私が小学校4年の時、10歳離れた妹が生まれた。
中学生の時、3歳の妹は、私の部屋で寝ることになり、毎晩9時になると、私が寝かしつけなければならなかった。しかし妹は、時々、天井を見上げて、何かしら話をするようになった。
時には、クスクスと笑いながら、目で何かを追っているようにも見えた。そこで私が、
「何かいるの?」
と聞くと、妹は、天井の角の方を指差して、
「いる。」
と答えた。
「何がいるの?」
と聞くと、
「おともだち。」
私には、もちろん何も見えなかったが、仕方がないので、天井を見上げて、
「お友達、あなたも早く寝なさい。また、あしたね。」
と言うと、妹も
「バイバイ。」
と言って手を振った。
毎晩ではなかったが、妹が天井を見上げて、目が左右に動いている時は、必ず、二人に声を掛けるようになった。
「二人とも早く寝なさい。」と。
この事を母に話したら、笑って誤魔化されたが、私には、一つ気になる事があった。
当時、家にはまだ仏壇が無く、同居の家族で亡くなった人もいなかった。しかし、母が時々、宙に向かって手を合わせ、
「ぷくちゃん」と言って、祈っていた事があった。
「ぷくちゃん」とは、後になって聞かされた話だが、私が生まれた後に、母が流産した子供の呼び名だった。
中学生の私にも、何となく察しが付いて、母にそれ以上聞くことは無かった。ただ、母の思いが強くて、未だに家に留まり、私達の近くにいるのかもしれないと思うことにした。
私が高校生の時、同居の祖母が亡くなり、うちにも仏壇が設置された。同時に母の「ぷくちゃん」信仰もあからさまになった。亡くなった祖母のためでもあるが、仏壇に向かって熱心にお祈りして、花やお供え物も決して絶やすことは無かった。
しかし、妹も幼稚園に通うようになり、「ぷくちゃん」と話すことも無くなって、私も、いつしか「ぷくちゃん」の存在を忘れてしまっていた。
冬の寒い日、私は、反射式ストーブの前で本を読んでいたが、ついウトウトと居眠りをしてしまった。そのまま前に倒れれば、本当に大変な事になっていたはずだったが、私の首をギュッとつかむ小さな手に驚いて、目を覚ました。
「ぷくちゃん、まだ、居たんだね。」