​鬼子母神

昭和異聞録は、なるべく経験者から聞いたままを再現するように心がけております。

そのため今では見当もつかない物の名前が出てきたり、当時の言い回しや方言なども

使用しています。

また、記憶をたよりの話なのであいまいな部分が多くなりますし、時代が時代なので、

現在では不適切とされる表現も含まれる場合が多々あるかと思います。

その旨ご了承の上、お読み頂ければ幸いです。 ――――――――――――――― ● ● ● ● ● ――――――――――――――

◉ 語り部‥‥サチコ  自分から見て母方の祖母の妹(大叔母)

 あたしが子供のころにね、里のウチに立派なザクロの木があったんよ。

高くはないけど、とっても幹が太くてねぇ、そこらでは見られんくらい大きな実をつけて、それがまた普通のザクロよりずっと甘いから大好きやった。

 昭和15年くらいの秋やったかなぁ、昼ご飯のあとで真っ赤な宝石みたいに透明で

キラキラした粒をほおばりながら、ばぁちゃんと縁側でお話しとったんよ。

話してるうちに町の大きなお寺に、造り物のザクロが飾ってあったのを思い出してね、

ウチの近所のお堂にもお供えで、このザクロを持って行ってあげよか?ってゆうたん。

そしたらばぁちゃんがな

「サチコ、ここの鬼子母神様はなぁ ザクロをお供えしてはいけんのよ。

 古い古いお堂さんでな、お祀(まつ)りしてある鬼子母神様もえらい古いお方でな

 ここの鬼子母神様をよう見てみたらわかると思うけど、手ぇに持ってはるんは

 吉祥果(きっじょうか)ゆうて、だぁれも見たことのない極楽の実ぃですのんや。

 それを偉い仏師さんが心を込めて彫らはったって言い伝えがあってねぇ。

 ヨソとはちごうて、ザクロを持ったお姿ではないんよ。

 それにな、ザクロは花も実も紅いやろ?

 際立って紅いもんは仏前に置いてはあかんちゅうて、ここではザクロはお供えは

 しないんえ‥。」

 あたしは知らんかったから、鬼子母神様にはザクロはあかんのかぁってひとつ

賢くなった気になったわ。

そう言えば、大きなお寺さんは駅に近いのに、遠くからでもウチの鬼子母神様へ

お参りに来はる人が当時は多くてなぁ。

お堂は無住なんやけど、子宝を望む人や子供の病気平癒を願う人、赤子の無事な成長を

祈願しに来る人がぎょうさん来られるから、村では大切にお祀りしとった。

霊験あらたかな鬼子母神様やったんよ。

お堂の裏には大きなナギの木が何本もあって、その実をお守りにしとったわ。

そんな話をしてたらな、ばぁちゃんが

「そうそう!サチコ、ええこと言うてくれたわ。

町のお寺の日蓮さまにお遣いたのもかな。

 この間お寺さんと話したときにウチのザクロが立派や言わはって、八日講(ようかこう)

