まばたき

友人Aから聞いた話だ。
Aは都内で働くサラリーマンだった。
いつも家に着くのは夜遅くになっていたという。

その日も一通り仕事を終わらせ家路についていた。
ふと家で酒でも飲もうと思い、家の近くにあったコンビニに入り、おつまみとビール、そして栄養剤を買った。
コンビニを出た頃には23:30になっていた。

「今日も疲れたなぁ」

独り言をボソっと発し、だらりと下に向けた腕にそっとかけてあるコンビニ袋に反対の手を入れガサゴソと、手探りで栄養剤を探す。
手に取った栄養剤には「今日もお疲れ様」というシールがついていた。
ハァ…とため息混じりに蓋を開け、首を上に傾けゴクゴクと一気飲みをした。

その時に何か違和感を感じた。
見てしまったのだ。
目の前にある5〜6階はあるだろうビルの屋上に、月夜に照らされた人影がゆらゆらと揺らめいている姿を。

その人影はこちらからだと黒いナニカにしか見えない。
そして次の瞬間、その黒いナニカは屋上の柵に手をかけて登ると、一気に下へと飛び降りてしまった。

「うわ!やっちまった!」

飛び降り自殺だった。
地面にダァン!と身体がぶつかった。
屋上からだと黒い物体にしか見えなかったが、目を細めて見てみると、どうやら作業服を着た男性だということが分かった。
先の地面にゴロリと男性が横たわっている。

嫌なものを見てしまった。
最悪の気分だ。
しかし妙に心は落ち着いていた。
Aは急いでその男性の元に駆け寄った。

が瞬きをした次の瞬間、その男性は目の前の地面から消えて無くなっていた。

「あれ?確かに男性が飛び降りて…そこからここに落ちた…でも居ない…。なにが起こってるんだ?」

Aはパニックになった。
意味がわからなかった。
とりあえず救急車を呼んだ方が良いのかどうしようか…そう思案していると、Aの耳元に

「そこだ」

と低い女性の声が入ってきた。
するとまたビュウウウウウ…ダァン!!!
と先ほどの男性が頭上から目の前へと落ちてきた。
地面にゴロリと男性が横たわる。
近くで見て分かったが、その男性はどうやら50代くらいのようだ。
髪は無く、地面に落ちた衝撃でか頭の一部が破損し、そこから血が流れ出ている。

「今度こそ本当に落ちてきた。」

しかし1〜2回まぶたを瞬きさせると、また男性は消えてなくなった。

どういうことだ。
一体なにが起きているんだ。
Aはさらにパニックになった。

耳元で尚も聞こえる女性の「そこだ」の声。
また目の前に男性が落ちてくる。
そして瞬きをすると消えてしまう。
どうやらその不思議な現象はループしているようだった。

俺がなにをしたって言うんだ。もうやめてくれ。

日々の仕事のストレスも相まって、自分が今どんな現象に苛まれているか、より理解が出来なくなり、Aはパニックの末目を閉じ、その場に蹲ってしまった。
尚も聞こえる嫌な落下音と女性の声。

そこだ。
ビュウうううううう…ダァン!
そこだ。
ビュウうううううう…ダァン!

Aは必死に目を瞑った。

それから何分経過しただろうか。
気がつけば何も聞こえなくなっていた。
もう大丈夫か?

目を開けるとそこは自宅だった。

電気も何も付けず、部屋の中央で体操座りのまま目を擦った。
何が起きている。
時刻は25:00を過ぎていた。

そうか。夢でも見ていたのか。俺は。

目の前のテーブルには横になったビール缶とおつまみが広がっていた。
急にバカらしくなったAは部屋の電気をつけ、スーツからパジャマへと着替え、さっさとベッドに入り横になった。

ハァ…俺相当疲れているな。

目を見開きながら今日の出来事を思い出す。
瞬きを一回した。
すると「そこだ。」の声が聞こえた。
ハッと飛び起きると、目の前に人間が横たわっている。
外だった。
先ほどの現場に立っていた。

目をグシグシと擦るが夢ではないようだ。
今度は女性が前に横たわっている。
こちらもまた50代くらいの女性であった。
そこからまた女性の声が聞こえ、人間が落下してくる。
何回もループした。

