も無かったよ」 とのことだった。
「でも会社だと、変な声が聞こえるんですよね?」 と聞くと、 「そうなんだよ。病院でも自宅でも、何も聞こえないのに、会社だと聞こえるんだ」 と言うのである。

 ある日、主任と男性社員のH君が、H君の運転で取引先へと外出した。
 その帰り道、H君の運転する車は、急ハンドルを切って、住宅の壁面に激突し、二人は、病院に運ばれた。
 幸いにも、二人共軽傷で、打撲や切り傷の為の流血で済んだ。
 それでも社内では、主任が、またもや災いに巻き込まれたということで、 「何かに取り憑かれているのではないか」 と噂された。
 私も、死にかけた人が霊感体質になったというような話を、怪談話の中で聞いたことがあった。
 だから、霊に取り憑かれるということもあるのかもしれないと思った。
 その後、主任とH君は、数日の検査入院だけで退院となり、会社にも復帰して、ようやく皆、落ち着きを取り戻した。
 しかし、再び主任と二人切りで作業をしていた時、主任が、こんな話をしてきたのである。
「この前の事故の時だけど、またね、聞こえたんだよね。ほら、前に言ったと思うけど、女性達の囁き声、みたいなやつ」 と言う。
 それで私が、 「あー、あの会社だと聞こえるって言ってた声ですよね?」 と言うと、主任は、少し困ったような顔になり、 「そうそう、なんか、ヒソヒソ話す声ね。私とH君が、車に乗って帰ろうとした時、二人共前の座席に座ってたんだけど、すぐ後ろの方からあのヒソヒソ声が聞こえてきて、私が、振り返ろうとしたら、H君が急に駄目ですって叫びながら、ハンドル切ってさ。怖かったですよ」 とのこと。
 私が、 「じゃあ、H君にも聞こえたんですか?」 と聞くと、主任は、 「それがさ、病院で確認したら、何も聞こえなかったと言うんだよ。なんか、違和感を感じて、ずっとモヤモヤしてたから、君に話しちゃったけどね」 とのこと。
「H君、なんか怪しいですね」
 私もようやくだが、主任の話に興味が湧いてきた。
 そして、 (H君には、何か隠しごとがあるのではないか) と思えてきたのだ。

 それから暫くして、会社のユニオンの方から、慰労金という名目で補助金が分配され、休憩室用のお菓子を買うことになった。
 買い出し係として、私と主任が任命されたが、主任は車の運転が禁止されているので、仕方なく私の車で近くのショッピングモールに向かった。
 携帯の計算アプリで計算しながら、主任が押す大型のカートの中に、お菓子や飲み物、更には果物などを入れていく。
 ペットボトルのコーナーで、私がどれにしようか悩んでいると、急に主任が険しい顔になり、走り出した。
 私も急いであとを追いかけると、主任は隣りの通路で立ちすくんでいたのだ。
 私が、 「主任! どうしたんですか?」 と尋ねると、主任はそっと呟いた。
「あんな感じなんだよ。あれ、見えてる?」 と言って、じっと前を見つめていた。
 それは、アジア系の若い女性達が三人で、どのお菓子を買うか外国語で相談しているというような、この辺りでは、よくある光景だった。
 ここは、工業団地として有名なところだったので、アジア系の若い労働者の方々が、たくさん働きに来ていた。
 だから、私達の日常生活の中でも、その早口言葉のような外国語の会話をよく耳にしていた。
 私にもその若い女性達がちゃんと見えていたので、 「あれは幽霊とかじゃないです。ちゃんといますよ」 と言うと、主任は、 「いつもね、あんな感じのよく聞き取れない囁き声が、聞こえるんだ」 とのこと。
 私もようやくだが、主任に聞こえていた囁き声を、認識することができた。
 しかし、穏やかな主任にも限界がきていたようであった。
 主任は、H君を問い詰めたようで、H君から、詳細について話を聞くこととなった。
 そこに何故か、私も同席させて頂くことになり、久しぶりに夜の居酒屋の小部屋で、主任と共にH君と向きあった。
 実は、うちの部署の加湿器の真ん前の席が、H君の机だったので、主任が、 (H君に何か原因があるのではないか) と疑っていたのであった。
 H君は、同県内の山間部にある村の出身で、親元を離れ、市内にアパートを借りて、一人で生活していた。
 彼は、三十手前の背の低いメガネ男子だった。

