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お線香代

まあこれに類する話は各地に散見するようだが、
あえて少しほっこりしたいので書いてみる。

30代のエンジニア松本君の実体験だ。
ある冬、松本君は関連会社の施設整備のために派遣された。
場所は北陸、雪深い地域の中規模工場だ。
幸い、仕事も順調に進み、
また関連会社のほうも雪深い冬に出張をお願いした、ということもあろうか、
大変に厚遇してくれたという。

あてがわれた宿も、かなりの歴史がありそうな格式ある日本旅館。
純然たる日本間は景観もよく、雪景色もまた味わいあるものだった。
料理も地の材料を本団に使った凝った和食のオンパレード、
食べきれないほどのごちそうが並び、酒もうまい地酒が用意されており、
すっかりご機嫌になった松本君。
すると廊下から衣擦れの音が聞こえてくる。
「誰だい」というと、障子越しに粋な日本髪を結った女の姿がある。
「おまたせしてしもうて」といって、障子を開けて入ってきたのは、
少し年増の域には入っているが、かなりの美人芸者。
松本君、目が点。
「おいおいお姉さん、間違いじゃないのかい。
俺、お姉さんを呼んで遊べるような身分じゃないよ」と問い返すが、
女はころころと笑って
「野暮は言いっこなしどすえ。しばらくごいっしょさせていただきます」
という。

それからはまるで夢心地、酌をしてもらい、
小唄・都都逸などの芸を十分に楽しませてもらった上に、
遊びなれていないことを承知していたのだろう。
お座敷のいろいろな楽しみ方や遊びを教えてくれた。
何よりも印象的だったのは、とにかく陽気な性格とみえ、コロコロとよく笑う。
それでいて決して下品にならず、なれなれしくもならず、
適度な距離感で相手をしてくれる。
ついつい酒も進み、かあり酔いが回ってきたころ、
突然部屋の電気が点滅し始めた。
すると芸者は
「あらあら残念押すな。お時間になってしまいました。
またおいでの節は、お声をかけてくださいまし」と言って、静かに席を立った。

そのあとには、小ぶりの婦人物の名刺
『優花』と名前だけが記されたものが一枚残されていた。
翌日、冷静になった松本君は焦った。
「おいおい芸者の花代っていくらするもんだい、
ああそういえば花代はお線香代というんだといってたな」とか、
頓珍漢なことを考えながら帳場に向かった。
そこで宿の老主人に
「いや昨夜はきれいな芸者さんが来てくれて、
本当に楽しい時間を過ごさせえもらったが、
僕は頼んじゃいないし、彼女のお線香代はどうなるんだい」と不安げに尋ねた。

すると老主人はにっこりわらって、
「ああ優花がお邪魔しましたね。
あの子のことなら御心配には及びません。ただお願いがございます」という。
一層不安になった松本君が主人の顔を見ると、
どうぞこちらへお入りください、と奥の部屋に案内する。
そこには小さな仏壇が一つ。
なんと飾られていたのは優香の写真だった。
「お手数ですが、お線香を1本手向けてやってくださいませんか。
これこそ本当のお線香代です」という。

話を聞けば、長年京都の花街で働いていたが、
わけあって故郷に近いこの地に、親戚筋を頼って移ってきたのだという。
あの明るい性格と行儀の良さ、芸も相まって、
小さな温泉町ではたちまちに人気者になったのだという。
しかし様々な事情もあり、温泉町も徐々にすたれてしまい、
彼女も寂しい思いをしていたのでしょう、
お酒に飲まれることが多くなり、ある冬の夜、雪に足を取られたのでしょうかね。この町を流れる川に浮かんでいるのが見つかったんですよ。
でもねえ、あの子はなによりもお座敷が好き、
お客様の喜ぶ顔を見るのが好きだったんですね、
お客様のように、おひとりのなどのところに、
こうして現れては、一緒に楽しませていただくようなんです」

松本君は、じゃあ俺は幽霊に遊んでもらっていたのか、と一瞬ぞっとしたが、
あの笑い声を思い出して、妙に温かい気持ちになったという。
客を楽しませ、自分も楽しんでいるなら、いいことじゃないか。
またいつか優香に会いに来たいな、とその時はつくづく思ったそうである。

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