官舎

 私の夫は自衛官で数年単位で基地を転々とする転勤族です。
 これは、今から25年程前に体験した話です。

 私たち家族は夫が東北の基地への異動にともなって引っ越しました。
 その基地は8年前にも配属されたこともあり当時は平屋の官舎でしたが、久しぶりに戻ってみると平屋は取り壊されていて、代わりに5階建ての官舎が4棟建っていました。
 私たち家族はそこの1号棟の5階の部屋に入ることになったんですが、その1号棟ではおかしなことがたくさん起こりました。

 まず入居したその日にエアコンが故障しました。
 そこから立て続けに瞬間湯沸し器、2台FF 式ストーブが5回、掃除機、冷蔵庫、洗濯機、オーディオ、テレビ。家にある電化製品がことごとく壊れました。
 家電がいくつか新品だったので修理をお願いしたんですが、どれも故障の原因が全く分からないと言われてしまいました。
 (おかげでストーブと瞬間湯沸し器はバージョンアップした新品を代わりにもらって得はしましたが)
 転勤族だったし、度重なる引っ越しで家具や家電が壊れることはこれまでありましたが、それにしても家電だけが半年の間にすべて壊れてしまうことは一度もありませんでした。

 そして入居してから1ヶ月くらい経つと今度はテレビ、瞬間湯沸し器、掃除機が勝手にスイッチが入ったり切れたりを繰り返すようになりました。
 それも私1人だけのときにしかその現象は起きないのです。
 家電が勝手に動き出すたび漠然とした悪意を感じて背筋が寒くなったのを忘れられません。
 私たちが入った部屋だけがおかしいのかと思ったんですが、次第に官舎の1号棟全体がおかしいことに気がつきました。
 何故ならこの1号棟、怪我や病気がとても多いのです。
 それも不思議なことに1階、3階、5階の住人にだけ怪我や不幸が頻発していました。
 4年間で骨にヒビが入る怪我が2人、骨折が4人、そして自殺者が1人。
 中には肺にカビが生えてしまうという病気にかかって半年で亡くなった人もいました。
 自衛官という仕事柄、怪我や病気くらいするのではないかと思われるでしょうが、全て自衛官の家族が怪我や病気になっているのです。
 また官舎の中でおかしなものをみたという声もたくさんありました。
 特に印象深かったのは1階に住んでいたお子さんなんですが、誰もいない部屋や窓を指差しては「知らないおじさんが立っている」「おばあさんが窓に張り付いて中を覗いている」と言い出したり、お風呂場で凄い鳴き声がするので母親が急いで駆けつけると「お風呂の中からたくさんの手が出ている」と話を聞いたときはみんな絶句しました。
 ここは絶対おかしいというのが共通認識になっていました。

 私自身が体験した中で特に怖かったのが、子供たちが通っていた幼稚園のママ友10人程で飲み会に行ったときのことです。
 会は盛り上がり、帰る頃には深夜2時を過ぎていました。
 みんなほろ酔いで官舎の前まで歩いているとママ友のひとりが1号棟の上の方を指差して「あ、あなたの旦那さん、5階の階段の踊り場で待っているよ! 遅くなったから怒っているかなあ」と言われました。
ヤバい! と焦って階段の踊り場を見上げたんですが、そこには誰もいません。
「いないじゃない! 脅かさないでよ」と言ったんですがそのママさんは旦那さん立っていると言うのです。
 他のママ友たちも階段の踊り場を見上げて確認したんですが、おかしなことに半数がいると言い、私を含めた半数が何も言えませんでした。
 しばらくいるいないで言い合っていましたが、ひとりがぽつりと「もしかして見てはいけないものが……」と言いました。
 その一言でみんなが私を見て「気をつけて」と声をかけてそれぞれの部屋へ帰って行きました。
 残された私1人だけが5階に帰る唯一の住人。 帰るためには必ず階段の踊り場を通らなければいけない。
 私は「何も見ませんように!」と出来るだけ下を向いて足音をたてないように、恐る恐る階段を上がって行きました。
 そして無事部屋の前に着くと急いで玄関の鍵を開けてドアを開けたら、奥の寝室から夫呑気ないびきを聞いて心底ほっとしたのと同時に 「じゃあみんながみた人はなんだったのだろ?」と思いゾッとしました。
 その官舎には4年間過ごしたのち、また夫の異動にともなって別の官舎に引っ越しました。
 それからは特におかしなことも無く平和に過ごしています。

 後日談ですが、引っ越してから前の官舎のママ友と電話で話したんですが、「あなたたちが引っ越してからまた新しい人が入って来たんだけどその人に『前の人はこの部屋で何かおかしいことがなかった? 大丈夫だったの?』と聞かれたけど何かあった?」 そう聞かれました。
 その官舎はまだ現役で自衛官の家族が暮らしています。
 意外と自衛官の住宅事情はブラックです。

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