「雪の落ちる音で目が覚めたんです」
「いえ、雪の落ちる音……だと思ったんです」
幼き日、実家二階の子供部屋で寝ていた彼女は、ドスンという鈍い音に目を覚ましたのだといいます。
実家のある雪国では辺りが雪に閉ざされる真冬には、こんもりと積もった雪が屋根から屋根へ滑り落ち、そのように大きな音を立てることは珍しくないそうです。
まだ陽も登りきらない早朝、その音に目を覚ました彼女。 開いた目にはオレンジの光が飛び込んできました。
「ちょうど除雪車が家の前に来ていて」
「その音も凄かったので、それで起きたのかな? とか考えていたんですけど」
ゴウゴウと鳴る除雪車につけられた回転灯。
なかなかの光量だというそれはカーテンの向こうから部屋の中を、クルクルとうねるオレンジの光で満たしていたそうです。
通り過ぎるまで再び寝入るのは難しそうだな、と考えていると一瞬その光が何かに遮られ、そして次の瞬間。
「ドスンって、また雪の落ちる音が」
「ちょうど窓の外を滑り落ちたんだな、と思って」
横になったまま首をひねり、何の気なしにそちらを向いた彼女。 思わず叫びそうになったといいます。
「カーテン越しに人の……上半身の影が見えたんです」
除雪車の回転灯、うねるオレンジの光。 それを背にして窓の向こうに見える真っ黒な上半身。
窓についた手をもぞもそ動かす姿に、震えあがったのだといいます。
しかし、早朝の冷たい空気に肺まで縮みあがってしまったのか、彼女は声も上げられず金縛りのように、その光景を見守るしかなかったそうです。
カーテンに浮かぶ影。 それはどうやら窓を手がかりにして、二階の屋根に登ろうとしているようでした。
這うような動きで腕を動かしたかと思うと、上体がグイと持ち上がり、窓に切り取られた影は胴になり、腰になり、脚になり。
そうしてそのまま、屋根の上へと登っていったのだそうです。
ユラユラと揺れる足の先が窓の上に消えると、遮るもののなくなったオレンジの光は、また部屋の中いっぱいにうねりだしました。
除雪車は何かトラブルでもあったのか家の前に立ち往生しているようで、一向にその光が通り過ぎる気配はなかったそうです。
一体屋根の上のアレは何をしているのだろうかと、クルクルと回るオレンジを怯えながら見つめていると、再びそれを遮り何かが窓の向こうを落ちていったそうです。
そして、今度はその姿がしっかりと見えたのだといいます。
「人でした。多分、屋根に上っていった……」
「それでまた、ドスンって大きな音が」
人影の消えたカーテンの向こう、しかしまたすぐに真っ黒な上半身がオレンジの光を背に、せり上がるようにして窓へと手を伸ばしてくるのが見えました。
「繰り返してるんですよ」
それはまたしても胴を、腰を、脚をとカーテン越しに影を落としながら屋根へと消え、そして、オレンジの光を遮り大きな音を立て、雪と共に屋根へと自らを叩きつけていたのだそうです。
自死を選んだ者が死後そのように囚われてしまうことがある、という話を思い浮かべたという彼女。
しかし、窓の外の影にはどこかそれと違う印象を受けたといいます。
「必死なんですよ、なんだか」
「必死に登って、飛び降りて、またよじ登って」
「なにがなんだか……」
繰り返される鈍い音。登り、飛び降りる一部始終を映し出すオレンジの光。
異様な光景を凍り付いた体で見ているしかなかった彼女は、ゴウゴウと鳴る除雪車のエンジン音の中、だんだんと意識が遠のいていったそうです。
「意識が戻ったとき、またドスンって音がして」
「いや、その音で目が覚めたのかも……」
彼女は飛び起きると、ゆっくり部屋を見渡してみたそうです。
すっかり上った朝日がカーテン越しに透ける室内。
あまりにも先ほどと違う空気を感じながらボンヤリ窓の方を見ると、閉め方の甘いカーテンの隙間から白く曇ったガラスが見えました。
だんだんと回るようになってきた頭で、ああ、きっと夢だったのだ、と納得しかけて。
「違う! って」
布団を跳ね上げるようにして窓に駆け寄ると、カーテンを一気に開き白く濁った窓ガラスを勢いよく開けた彼女。
部屋には、むわっとした熱気が流れ込んできたそうです。
「夏の話なんです、これ」
朝日に照らされ、少し焦げたような匂いのする窓の下に見える屋根。
そこに落ちるような雪は、当然ありません。
恐る恐る、開け放った窓ガラスに視線を向けた彼女。
白く汚れたガラスの跡は所々細長く濃い形状をしており、それはまるで何者かが何度も何度も手をつき折り重なった、無数の手形のように見えたのだといいます。