そして不思議なことに
瞬きを一回すると自宅へ
また一回するとあの現場へ
と強制的に飛ばされてしまうのだ。
まるでVRの世界を体験してるとしか思えないほど場面の切り替えが凄まじかった。

やがてどちらの世界でもだんだんと
「そこだ」
「そこだ」
「そこだ」

の声が聞こえ、その声のボリュームは段々と大きくなってきた。

「もうやめてくれ!!!!!!」

Aが言葉を発すると、目の前の空間がグニャリと折り曲がり、やがて光が飛び込んできた。
暖かな光だ。
その光を掴もうと右手を出した瞬間。

「そこだ」

目を開けると、ゴツッとした感触が自分の肌に突き刺さった。
硬い。
それは地面だった。
全身に鈍痛が走る。

「はーっはっはっはっはっはっはっは!!ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」

その声が聞こえたかと思うと、やがてAは気を失ってしまった。

「うわぁ!!!!」

飛び起きるとそこは病院のベッドの上だった。
身体が痛い。
全身の各所に包帯が巻いているようであった。
よろりと起き上がって鏡を見ると、そこには別人の姿があった。

誰だ?こいつ…

そもそもAさんは20代の男性だったのだが、鏡に写っているのは50代くらいの女性であった。
待てよ…こいつ…見たことがあるぞ。
あの時に頭上から落ちてきた女性か…?
そう考えていると、

「嘘…起きた…起きたぁ!!!!!!!!」

と聞いた覚えのない声を聞き、驚いて声の方へ顔を向ける。
そこにはベッドの隣の椅子に腰掛けている10代くらいの女性がいた。

「お母さんが起きた!!!よかったぁ!!本当に良かった!!!パパに教えなきゃ!!!」

その女性は大声で泣き始めた。

パパ…
お母さん…俺に言っているのか?
この子は自分の子か?
夫もいるようだ。
まて…どう言うことだ。
何が起きている。
声を発しようにも、パニックのあまり発することが出来なかった。

それからすぐに医者が来て自分の容態を知らせてくれた。かなり悪い様子だったが、なんとか一命を取り留めたようだ。
そして、娘らしき存在が「パパ」と言う人物が、自分の病室のベッドに腰をかけてきた。
その姿に驚いた。
1回目に飛びおりてきたあの男性にそっくりだったのだ。
Aがパクパクと口を開けて驚いていると、その男性はAの目を見てこう説明してきた。

「娘に聞いたが、どうやらお前は自宅の3階から飛び降りたんだってな。自殺かどうか分からんし未遂に終わったが、もう少しで危ないところだったんだぞ。娘がその時間に家に帰っていなかったら、お前はあの世に行っていただろうな。とにかく、どんな理由があるのか俺には分からないが、もう自殺なんてやめてくれ。俺がなんでも聞くから。」

それからこうも言った。

「よく戻ってきてくれたな。」

その言葉を聞き自然と涙が溢れてきた。
何故かは分からない。
どうしてこうなったのかも分からない。
けれど、自然と胸が暖かくなってきたのだ。
あの光はこの自分に向けられた家族の暖かさなのだと思った。

それから数年の月日が流れた。
Aは今もその夫と娘と暮らしている。
男性だったはずのAだが、今にして思えば、あれは本当の体験だったのか、自分は20代の男性だったのか、そして目まぐるしい日々を過ごしていたサラリーマンだったのかどうかはハッキリと分からないと言う。

しかし最後にAは一言こう言った。

「でもね。前にね、街を歩いていたらあの時の「あっはっはっはっ!ひゃっひゃっひゃ」って声が不意に聞こえてきたんです。ビクッとしてそちらに顔を向けたら、「そこだ」って言ってしまいました。ハッとしました。あの何度も聞こえた「そこだ」って声…私の声だったんです。そして見ると、ビルが目の前にあったんです。あのビルが。…今もあるんですよ。そのビル。今となってはそこを通りたくもないし、もう…どうでも良いんですがね」

そう言うAの顔はどことなく険しかった。

朗読: 小麦。の朗読ちゃんねる

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