「ないないの神様」というおまじないをご存知でしょうか?
結構有名なおまじないだと思います。
失くしたものを探すとき、「ないないの神様、ないないの神様。◯◯を失くしてしまいました。ないないの神様、ないないの神様。◯◯の場所をお指し示しください」と、いった具合に唱えると、しばらく経ってからひょっこりとそれが見つかるというおまじないです。なかなか効果があるんだそうです。
ただ、このおまじないを私は試そうとしたことは一度もありません。
何故なら、ないないの神様なんて神様、いくら八百万の神が住まう日本とて、存在するとは思えないからです。
もし、願いを伝えている相手が、神様ではなかったとしたら。
いつも通る道にポツンと存在する、謂れのよくわからない謎の祠。民間伝承で伝えられる様々なおまじない。
それらはすべて、本当に神なのか。もしそうでなければ、特段気にせずにおまじないをしている人たちは、一体何に願いを届けているのか。
そう考えると恐ろしくなるのです。
今からする話は、そんな得体の知れない何かを神として扱うことへの疑問を、私に抱かせるきっかけになったお話です。
私の母の女子校時代のクラスメイトが、仙台の実家から旦那様のお仕事の都合で私の地元の方まで越してきたときの話です。
母の友人はこちらに越してくると、マイホームを購入して住み始めました。
二階建ての一軒家で、すぐ隣が空き地。その空き地はすでに大手ハウスメーカーが建売の住宅用地としておさえていて、建築予定看板が立っていました。
母の友人には当時4歳になる一人息子がいて、新居に越してきてからおかしな行動が目立つようになったといいます。
誰もいない部屋で、まるでもう一人誰かが居るかのように振る舞って、楽しそうに話しかけて遊んでいるのだそうです。
気味が悪いと思った母の友人が旦那様に相談しても取り合ってもらえず、子ども特有の想像の世界の話だということで片づけられてしまいました。
あるとき、気になった母の友人は息子さんに、いつも誰とお話ししているの?と聞いたところ、「あのね、にょにょ様と遊んでるの!」と、答えたそうです。
母の友人はそれを聞いてなんともいえない不思議な心持ちになりました。
にょにょ様とは仙台のほうでは神様という意味の幼児語にあたるもので、漢字で書くと如来の如という字をふたつ続けて如如様と書きます。
自分の息子が神様と遊んでいると言い出すものですから、てっきり同じ年頃の子供の霊でもいるのかと考えていた母の友人はあっけにとられてしまったのだそうで、ひょっとして息子さんの守護霊か何かなのかも、などと結論づけたのでした。
あるとき、隣の空き地の建売住宅の建設が始まった際に、作業員の不注意で重機の操作ミスが起き、母の友人宅で飼っていた犬が大怪我を負うという不幸が起きました。
それまでにも路上でタバコを吸っては吸い殻をその辺に捨ててしまう作業員たちのことで腹を立てていた母の友人一家は猛抗議。
作業員を雇っている工務店へクレームを入れるもまともに取り合ってもらえず、いよいよ訴えてやろうかと思っていたとき、飼い犬に怪我を負わせてしまった重機の作業員が心臓発作で倒れたのを皮切りに、次々と現場で作業する関係者たちに不幸が降りかかったのだそうです。
怪我人や急病による作業員たちの脱落が続き、結局その現場を任されていた工務店は工事から降り、別の下請け業者が建設工事を完遂させたということでした。
新しく入ってきた工務店の作業員たちに特に異変は起こることなく、また、母の友人一家とのトラブルもなく工事が終わり、やっと平穏な日常が戻ったと母の友人が思い、「工事終わってよかったね」と、息子さんに言ったとき「うん!僕ね、にょにょ様にね、お願いしたの。そしたら前の大工さんたちいなくなったの!」と、答えた息子さんの言葉に、何か嫌な予感を感じた母の友人は、恐る恐る聞きました。
「お願いって、どうやって?」
「こうするんだよ」
そう言って息子さんは小さな右手を挙げると今いる自宅の窓に近寄って、右手の指をクネクネと奇妙な動きで動かし始めました。
その奇妙な指の動きは、窓の外……隣の建売住宅の二階の窓に向かって、合図でも送るかのように行われているのです。隣の建売住宅はまだ無人。誰も居ない家の窓へ送られる謎の合図。
母の友人が合図の先を辿ると、そこにはいるはずのない白っぽいヒトのような姿の何かが、無人の建売住宅の二階の窓からこちらを見下ろしているのが見えました。
その白っぽい何かは、右腕をゆっくりと挙げると、やがて息子さんと同じようにその指をクネクネと動かし始めました。
この、謎の合図のやりとりで何らかの意思疎通が行われることに危険を感じた母の友人は、とっさに窓のカーテンを下ろしてしまったということです。
ここまでが今から10年ほど前の話。
最近私は母と一緒にそのお宅へ夕食に招かれました。
私は、食事の支度ができて二階にいる息子さんを呼びに階段を上がったとき、暗い子供部屋の中で一人、中学生になった息子さんが窓に向かって指を動かしていた、という事実をまだ誰にも話せないままでいます。
10年前にその話を初めて本人から聞いたとき、母の友人はこのように言っていました。
「“アレ”は神様なんかじゃない。何か、すごくよくないモノだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「あの顔を見たら、神様だなんて冗談でも呼べない。アレは絶対に神様なんかじゃない」
どんな顔をしていたのか? 聞いても答えは返ってきませんでしたが、普段は笑い上戸の母の友人が、無表情で口をつぐんでしまったのを見て以来、私はこの話について聞くことができなくなりました。
私たちは普段、何に手を合わせ、何に願いを託しているのでしょうか。
得体の知れない何かと、意図せずして繋がってしまっていたら。
そう思うと、うかつにおまじないを試すことができない、小心者の自分がいます。
長文になりましたが、これでこのお話はおしまいです。読んでいただきありがとうございました。