あの子は……

あれは15年程前の事でした。
じっとしていても肌がベタベタと汗ばむ様な時期だったと思います。

私達夫婦はとあるマンションの一階に住んでるのですが、愛煙家の私は夫がタバコを吸わない人なので 
いわゆるホタル族とされているのです。
そんなある日、何故かなかなか寝付かれず、夜中の1時を回ったところで
どうしても一服したくなった私は、何の気なしにベランダに出ました。
そして、ゆっくりと紫煙を燻らし、暗い空を眺めていた時です。
視界の隅に何か気配が有る…。
ベランダの向こうには約8畳位の避難通路として設けられ、
普段は専用庭として使用出来るスペースがあります。
「ん?…」
そこに視点を合わせていると、ボーッと人影が浮かんで来たのです。
「えっ、、、、」
シルエットは小さく2〜3歳位の子供でしょうか…。
それは、スーッと滑る様に近づいて来てその姿をはっきりさせたのです。
色が白い目がクリクリっとした可愛らしい男の子でした。
紅葉の様な両手を合わせ握りしめてモジモジしながら
『ボクのママ…知りませんか…?』
今にも泣き出しそうな声は少しかすれていました。
「ボクのママ…って…」
私はその時不思議と怖いとか不気味と言った事は感じず
「ボク、こんな時間に一人で来たの?、、、
ママとはぐれたの?、、何処から来たの⁇…」
などとその子に静かに怖がらせない様に話しかけていたのです。
『…ボクの…ママ…知りませんか?…』
同じ事を繰り返すその子の瞳は涙に濡れ、
長い睫毛には細かい水玉が光っている様に見えました。

私は、本当に心配になりました。
いえ…、すでにその時には、この子はこの世の者では無いと何処かで確信していたのだと思います。
警察とか、一緒に探そうとか、そう思わなかったのは、そうだと気付いていたからなのでしょう。
そう言った私にその子はコクリと頷き。クルリと小さな背中を向けました。
白い盆の窪が愛らしく印象的でした。
男の子は スーッと遠ざかり暗い庭の方へプツンと姿を消したのです。
まるでテレビのスイッチを切ったかの様に…。
庭の先は隣接する建物との間に塀があり、
それは平均的な大人の身長ほどの高さなので、飛び越えなければ出入りは出来ません。
まして 子供なんて到底無理な話でしょう。
何故か私の目からは涙が流れていました。
指の間のタバコはフィルターまで焦げており、気付いてから急に熱さに焦り急いでもみ消しました。
「あの子は、、、』
それからその夜は一睡も出来ず、白々と明けるのをカーテン越しに見ていました。

朝になり、夫にその出来事を話すととても動揺している様に思いました。
夫は直ぐに体調不良を理由に有給を取る連絡を会社に入れたのです。
そして「供養に行こう!」と言ったのです。
そう、思っていることは同じだったのです。
その昔、流産してしまった我が子…生まれて来るべきは、あの子だったのだろうと。
考え過ぎかも知れない…でも、私自身が感じたものは確かに他人ではなかったのです。
あんなに可愛らしく、あんなに小さいのに一人で会いに来てくれたかと思うと、二人とも涙を流さずにはいられなかったのです。、、、会いに来てくれてありがとう、、、
そして今度は一緒に遊ぼうね、、、と、正式に重々しく供養しました。

その後は 一度も会えてませんが いまだにホタル族の私は真夜中の1時過ぎにはベランダに出続けています。

朗読: 怪談朗読と午前二時

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