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亡母と尻相撲

その夜、文子が疲れ切った体をギシギシ言わせながら布団に横たえたのは、深夜一時を過ぎていた。
帰宅時間が遅かったせいで、そんな時間になって仕舞ったのだ。
こんなに疲れているのだから、きっと直ぐに寝付けるだろうと思っていたが、
あれこれと昼間の雑事が思い浮かばれ、なかなか眠りに付けなかった。

実家に暮らす兄の雅士から、母キヌの急死の知らせがあったのは七日前。
朝、なかなか起きてこないキヌの寝室を覗きに行った兄嫁の優子が、布団の中で死んでいるキヌを発見した。心不全だった。
文子は直ぐに実家に駆け付け、兄夫婦と協力し、通夜、葬儀を執り行い、一段落したところで自宅に戻ったのだった。
キヌは、兄妹二人の内、兄の雅士を取り分け可愛いがっていた。
それを雅士に言えば、 「そんな事は、全くない」と否定するが、
文子は数十年間ずっと、キヌによる、 「雅士は良いが、文子は駄目」と言った差別を受け続けてきたと感じている。
当然、実家での生活の居心地の悪さを感じていた文子は、高校卒業後は実家を離れ一人暮らしをし、結婚も他県の男性とした。
一方、雅士の方は、生まれてこの方ずっと実家暮らし。
結婚相手も『親と同居してくれる女性』という条件で、お見合い結婚をした。
「雅士さんは、マザコンですよ!」
優子が小姑である文子に、思わず愚痴をこぼした事も何度かあった。
それだけキヌと雅士の絆は強いと、文子は思っていた。
ところがキヌの突然の死に対し、雅士は文子や優子よりも冷静で、
「まあ、歳だから……。寿命だよ」と、あっけらかんとした様子で言う。
葬儀の際も涙一つ見せることは無く、冷静に喪主を務め、久し振りに会った親戚等とも、楽しげに会話をしていた。
「まあ、孫も居る歳の男が、いつまでもマザコンじゃ、逆に変だしね」
雅士の様子を見て、文子は思った。

文子が床に就いて三十分程経った頃だろうか、流石にウトウトとし始めた時である。
何故か、足元の押し入れの襖が、スーッと開いた。
実際に開くところを見たわけではない。開いたように感じたと言った方が正しい表現だろう。
そして襖が開いたそこには、実家の仏壇がきっちり収められていた。
これも文子が実際に見たわけではない。
しかし何故か、それが分った。
「これは、夢ね」
今まで、明晰夢など見た経験のない文子だが、それを夢だと思った。
仏壇からは、線香の臭いと煙が漂ってくる。
するとその煙が、段々と大きく濃くなって行き、
仏壇全体を覆い隠すように広がったかと思うと、その中から、死んだキヌが現れたのだ。
「あ……」
文子は言葉にならない声をあげた。
次の瞬間、キヌが文子の寝ている布団の中にいた。
そして文子に、グイグイと体を擦り寄せてきたのだ。
キヌには生きている人間同様の体温があり、ふわふわとした肉感も感じられた。
その為か、文子は恐怖を感じなかった。
仰向けに寝ていた文子は、クルリと寝返りを打ち、キヌに背中を向けた。
そして体を押し付けてくるキヌを押し返しはじめた。
「お母さん、やめてよ!」
文子は自分のお尻を使ってキヌを押し、布団から追い出そうとした。
しかしキヌも、高齢とは思えぬ力で、布団から追い出されまいと抵抗してくる。
「お母さんは、お兄さんの方が好きなんでしょ⁉お兄さんの所に行ってよ!」
それはまるで、布団の中で、女二人が尻相撲をしているようであった。
押したり押されたり、そんな事を五分も続けていただろうか、突然、ふっとキヌの力が抜けたのを感じた。
そして次の瞬間には、煙のようにスッと、その存在が消えたのだ。
「勝った……」
文子は呟くと、そのままストンッと眠りに落ちていた。

それから約一ヶ月後、文子はキヌの四十九日法要と納骨の為に再び実家に帰った。
一連の行事を無事終え、参加した親戚等と共に会食を行っている席で、
文子は隣の席に座った優子に、なんとなく、先日のキヌとの尻相撲の件を話していた。
すると驚いたことに、優子が自分も同じような体験をしたと言ったのだ。
「私はちょっと怖くて、文子さんのように追い出すような事は出来なかったから、
暫くお義母さんと添い寝してて、気が付いたら居なくなってたって感じでした」
優子はそこまで言うと箸を膳に置き、周りを見た。
そして雅士が少し離れた席で、従兄弟と話し込んでいるところを確認すると、文子に顔を寄せて話を続けた。
「私も文子さんと同じこと思いましたよ。お義母さんは雅士さんの所に行って下さいって。
でもどうも、雅士さんの所には、お義母さんは出てないみたいなんですよね」
「まあ、そうなの?あんなに、雅士、雅士言ってたお母さんが?」
「そうなんですよ!」
優子は眉間に縦皺を寄せると、文子に訴えるように言う。
「考えてみたら、お義母さん、困り事や面倒事は、何時も私か文子さんにばかり押し付けてきて、
雅士さんには何も言わなかったじゃないですか。だから今回も、それなんじゃないかって思って……」
「あー、なるほど。お母さんは、仏様になっても変わらないというわけね」
文子と優子は、二人同時に、 「はあ……」と、軽い溜息を吐いた。
そして憮然とした表情で箸を取ると、黙々と料理を食べ始めたのだった。
おわり

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