病んでる

 彼女は、営業所の拡大に伴い、採用されたパート社員だった。
 ちょっと痩せ気味の猫背で、身なりをあまり気にしていないのかなという印象だった。
 ただ気になったのは、彼女は、目が泳ぐ人だった。
 最初は、(この人、凄い緊張してるんだな)と思った。

 上司の指示で、制服やネームプレート、社内用のバック等を渡し、ロッカールームに案内した。
 コロナの影響で、すでにマスク着用が当たり前だったので、顔の表情は読み取れなかったが、 (この人目が泳ぐ人だ) ということは分かった。
 瞳が左右に小刻みに揺れていた。ついでに言えば、声も少しブレていた。
 30代前半の独身女性と聞いていたが、見た目はともかく、その声は低く、ビブラートをかけっぱなしのような話し方をしていた。
 それは、言いかえれば、震えた疲れたようなだみ声だった。
 仕事を頼むと、彼女は、 「はいっ!」 と大きな返事をして、とても真面目そうに見えた。

 ところが、時が経つにつれ、社内のそちこちから、彼女への不満の声が聞こえてきた。
 それは、 「同じミスを何回もしている」 「覚える気がない」 「入ったばかりなのに体調不良でよく休む」 
 などのよくある内容だった。
 しかし、人手不足でやっと入社してくれたパート社員だったので、みんな我慢して優しく接していた。

 そうして一ヵ月が過ぎた頃、彼女が、また体調不良で休んだ。
 私は、ただの指導係ではあったが、一度きちんと話した方が良いと思った。
 翌日私は、出社した彼女を呼び出し、少し強い口調で、 「入って一ヵ月で、四回も休むのは、多いと思いますが、慣れない仕事だと思うから仕方がないと思っています。でも、遅刻が何回もありましたよね。これは、良くないです。働く心構えが足りないように感じます。それから、休んだあととか、遅刻したあととか、普通でしたら(すみませんでした)と謝罪を入れるべきだと思いますが、全くありませんよね?」
 というようなことを一方的に伝えた。
 彼女からは、 「すみませんでした」 のひと言だけだったが、やはりその目が泳いでいた。
 だから、私の話を理解して頂けたのだとと思っていた。

 その日の夕方、私は、上司から別室に呼び出されたが、その話の内容に驚愕した。
 それは昼間、私が指導係として注意した内容について、彼女の言葉に置き換えて話すと、以下の通りだった。
「自分は、前の会社でいじめにあって、自殺未遂を起こしている。だから自分には、強い口調で注意とかしないで欲しい」
 と言って袖をめくり、リストカットの跡を見せられたという。
 上司も一応は、注意されて当然の内容だということを、彼女に説明してくれたそうだ。
「それは、彼女に何か注意をしたら、彼女は自殺未遂を起こすと、脅迫してきたということですか?」
 私は、呆れ果てて、上司に詰め寄った。上司も困った表情で私を見ていた。
 面接の際には、特に異常な点は無かったそうだが、彼女には何か、精神的な病気があるのではないか、とも感じられた。
 正直頭にきたが、『リストカット』という聞き慣れない言葉に少し不安になり、その時は堪えるしかなかった。
 そして、上司からも、彼女のリストカットの件は、他言無用と口止めされた。
 彼女は、そんな私を嘲笑うかのように、その後も休んだり遅刻したりを繰り返した。
 その理由として、「持病があり体調が悪い」とのことだったが、新たに「車で事故を起こした」が加わり、半日出勤しなかった。

 同僚が休日に、事故を起こしそうな迷惑運転をする彼女を見かけたそうで、とても怖かったと話していた。
 コロナ禍においても、会社はとても忙しかった。だから、彼女が電話をとってくれるだけでも有り難かったのだ。
 しかし、連日、残業が続いた時、入ったばかりの彼女には、出来る仕事が無かったので、 「帰っていいですよ」 と伝えた。
 ところが、それから10分程経っても、彼女は帰らない。仕方がないので、少し苛つき気味に、 「どうして帰らないの?早くタイムカードを打刻して、帰って下さい」 と言うと、驚きの答えが返ってきた。
「私、お金が欲しいんです。だから、少しでも遅くタイムカードを押そうと思って」 と言うのだ。
 咄嗟に(それならなんで休んだり遅刻したりするの)と、言いたくなったが、我慢した。
 それよりも、私が相手ならば、そういう小賢しいことをしても大丈夫と思っていることに呆れ果てた。
 怒りの感情と言葉をグッと抑えて、 「このことは、上司に報告します」 と言うと、彼女は慌ててタイムカードを押して帰っていった。

