【エネエネババァ】

今は東京で一人暮らしするボクも、小学校の頃には
北海道の片田舎の町に住んでいました。
これはまだ暖房に石炭やコークスの
だるまストーブが使われていたような時代の話です。

当時、うちの近所には「お化け屋敷」とあだ名される一軒の家がありました。 よくホラーに出て来るような大きな洋館ではなく、
古く寂れた和洋折衷の文化住宅で、 小さな庭もついており、
鉄柵の小さな門も付いていました。
ただ、庭は荒れ放題で、雑草がモウモウと生え、それも枯れて、
そのまま放置されているありさまです。
夜にその家の前を通っても明かりが灯っているわけでもなく、
薄気味悪く枯れた庭木が揺れているだけ。
その不気味さもあって近所の悪ガキ仲間たちの間では
「お化け屋敷」と呼ばれていたのです。

ある日のこと、都会に住んでいるイトコがうちに遊びに来た時のことです。
このお化け屋敷の話をしたところ、興味津々で目を輝かせ
「よし!行ってみようぜ!」なんてことを言う。
「行ってナニすんだよ?」
「探検するんだよ」
「いや~・・・やだよそんなの」
「あっそう、じゃあオレひとりでちょっと見に行ってくるよ!」
気乗りしないボクを置いて、
イトコはとっとと駆け足で「お化け屋敷」に向かいました。
それからしばらくすると、イトコが息を切らしながら帰ってきて、
ボクに向かって叫びました。
「エ、…エネエネババァが出た!!」
「えっ???」
ボクは驚いたと共に「エネエネババァ」ってナニ?と、
きょとんとしながらしばらくイトコの顔を見ていました。
興奮して何を言ってるのかよくわからなくなっているイトコを落ち着かせ、
事の顛末を詳しく聞いてみました。

話によるとこうです。
ボクの家を飛び出したイトコはまっすぐ例のお化け屋敷に直行しました。
家からはものの2~3分の距離です。
鉄の門の前に立ち、中の様子を伺いましたが、誰かがいる様子もなく、
風で枯れた草がカサカサ鳴っている程度でした。
イトコはなんの躊躇もなく、鉄の門をあけて庭に入っていきました。
捕捉しますが、今でこそどこの家もセキュリティにうるさいですが、
当時の日本、とくに田舎では、 カギのかかった家などほとんどありません。
どこの家も戸にカギをかけるのは夜寝る時くらいでした。
方言の強いうちの母親は夜になるとボクに
「じょっぴんかったか?」と注意してきました。
「じょっぴんかる」とはつまり、
「じょ」は「錠前」、 「ぴん」は「ちゃんと」とか「キッチリ」という意味。
「かる」は「掛ける」で、つまり「じょっぴんかったか?」は
「カギはちゃんと掛けたか?」という意味になります。
話を戻します。
庭に入ったイトコはそのまま玄関へ向かってゆっくり足を進めました。
ドアの横にチャイムが付いていたので、ピンポンダッシュしてやろうと思い、
チャイムを押して急いで門の外まで走り、
少し離れた場所に隠れて様子を見ていました。が、誰も出てくる様子はなし。
「やっぱり誰もいないのかな?」
イトコは意を決してもう一度玄関の方へ行き、
今度はドアノブに手を掛けました。
「カチャ…きぃぃぃ~」
きしむ音を立ててドアが開きます。
イトコはほんの少しだけドアを開けて 片目でのぞいてみましたが、
中は暗く、よく見えません。
今度は顔だけ半分入るくらいにドアを開けて
「ごめんくださ~い、誰かいますか~」と言ってみました。
玄関からまっすぐ廊下が伸びていますが、奥の方はやはり暗くてよく見えません。
玄関はなんだかお年寄り特有の匂いがしていました。
これは誰もいないな、と思ったイトコはさらに戸を開けて中に少し入ってみました。
すると、廊下の奥の方にキラリと赤く光る眼が!と思った瞬間、
「エネエネエネエネ!」と叫び声をあげながら
半裸のお婆さんが廊下を突進して来たのです。
しかもそのお婆さん、髪はすべて白髪で真っすぐ上に長く伸びており、
今で言うとジャン=ピエール・ポルナレフのような髪型で、
腰を90度に曲げた状態で頭から突進してきたのです。
「エネエネエネエネ!」と叫びながら。
「うわーーーっ!!」
イトコはあまりの事に驚き、絶叫し、ドアを急いで閉めました。
その瞬間、ドアに「ドガッ!」と、強い衝撃が走りました。
背中でそれを感じたイトコは、もう一目散で駆け出し、
家まで全速力で逃げ帰ってきたのでした。
「ええ~本当かよそれ・・・」
「本当だって!」
「うそくせぇなぁ~」
「じゃあお前も来いよ、もう一回行こうぜ!」
「いいよ、めんどくさい。寒いしよ~」
ボクはイトコの誘いを断りました。実のところ半信半疑だったのです。
「エネエネババァ」ってなんだよ?
ちょっとクスリと笑いましたが
イトコはなんだかちょっとショックを受けたような顔をしていました。
正直言うと、イトコはそれまでもたまに嘘というか、作り話をすることが多く、
それほど信じてやる気にはなれなかったのです。
でも、ちょっと悲しそうな顔をしていたのが気がかりで、
少し悪いことをしたかな?とも思いました。

