一喝

これはあるベテラン看護婦さんの体験談。
看護学校を卒業し、付属の大学病院に7人ほどの同期生と採用された。
まだまだ新米で、仕事をにおわれ、きりきり舞いをしていた時、
大事故が起きた。

列車の衝突脱線、死傷者多数との報が入り、病院はいっぺんに地獄と化した。
死亡確認を必要とする患者から重傷者まで、
数えきれない人数が運び込まれてきた。

当然受け入れ側も大パニック、集中治療室や手術室もめいっぱい、
病室も空きがないほど。
病院廊下や通路まで使って、懸命の医療処置が行われた。

しかし中には、手の施しようのない患者もたくさん含まれていたという。
ただその患者の中で、処遇に困ったのは助かる見込みはない。
しかしまだどうにか生きている、という状態のもの。

治療スペースはできるだけ開けたい、かと言って放置もできない。
病院側が苦し紛れに考えた策は、集中治療室の片隅。
普段は使われないベッドがあった。

実はこれ、組成の見込みのない患者が息を引き取るまでの間、仕方なく寝かせておく場所で、普段は暑いK-点が締め切られている。

この日、このベッドに運び込まれたのは30代のサラリーマンと思しき男。
心肺停止状態であるものの、脳死には至っておらず、死亡宣告ができなかった。

まさに地獄の1日が過ぎた深夜、
ようやく医療スタッフにも少しの静寂が訪れた。

さすがに百戦錬磨の医師や看護師たちも皆ぐったりとへたりこんでいた。
すると一人の医師が「おい、何か声がしないか」という。

居場所は集中治療室、機械音しかしないはずの場所で、
人間の声がするはずがない。
しかしよく聞くと「ぐえー」「うおおお」といううめき声とも叫び声ともわからない声がつぃかに聞こえる。

ひょっとして患者が急変したかと総出でチェックをするがかわりなし、そのうちにベテラン不調が気付いた。

「あのカーテンの奥だわ」

…そう、死を待っているはずの男のもとから聞こえる。
おそるおそる担当医と婦長が様子を除くが、なにもかわったことはない。
脳波の波形だけが僅かに生を示しているだけ…。

みんな疲れ切っているから幻聴だろう。
ということにして、それぞれが持ち場に戻った。
すると夜中も過ぎたころ、また異変が起き始めた。

またカーテンの向こうから、助けて、死にたくない…
そして血を吐くようなごぼごぼというような音が、
集中治療室のスタッフの耳にはっきり聞こえたのだ。

経験豊富でものに動じない婦長でさえも蒼白な顔で硬直している。
若い医師はもう失神寸前だ。

そんなとき、一人の若い看護補がつかつかとそのカーテンに歩み寄る。
この話をしてくれた看護婦さんの同期生で、普段はお縄で目立たないおとなしいタイプだったという。

その彼女の顔色が変わっている。
カーテンを猛烈な勢いで引っぺがすと、
今まで誰も耳にしたことのない声で、ベッドに向かって一喝した。

「うるさい!大抵にしろ!お前はもう死んでるんだよ。もう今更どうにもならない。黙っておとなしく、あの世へ行け」
と怒鳴りつけた。

すると動くはずのない患者の体が、雷に打たれたように飛び上がって、どさりとベッドに落ちた。
同時にすべての医療機器が彼の死を示した。
唖然としているほかのスタッフににっこり笑って振り向いた彼女は話した。

「実は私、寺の娘なんです。ああいう仏さんって結構いるんですよね。
ひどい場合は死亡診断を受けていてもなお、自分が生きているか死んでいるかわからない。厳正に強い未練を引きずってて行き場が分からない人。
これが実はいちばん危ないんです。
しまいには自分に気づいてもらいたくて、周りに悪さをし始めますし。
厳しいようですが、そういう場合は一括して、自分がもう死んでいることを理解させることから始めるしかないんです。私は祖父から教わりました」

それ以来、彼女は「引導渡しのMちゃん」として病院でも重宝されたとのお話。

朗読: 朗読やちか

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