 完全になめられていると感じた。
 彼女は休憩室でも、あの震えただみ声で、自ら色んな人に話し掛けていた。
 その際、彼女は専門用語をやたらと使って、もっと詳しく知りたいから、ラインの交換をして欲しいと、言葉巧みに迫っていた。
 私は、その声が聞こえてくるだけで、とても不愉快な気持ちになった。
 殆どの人は、相手にしなかったが、二人の女性社員が、彼女とラインの交換をしたようで、その二人から他の社員達の様々な情報を得ていたらしい。
 逆にその二人から、彼女の給料が少ないとか仕事がつまらないなどの愚痴ラインがみんなに暴露されて、社内は、彼女の陰口で盛り上がっていた。
 私も彼女から、とても親しげに、 「スポーツジムに通ってるんですよね?私も一緒にやりたいです」 などと話し掛けられ、返答に困った。
 その様子は、驚くほど堂々としていて、馴れ馴れしかった。
『リストカット』で脅してきたくせに、親しみなど持てるはずもない。

 三ヵ月ほど経っても、相変わらず、彼女の仕事には誤りが多かった。
 しかし、誰も関わり合いたくないようで、注意をする人もいない。
 彼女の間違いの尻拭いなどは、全て私にまわってくるので、私もストレスが溜まった。
 それは、私だけではなく、上司も爆発寸前の状態となり、 「少しずつ注意をしていこう。それで彼女が辞めることになってもかまわない。注意した人に責任は問わない」 と言い出した。
 すると、みんな一斉に、彼女への攻撃が始まった。
「これ何度も間違ってるから、覚えられないなら、ちゃんとメモとかしてね」
「電話応対とか、丁寧語の使い方、おかしいよ」
「来客もあるから、そのボサボサの髪型キチンとしてね」
 私だけではなく、貴重なパート社員に、みんなが我慢を強いられていたので、反撃の足並みは見事に揃っていた。
 徐々に追い詰められた彼女は、 「持病が悪化したので、暫く休みます」 と電話があっただけで、会社に来なくなった。
 その頃の私は、毎日彼女に会うと思うと会社に行くのがとても苦痛だったので、心からホッとした。
「これで、彼女も会社を辞めてくれるだろう」 と、私だけでなく、みんなが思っていたと思う。

 しかし、それは甘かった。
 それから一ヵ月後、ある日突然、彼女が会社に出勤してきた。
 何事もなかったかのように、 「おはようございます」 と挨拶されて、戸惑いを隠せなかった。 会社中がざわついた。
 当然だが、彼女からの (長らくお休みを頂いてすみません) などという謝罪の言葉は一切無かった。確認すると、上司にも謝罪の言葉は無かったそうだ。
 これには、上司も腹を立てて、厳しく注意したそうだ。

 その日は、たまたまだが、ホワイトデーだった。
 だから、私のロッカーの中にも、バレンタインデーのお返しのお菓子が、たくさん入っていた。
 ロッカーの鍵は、掛けていない人が多く、財布などは持ち歩いていたので、ロッカーを勝手に開けて、お菓子を入れていく。
 その中に名前の付いていないお菓子があり、 「これは誰から?」 と話題になった。
 10センチほどの箱に入ったもので、念の為、めぼしい男性社員にも確認したが、分からなかった。
 後日判明したのだが、そのお菓子は、くだんの彼女からのものだった。
 私は、再び彼女を呼び出した。
「名前も付けずにロッカーにお菓子を入れるとか、相手の人が困るとか思わないの?それよりもまずは言葉で(長らくお休みを頂きご迷惑をお掛けしてすみません)と言えばいいのよ」 と伝えて、お菓子をつき返した。
 彼女は黙って受け取ったが、その目はいつもにも増して泳いでいた。
 そしてポツリと、 「母親が名前付け忘れたみたいです」 と言った。
 私は、キレた。もう止まらなかった。そのあと何を言ったか、全く記憶に無い。
 後から聞いた話では、私は、大声で彼女に対する暴言を叫んでいたらしい。
 あの泳ぐ目を見ていると、彼女の考えが、不思議と見えてくるのだ。 (この人、何でこんなに怒ってるんだろう?私は何も悪くないのに、とりあえず謝っておこう。早く解放してくれ)
 彼女には、他人の怒りが理解できないのだと思う。 注意をしている私の方が、どんどん追い込まれていった。
 私は、夜も眠れないほどなのに、彼女のダメージは皆無で、嫌だと思ったら、体調不良で休み、ほとぼりが冷めたら出勤するのだ。

 この後、最終的に上司が、労災の不正申請や、度重なる欠勤と遅刻を理由として、彼女を解雇してくれた。
 今度こそ、もう会うこともないとホッとしていると、フロアの出入り口の方から、あの震えただみ声が聞こえてきた。
 彼女は、クビになったにもかかわらず、再雇用を求めて、会社にやって来ていた。そして色々な人に親しげに話し掛けている。
 彼女の声が近付いてくる。 怖い。気持ち悪い。
 私は、猛烈な吐き気に襲われ、急いでトイレに駆け込んだ。
 手洗い場の鏡の前でようやく落ち着いたが、自分の顔を見て驚いた。
 私の目が、小刻みに泳いでいた。 私、病んでる… そういえば、呪いなんて全然効かなかった。
 彼女に、リストカットをしたような形跡は無かった。
 精神的にヤバい奴には、効かないのかも。 他の呪い探すわ…

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