哀哭

曰く付きの場所。。果たして本当に噂が噂を呼んで大袈裟な物語が出来上がっただけだろうか。
それとも、その場所で起きた何かの出来事は、本当にただの偶然であるのだろうか。
毎年、この時期になると思い出す、悲しくもあり、不思議な経験談。

あれは、確か今から14年前だったであろうか。
当時、車やバイクで共にやんちゃをしていた頃の仲間から入った、真夜中の電話からだった。

B『ヤバい。。I美とKとドライブに来てたんだけど、事故った。。崖から転落して…。俺はなんとか大丈夫だけど、運転してたKの意識がないのと、I美が車外に放り出された。。頭部からの出血が止まらない。。どうしよう。。』
Bは酷く気が動転していたが、とにかく落ち着かせ、一刻も早い救急車の要請と、
ウインドウガラスを突き破って車外に放り出されたI美の頭部の止血を指示した上で、居ても経っても居られなくなり、凍てつく寒さの中、俺も車でH市方面へ向かう事にした。

場所は埼玉県H市の、正丸峠のとあるカーブだと言う。
自宅のK市から向かったとして、どれだけ飛ばしても1時間以上は掛かる距離だ。

『間違いなく俺よりも救急車の到着の方が早い。搬送先の病院が分かったら速攻で連絡をくれ!今2人を救えるのはBだけなんだからな。しっかりしろ!』
と伝え、車を走らせる。

正丸峠とは、某有名走り屋漫画の一部舞台にもなる、埼玉の中でも有名なメッカであるが、昼間でも薄暗く、道路の改修や、なぎ倒されたガードレールの復旧工事を一切行っていない為、同時に色々な霊体験も報告されていると噂される心霊スポットでもあり、事故死した霊や顔面の皮膚がズリむけたライダーの霊等の目撃談があるようだ。

車を走らせて20分程が経過した時、Bからの入電が。

B『二人とも出血が酷く、今から輸血の出来る搬送先の病院がC市内のC中央病院だ。なんとか命に別状はなさそうだ。本当にごめん。ありがとう。』
ひとまずホッとしたが、C市となると、正丸峠を越えた隣の市。つまり彼等が起こした事故現場を通り過ぎるルートとなる。
俺は今一度自分の運転を引き締め直すのと共に、何か落ち着かない胸騒ぎを感じていた。

H市内の山間部に入り、いつも以上に慎重な運転をしている時だ。車の音でも無く、流しているCDの音楽でも無い、何かの音が、遠くから聴こえて来る。
恐らくさっきの事故の件で地元の走り屋は解散したのだろう。それらしき車を含め、対向車や前後に車の気配は全く無い。

正丸峠に入ると、音の正体が分かった。…読経だ。。事故現場に近づくにつれてそれは大きくなり、次第にやかましい車のエンジン音や、流すCDをもかき消し始めて居た。

例の事故現場を差し掛かった。錆びたガードレールは大きく湾曲し、そのガードレールと地面との間をすり抜けて車ごと転落したのだろう。3人も乗ってるのに無茶な運転しやがって。。

そのカーブでは、まるでヘッドホンにて大音量で聴いているかの如く、細かな息遣い、図太い男性の声、読経の所々の強弱がダイナミックレンジの効いた感覚で伝わって来た。何故かこの読経に、今回の事故とは別の言い知れぬ悲しみと怒りが込み上げて、今にも発狂しそうだった。が、我に帰り、仲間の怪我の事が何より心配だった事もあり、急いで病院へと車を走らせた。

何故か事故現場から離れていく毎に、その読経も小さくなっていき、山を越えた頃には全く聴こえなくなっていた。

病院へ到着するなり、駆け足で仲間の居る病棟へ。
Kはフロントから潰れて押されたエンジンが車内に侵入し圧迫された事による肋骨の骨折と肺の損傷、放り出されたI美は頭を62針縫う大怪我を負い、Bも低体温症で点滴を受けていた。