 H君の話をまとめてみた。
 前記した通り、ここは工業団地として、多くの外国人労働者を受け入れていた。
 そこには、人材募集の為の仲介者がいて、現地での募集から、日本での仕事の斡旋まで、細やかにお世話しているのだという。
 日本での職種は様々だったが、男女共に工業団地で働くほか、 飲食店やコンビニなど、その他 「農家のお嫁さん募集」 というのもあったそうで、実際に、集団見合いのようなものもあったそうだ。
 ところが、話がまとまって入籍をして、跡取りとなる子供を出産したら、外国人の嫁が逃げてしまったり、最悪、入籍した途端に嫁がいなくなるというケースもあったのだという。
 東京や大阪の方に逃げられたら、ほぼ見つからない。
 結局のところ、日本で長期就労する為の手段として、入籍する必要があったということらしい。
 それでも嫁不足は深刻で、何とか跡取りとなる子供を産んで欲しいと、歴史は繰り返されてきたそうだ。
 仲介者が、海外から、目的に応じて人を集め、日本に連れてきたら、まず、待機場所となるアパートで、次のステップの準備が整うまで、生活の基本的なところを学習する。
 アパートの部屋は、三人から五人でひと部屋だったらしく、H君の住んでいるアパートの隣りの部屋が、まさにその待機場所の一つであった。
 そこに、ある日、三人のまだ若い女性が入居してきた。
 そしてH君は、積極的な彼女達にあれこれと質問されているうちに、彼女達の身の上話を聞くこととなり、彼女達が、ある村の日本人男性達と集団見合いをすることが分かった。
 H君は、まだ若い彼女達が、家族と離れて、日本のど田舎の村に見合いをしに来たということに、心が揺さぶられて、お菓子や飲み物などを差し入れしたり、時には、部屋の中に招かれて、楽しく語り合ったのだという。
 そうして時が過ぎ、彼女達は、行き先が決まって、アパートから一人また一人と、離れていった。
 それから数日後、H君の部屋に仲介人らしき男性が訪ねてきた。
 彼の話によると、隣りの部屋にいた三人の女の子達が、揃って逃亡してしまったのだという。
「行き先に心当たりがないか」 と聞きに来たらしい。
 H君も本当に驚いて、 「分かりません」 と答えたそうだ。
 そして、その直後に、彼女達は、盗んだ車で事故を起こし、三人共死亡していたことが分かった。
 彼女達の遺骨は、海外から駆け付けた実家の家族へと引渡されたそうだ。
 H君が、改めて、 「それからなんです。彼女達、何故かずっと僕のところにいるんです。姿は見えないんですが、時々声が聞こえて、ありえないと思いながらも、怖かったんです。それが、主任にも聞こえてたんですよね。申し訳ありません」 と言う。
 主任が、 「事情は分かったけど、H君も大変じゃない? これからどうするつもりなの?」 と聞くと、H君は、突然真顔になり、 「実は、僕、ハーフなんです。僕の母も彼女達と同じ国の出身なんです」 と言う。
「えーっ!」
 私と主任は、驚いて声をあげた。
「僕の母も三十年前、彼女達と同じく、集団見合いで来日したんです。そして、僕の父と結婚して、僕を産んでくれました。殆どの人が、逃げるか国に帰るかだったけど、僕の母だけは、とどまってくれて、僕が成人した時(もう大丈夫だよね)と言って、ようやく国に帰りました。だから、僕、彼女達のことが心配だったんです。それで色々差し入れしたりして、話を聞いたんですが、まさか逃げ出すとは、思いませんでした。僕、彼女達を連れて、母の所に行こうと思っているんです」
 暫くの間、私も主任も言葉が見つからず、黙ってしまっていた。
 私が、 「じゃあ、H君のお母さんは、H君の為に、日本に残ってくれたの?」 と聞くと、H君は、 「はい、そう言ってくれました。今は、携帯があるから、離れていても顔を見て話せるし、そんなに寂しくはないんですが、彼女達に会って、改めて母に会いたいと思いました。彼女達が、ついて来れるかどうかは分からないけど、母に相談したら、やってみないと分からないでしょと言われましたよ」 とのこと。
 すると、ずっと黙っていた主任が、ようやく、 「あのさ、一つ聞きたいんだけど、H君さ、彼女達の言葉分かるの?」 と聞くと、H君は、 「あー、はい、だいたい分かりますよ」 と言う。
 すかさず主任が、 「じゃあさ、彼女達、H君の後ろで、何て話してたの?」 と聞くと、H君が、 「主任は知らない方がいいです」 と言う。
 それでも強引に聞き出すと、 「聞こえる? 聞こえる? 聞こえてるよね?」 「○○ニーランド」 「死んだ?死んだの?」 「帰る。帰る」 と繰り返していたとのこと。
 H君は、その後すぐに会社を退職して、母親のもとへと旅立った。もう帰ってこないかもしれない。
 そして主任は、ようやく幻聴から解放されて、病気の方も落ち着きをみせているとのこと。
 三人の女の子達の魂が、無事に帰れたことを祈るばかりである。

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