これはもう十年は昔の話なのだけれど。
夏場、お盆前に休暇を取る事にし、
東京から車を走らせて避暑地・別荘地に到着。
景気の悪さとお盆前と言う事も有って人も少なく閑散としていた。
元々避暑地だから人混みとは無縁で、逆にのびのびと過ごせた。
一泊目は何事も無く、
異変は二泊目に起こった。
日中、夏の太陽に照らされた山が妙に気に掛かる。
山全体ではなく、山の一点に視線が吸い寄せられる感覚が在った。
その一点ってのがどうも一定しないんだ、数分置きに移動する。
その違和感の正体が分からず、
避暑地の涼しさとは別に、妙に肌寒い感覚が付きまとい、
夜、
辺りを見回しても不審な物は無く、
それでもナニかがこちらを見ている確信が有った。
煙草を消して部屋に戻ろうとガラス戸に手を掛けると中から悲鳴が
「キャー!」
慌てて中に入り、
窓の外を見ると、そこには皺だらけの、
ゴリラ並みのサイズだが、
全身が総毛立ち、
連想したのは狒々ひひ、山の神だったり山の妖獣だったり、
大猿、狒々、猩々しょうじょう、
三流程度の自分には手に余る存在だ。
彼女を引きずる様にして部屋から出ると手荷物だけ持って車に乗り
別荘にまだ荷物が残っていたし、
四駆の安定感の有る足を頼りに一目散に山を下りた。
コーナーを越える度に山から遠ざかるのに、
ハンドルを握りながら対処法を考えるがこのまま逃げられる気がし
彼女に携帯で「
彼女が調べた神社をナビに入力して、最短距離で神社へと逃げた。
「電話番号が分かるなら掛けてくれ」
「分かった……駄目、繋がらない」
「掛け続けてくれ、神主さんが居ないと拙いんだ」
「分かった……」
それから数分数十分掛け続けていたと思う。
「あ、出た! 繋がったよ!」
「変わってくれ、あ、もしもし夜分遅くに申し訳ありません〇〇
「それは……、分かりました今お車ですね、待機しております、
「えっと、多分一時間程で着けると思います」
「では急いで鳥居を潜ってください、
「分かりました、ありがとうございます、助かります」
彼女に携帯を返して彼女もお礼を言って電話を切った。
「多分、○○神社にさえ到着すれば大丈夫だから」
そこからは法定速度ギリギリで急いで道を走り続けた。
山道を下る間、車の車体を何かが擦るジャッ、
操作もしていないのにサイドミラーが畳まれる。
リアウィンドウを何かが叩く音もする。
信号に捕まらない時間が有ると少しだけ距離が取れるが、
窓越しに猩々が覗きこんで来たらと思うと涙が出そうだ。
目的地まで後数kmと言う辺りでソレの気配が距離を置いた気がし
さっきまで真後ろや斜め後ろに居た、
今は僕達を警戒する様に間を取っている感じがする。
電話をして一時間近く、
出来るだけ鳥居の近くに停めて、
全速力で走り、神社の鳥居の下をくぐって、
「お待ちしておりました」
突然懐中電灯の光に晒され驚くとそこには壮年の神主さんが居た。
「助……かった……」
安堵の溜息を吐いて涙腺が緩む思いだ。
隣では啜り泣く彼女が巫女さんに背中を擦られている。
僕は彼女が見た物、僕が視た物を説明した。
狒々が猿の類なら、
「それは正しい判断をされましたね。
「ただ?」
「猩々となると分社では手に負えなかったかも知れません。
そのまま一晩、神主さんの御宅に身を寄せさせてもらい、
置いたままの荷物は貸別荘の管理会社に連絡をして送って貰う事に
もしかしたら酔っていたんじゃないか?
と思われるかも知れないが、僕はお酒を普段飲まないんだ。
勿論あの時も飲んでいない。
……それと、
車体の後部に五本のひっかき傷も説明出来るか?
今でも思うよ、「ああ、こいつは山で人を浚う(さらう)
日本って国は、神話や言い伝えが現代と地続きに成ってるんだ。
山の悪い神が嫌う物を身に付けた方が良いのかも知れない。