重症の2人は1ヶ月以上の入院を余儀なくされたが、意識があったBだけは、その日に治療が終わり、自宅へと送り届けた。

帰りの車内、Bへどんな事故だったのかを根掘り葉掘り聞いたが、意識がハッキリしているにも関わらず、H市の山間部に差し掛かったところで記憶が途絶えているとの事。気が付けば事故後で、何故か俺に電話をよこしたらしい。
Bへの配慮もあり、何より例の読経の事もあり、帰りの道は全く違うルートを通り帰る事にした。

数ヶ月後、Kは普段の生活に支障を来たす後遺症もほとんど残らず、I美も女性で心配された顔面の傷は綺麗に治り、お互い元気に過ごしていると言う。

月日は流れ、5年後のちょうどこの時期、、
実家で飼っていた猫のコロが13年の生涯の末、他界した。重い腎臓疾患による、儚い最期だった。
思えばコロは俺達一家を猫好きにしてくれるきっかけを作ってくれた、かけがえのない家族だった。
近所の空き家の庭で鳴き続けているのをおっかなびっくりしながらも介抱したのがきっかけで、真っ黒な姿になって綺麗な毛並みが特徴的だった。家族が団欒や喧嘩をしている時は、いつもその中心に居て、話を聞いてくれた。コロを責任を持って飼う為に、近くの動物病院で去勢手術をする際、コロの子供が見れない悲しさから幼いながらに涙を流した記憶や、機嫌が悪い時にちょっかいを出し引っ掻かれた傷跡も、今では微笑ましい思い出だ。
俺達一家は、一生懸命生きた彼の安らかな眠りと盛大なお見送りをする為に、当時タウンページに大きく記載されていた自宅出張式の動物葬儀を依頼した。

横たわったままのコロを自宅に来た業者にお渡しして、その場での火葬が始まった。火葬の時間は時間がかかる為、後日骨壷と共に帰ってくるとの事だった。
俺達一家は合掌をしながら彼との1つ1つの思い出を噛み締め、安らかな眠りを心から願っていた、
その時だった。どこか、どこかで聞き覚えのある読経が聴こえて来た。業者が用意したラジカセからだ。あの時、正丸峠の事故の時に聴こえていた読経だ。細かな息遣い、図太い男性の声、所々の声の強弱、思い出した。間違いない。。

5年前の事故と、コロの死に、一体何が関係しているのか。。
俺は5年前の、あの言い知れぬ胸騒ぎを感じた。

葬儀が終わって1ヶ月が経った頃、自宅でふと夕方のニュースを見て居ると、埼玉を拠点とする動物の葬儀業者が捕まったと報道している。

…まさかと思い、業者の名刺を引っ張り出して見てみると、なんと捕まった犯人と同姓同名。。名刺にある顔写真も、今テレビに出ている本人そのものだ。。

内容はこうだ。自宅出張式の火葬を行うと偽り、実際に焼いたものとは動物では無く、専門業者に火葬を依頼すると自分に残る金額が少ない為、回収した動物の遺体は継続的にH市の山中、正丸峠に捨てた。後日遺族に渡した骨壷の中身は、全く別の動物の骨。犯行は8年前から行っていた、、と。。

俺達一家は酷く妬み悲しんだが、コロをしっかりと供養してあげる事が先決と、休日を合わせ正丸峠へと向かった。
あの時の読経、事故が起きた場所、、まさか、な、、とは思ったが、その点と点は、一本の線へと結ばれるのであった…。
確かに5年前に仲間の起こした事故現場のカーブと、業者が遺体遺棄を継続的に犯した場所が、全くもって一緒なのだ。

5年前、暗闇の中突き破ったガードレールの跡はそのままに、今は華やかな花束がしめやかに手向けられて居る。

【ごめん。ごめんねコロちゃん。。寒かったね。苦しかったね。。これでゆっくり休めるかなぁ。。。】

その後、被害に遭われた遺族達の有志で、隣の市の霊園に共同墓地を設立した。

俺は、今も月に一度のコロの墓参りを欠かさない。

朗読: 繭狐の怖い話部屋

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