 のときに欲しいなぁって聞いてたわ。

 八日講は明日やから、今日差し上げんと間に合わへんとこやった」

 あたしは駄賃をばあちゃんからもらって嬉しゅうてな、二つ返事でお遣いに出たんや。

町の日蓮さんまで近道を使うと、細い山道を下るだけやから大きな包みを持っていても

楽ちんやってん。

お遣いが済んだら、貸本屋で読みたかった本をお駄賃で借りよって思ってた。

町のお寺さんに着いて、和尚さん、いてはりますかぁ?って訪(おと)のうたら、

若いお坊さんが出てきてな。

おや?さっきそちらの村に不幸があって呼ばれましたけど、行き違いになったんですなぁ。

って言われてしもたん。

庄屋さんの家でお祝い事はあるけど、村の誰か亡くなった話は聞いてへんかったから

ちょっと不安になってしもたわ。

そんなんも、お遣いを済ませて貸本屋に行く頃にはけろっと忘れてしもてなぁ。

早く読みたい気持ちが勝って、帰り道の途中にある鬼子母神様の境内で

ちっとだけ読むことにしたのや。

 それがさっき話した古い鬼子母神様のお堂でな、ちょうどいいから寄るついでに

ばぁちゃんが言ってた吉祥果もようく見てみようと思ったんよ。

立派なお厨子の中に祀られた鬼子母神様は右手に花瓶を持っててなぁ、細かい実が

たくさんついた枝が生けてあったわ。

ばぁちゃんの言うとおりやなぁ、あれが吉祥果なんかぁって思って境内を見れば、

ここにはザクロの木を植えてないんやってことに気が付いたわ。

 そのまま本を読もうとしたんやけど結局できんかった。

だってな、お堂目指して鬼子母神様の山門の前まで来たときに、中から駆け出してきた

女の人のことで気ぃが落ち着かんかったからなんよ。

あたしなぁ あんな気持ち悪い顔、あとにも先にも見たことがないわ。

広い額がてらてら汗で濡れて、ほつれた髪が張り付いててな、目がつりあがって

下のまぶたがせりあがってるからなんや鳥みたいな顔やった。

やぶにらみな目つきで怒っているようなのに、口元は笑ってたんよ。

紅が指してある唇の端が 耳の方にキューってつりあがってて、食いしばった

歯の間からもれる息がしゅうしゅう言うてるみたいやった。

ついぞ見たことのない女の人で、着物の両袖をこう、しっかり胸元で合わせててなぁ

思い出せばだすほどコワなって、鬼子母神様を拝んでから、まっすぐ家に帰ってしもたわ。

家に入るとばぁちゃんはおらんで、おくどさん(台所)の勝手口に近所の小母さんたちが

忙しくしとってな、何かあったん?って聞いたら 庄屋さんところの生まれたばかりの

坊ちゃんが亡うなってしもたんよって教えてくれた。

町のお寺で聞いた不幸ってこのことやったんかぁってやっと合点がいったわ。

ウチのばぁちゃんとお母ちゃんは、手伝いに行ってるちゅうことなので、

おとなしく本を読んでようと思って奥の座敷にいったんよ。

風呂敷の中の貸本を出そうと包みの結び目を見たら なんや細長い紙の切れはしが

引っかかってるのに気付いてな。

 その時のあたしはまだ尋常小学校の3年生で、紙に書いてある漢字が読めんかった。

変な茶色の墨か絵の具で書いてあってなぁ、細長い紙は上も下も千切れとって

漢字が三つ並んでるだけやから余計にわからへん。

なんやコレって思って、チリ箱に捨ててしもた。

座敷で本を読んでたら、にわかに騒がしゅうなって、白木でこさえた野位牌(のいはい)を

持った町のお寺の和尚さんが入ってこられてなぁ ちょっと机を借りますなちゅうて

用意された墨と筆で野位牌に何か書きはじめたん。

あたしはやっぱり読めなかったから、何て書いてあるん?って聞いたら

これは庄屋さんの亡くなった坊ちゃんの名前ですよって教えてくれた。

和尚さんが呼ばれて部屋を出てったあとで、墨を乾かすために置かれたままの

野位牌をながめながら、どこかで見た字やなぁって考えてたら ふっとチリ箱に捨てた

紙を思い出してな、そっと取り出すと見比べてみたん。

紙に書かれた三つの漢字が野位牌に書かれた名前の途中の文字三つと同じやった。

なんや変な気分になってなぁ。

読んでた本は片づけて、お勝手の土間に行ったら ウチのお姉ちゃんがひとりで

かまどの火の番してはった。

サチコ、おとなしええ子にしてるねぇって声をかけてきたから

「なぁ、お姉ちゃん。あたしさっきなぁ鬼子母神様のお堂に行って、吉祥果を

 見て来たんよ。

 知っとった? 鬼子母神様が手に持ってはるのは極楽の実なんやて」って言ってみた。

「そうなんやてねぇ。 ウチの鬼子母神様はお釈迦さまと堅い誓いをなさったお姿だから、

 ザクロみたいな血肉に似たものはイヤやねんてな。」

「ザクロが血肉に似たもの?ってなんやの?」

「あら、聞いたことあらへんの?『ザクロのようにぱっくり割れた傷口が‥』なんて

 言うんやけどなぁ。

 鬼子母神様はな、元は人間の赤子をさらっては食べてた悪鬼だったんやて。

 だからそれを蒸し返すようなお供えは呪いに変わるゆうてねぇ。

 ここでは御法度なんよ」

「呪う! 呪うゆうて何を呪うん?」

「鬼子母神様のご利益を逆手にする呪いやからなぁ?