「エネエネババァ」の話題はそれくらいで消え、
夜になってイトコたち家族は帰って行きました。
イトコたちが帰った後、「エネエネ」が頭から離れず、母親に聞いてみました。
「かーちゃん、エネエネってナニ?どーゆー意味?」
母親はこう言いました
「エネエネは、いないいないって意味だべさ」
(ふぅ~ん、いないいないかぁ・・・変なの。
そこにいるのにいないいないと言いながら走って来たのかな…?)
ボクが心の中で自問自答していると、
母親は思いついたようにヒトコト付け加えてきました。
「イネイネでねが?イネだば『帰れ』だべさ」
(帰れ帰れか・・・もしそうだったとしたら、怒ってたんかなぁ)
なんだか話が混乱して、ボクはもう「エネエネババァ」のことを考えるのをやめました。
それからすぐに北海道の寒く厳しい冬がやって来て、
そんな話もすっかり雪に埋もれて忘れていきました。

やがて春。やっと雪も残りわずかとなった5月。
例のお化け屋敷の小さな庭にもライラックの花が芽吹きだした頃です。
…その家から一体のミイラ化した死体が発見されました。
お婆さんのミイラで、髪は長くまっすぐ上に伸びていたそうです。
「じゃあやっぱりエネエネババァってホントにいたんだ!」
…そう思ったものの、ボクは怖くなって このことは大人たちには言わず、
ずっと今日まで秘密にしてきました。

あれからいろいろあってイトコたちとも離れ離れになり、
以来ずっと会っておらず、どこでどうしているのかもわかりません。
だがイトコよ、もしもこれを読んでいたらよーく思い出してほしい。
・・・エネエネババァを殺したのは、実はおまえなんじゃないのか?・・・

朗読: はこわけあみ*怪談ドライブ

2件のコメント

  • kama より:

    お読みいただきありがとうございます。
    ラストのから2行目の「だがイトコよ、もしもこれを読んでいたらよーく思い出してほしい。」
    の部分ですが、朗読などをされる方はこの部分を「これを聞いていたら・・・」等に改編されてもかまいません。より臨場感のある文脈をお試しください。

  • kama より:

    方言について補足ですが、僕はほぼ標準語で育ちましたが、母親は青森生まれの青森育ちの津軽弁、祖母は秋田生まれの秋田弁でした。えねえねババァがどこ出身者かはわかりません。
    また、最近知ったのですが、イネイネだった場合、関西では死ね死ねの意味になるとか。エネエネババァが関西出身者でありませんように。

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