 子供にかける呪いやったらサチコ、どないする~!」

「いややぁ~! お姉ちゃんいけずや~!」

 あたしはふざけてみせたけど内心はもう怖くて怖くてなぁ。

その夜は庄屋さんとこの赤ちゃんのお通夜を考えると眠りが浅くなってしもた。

七日しか生きとらへんかった坊ちゃんは、本当だったらお七夜のお祝い

するんやったのになぁ‥‥。

 翌日はお葬式やから、大人は朝からそっちにかかりきりやった。

あたしは朝ご飯の後で鬼子母神様のお堂に出かけたんよ。

お堂の裏手のナギの木を越えると、その奥にお籠り堂があるって聞いてたのや。

お籠り堂ゆうのは、何日もかけて祈願をする特別なお堂のことなんえ。

あの変な女の人は本堂に線香一本、お灯明ひとつも上げてへんかった。

そんならお籠り堂に行ったんちゃうかって思いついてなぁ。

学校も休みやったし、ちょっと見てこようと思いついたんよ。

 大きなナギの木を越えると細い木の林になっててなぁ、地面は柔らかい苔で

おおわれて、そこに朝の木漏れ日がまだらに射してた。

苔のせいか下ばえの草なんかあんまりなくて、薄暗いようで遠くまで見通せた。

冷たくて静かやけど、柔らかい優しい風が通るから、仙人がのんびり囲碁を打ってても

おかしくないくらいの風情やったわ。

 細い道なりに奥に進むと、切り立った山肌にぶつかって、そこに岩の裂け目みたいな

もんがあって、近づいてみると岩屋やったんで驚いたわ。

お籠り堂ゆうくらいやから、建物があるものとばかり思っていたからねぇ。

穴の中にちょっと入ってみると、天井は高いのに案外奥行きは浅くてなぁ

地面にはスノコが置いてあって、その上にムシロが敷いてあった。

奥の壁にはくぼみが掘ってあって、目鼻立ちもわからんようになった石の像が

置いてあったんやけど、全体の形で鬼子母神様だって思ったわ。

仏前の白っちゃけた木の祭壇に蝋燭の跡がふたつあって、まだ新しいザクロの実が3個、

供えてあったんよ。

それだけのことなのにヒザががくがくしてなぁ。

岩壁に手をついて穴から出ると、本堂までやっとの思いで帰ったわ。

 家まで帰る道々、このことを誰かに話したもんかと考えてたせいか

自然に足元ばかり見てたんやろなぁ、用水路の土橋を渡るとき、橋げたに白い布が

からまってるのに気づいたんよ。

覗き込んだら黒い髪の毛みたいなもんもふわふわしとるやないの。

一瞬ぞっとしたけど、よう見たらお人形さんやった。

小さな人形が白い布に包まれてうつ伏せに半分沈んどったんよ。

誰かが大事なお人形を河に落としてしもたんかいなって思って、引っ張り上げたった。

秋の用水路の水は浅いもんやし、子供でも造作もないことや。

布が水を吸ってて重かったけど、そっと持ち上げて土橋に寝かせたら、小さな稚児人形が

白いおくるみに巻かれてるのんがわかった。

 でもな、恐ろしいのはこっからや。

その顔には銀色のかんざしが真っ赤な塗りの櫛の歯を通して刺さっていたんよ。

お人形の顔には細い真っ黒な亀裂が何本も走ってて、ひと所は欠けてのうなってた。

何度もかんざしを突き立てたんやろなぁ。

そのかんざしはもうひとつ別のものも刺し貫いていたんよ。

見覚えのある細い紙きれやったの。

途中で千切れていたけど、和紙は水に強いから残ったんやねぇ、少しぼぼけた茶色の文字は

あたしでも読めた。

「庚辰年 九月丗日 零歳 (かのえたつどし 9月30日 0才)」

 あたしは身動きがかなわんかった。

家のチリ箱にある切れ端には、亡くなった赤ちゃんの名前が書いてあって、このお人形の

切れ端には生まれ年に誕生日と歳が書いてある。

「あの女の人が庄屋さんの坊ちゃんを呪ったんだ‥」

そう思ったら腰がぬけてしもてな、地面にべったり座ったまま震えてた。

目に映る景色は秋の朝の気持ちいい陽射しで、田んぼはそろって稲穂が金色やから

ますます明るい。

なんも怖いことなんかあらへんのに、せんぐり上げそうなのを堪えとった。

泣き声あげたら、あの怖い女の人がかんざし逆手に来てしまうようでなぁ。

そんときサチコ~!何やっとん~?ってお姉ちゃんの声がした。

返事をしよて思っても、舌が上あごにひっついたみたいでどうもならん。

制服姿のお姉ちゃんがすぐそばに来てくれたのがホンマに嬉しかったわ。

 お姉ちゃんは人形を見るとすぐに枯れ草をたくさん引き抜いてその上にかぶせはった。

人形が見えんようになると「サチコ、負ぶってあげるからつかまって!」って

あたしを背中に乗せると家までまっしぐらに走り出したんよ。

家に着くと門の前で降ろされてな、動いたらあかん、ちょっと待っときやって言って、

庄屋さんの家の方に行かはった。

すぐにばぁちゃんと帰ってきて、お清めの塩をふりかけられるとそのまま風呂場に

連れてかれてな、冷たいけどがまんしいやって井戸の水をざぁざぁかけられてん。

それからすぐに大タライの湯につからされてほっとしたわ。

 その後のことは、あたしはあんまり覚えてないのんよ。

掻い巻き(かいまき)にくるまれて火鉢の前に座っとってなぁ、暑いのと

怖かったのとで頭の芯がふらふらしとったんや。

庄屋の旦那さんが泣きはらした顔でやってきて、あたしが見たことを何度も聞かはって、

そのあいだ中、ばぁちゃんが手を握ってくれてたのをなんとか思い出せるくらいや。

 何日かあとになって、ばぁちゃんやお姉ちゃんに聞いても、サチコはまだ

知らんでええ言われてな。

そのままなんも聞かんとるうちに、ばぁちゃんは仏様になってしもたし、

お姉ちゃんはお嫁に行って離れてしまったしねぇ。

戦争の終わりの方では供出やゆうて、お寺の鐘なんかも軍に持ってかれたけど

そのどさくさで、悪心のあるよそ者が大事なお堂を壊して鬼子母神様を持ってってしもた。

後生の良くないことをやってるようでは、戦争に勝つ気もとっくになかったんやろなぁ。

そやけどええか。

迷信やゆうてもやってはいけないことは、せんように守らねばならんこともあるんやで。

よう気ぃつけてな。

 

※一般的に鬼子母神の像は右手にザクロの実がついた枝を持っています。

 鬼子母神のお供え物にザクロを使わない習慣がある地域は、現在では

 限られた場所だけになっているようです。

 ホラホリインスタグラムに「柘榴の実」をアップしました。

 興味を持たれた方はそちらも併せてご覧いただければ幸いです。

朗読: 繭狐の怖い話部屋

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